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親離れできない自分と、子離れできない両親

私は、長期休みになると時間をとってなるべく実家へ帰るようにしている。実家が好きだからということはもちろんだが、なにより祖父母や両親が帰省を待ちわびているからである。

たまにくる両親からのLINE、祖父母からの電話。東京での生活を案じてか、かなり心配してくれている様子。実家から東京へ戻る日になると、祖父母は「せっかく来たのに、もう帰っちゃうんかい。今度はいつ来る?早く帰っておいで。」と言って寂しい顔をする。それを見て、なんだか私の心も締め付けられる。今回の帰省では、昼間からべろべろに酔っ払っていた父が、自宅を後にする私を見送るときに何故か涙ぐんでいた (私はそれを見て爆笑していたのだが)。母は毎度、これは電車代ねと言っていくらかをくれる。もちろん泣きはしないが、駅に着くといつも不安げな顔で見送られる。

私は家族が大好きだし、まとまった時間ができたらなるべく帰ろうと思っている。祖父母はもう70代。自営業をしており、普通の70代と比べるとまだまだ元気。しかしあと10年後、20年後も東京から帰った自分を同じように迎えてくれるかというと、残念ながらそうとも言い切れないのが現実。小さい頃から祖父母っ子だった私は、2人が元気なうちはいくつになっても時間をつくって帰省するつもりだ。

両親も同じ。まだまだ先を考えるには早いが、自分のことを心配してくれているのは祖父母以上かもしれない。田舎から東京へ出て、フリーライターで雜誌に記事を書いている、インターネットが大好きでIT企業で働いていると話したところで両親は何も理解できていないはず。それでも自分のことを応援してくれるのは、親だから当然ということではないだろう。理解に苦しみながらも何をしているか分からない自分を応援してくれる一番の味方は両親だし、だからこそ元気な顔を見せに定期的に帰ってあげたい。

以上は全て本音であるが、果たして自分は親離れできていないのだろうか?祖父母離れできていないのだろうか?たまに「親離れ出来てないよね」と言われることがあるとその度に「そうなのかなぁ」と、もやっとする。

そもそも、親離れ(子離れ)などする必要がない。大学生になってアルバイトもせずに全て親の財布に頼る・子どもの将来が不安で就職先についていちいち口を出してくるなどの例は別だが、なんでもかんでも親頼りや子どもへの過度な干渉といった極端な例以外のシーンで「親離れ・子離れ」といった言葉を使うのはいかがなものか。どうして子どもが親から(親から子どもが)離れなければならないのか。いわんや、できるはずがない。大切な人を大切にしていることの何が悪いのか分からない。

世界中どこを探しても1つしかないその関係性を疎かにしてまで頑張ることなど何もない。その考えが「親離れできていない」のであるならば、これから両親がいなくなるまでずっと、親離れできない子どもでいたいと思う。

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