10年

ある日のTBSラジオ「たまむすび」金曜日のメッセージテーマ「バッタリ部」。玉袋筋太郎さんがいろんな場所で立て続けに友人・知人とバッタリ遭遇したことから決まったテーマ。

自分もバッタリ部がよく起こる。これまでで一番驚いたバッタリはコンビニのトイレの前で、高校の野球部でピッチャーだった先輩に会ったこと。岡山の高校生だった2人が約10年後に、東京に数えきれないほどあるコンビニのトイレの入れ替わりで遭遇するなんて。先輩、あれ以降一度も連絡してないですけど、もしあの時水流し忘れてたらすみません。


自己バッタリ部履歴の中でもダントツに多いのが、とーやま校長ことグランジの遠山さん。遠山さんとは本当によくお会いする。新宿に服を買いに行ったらお店でバッタリ、Perfumeのライブ終了直後にバッタリ、等々。

先日もバイトの休憩中、女性社員たちのタピオカ買い出し(≒パシリ)の帰り道、自転車で移動中の遠山さんとバッタリ。映画を観に行くところだったのに、わざわざ止まって話を、しかもいきなり本題のような話題から。本当に優しくご対応いただいて、ありがたいです。

もともとは2010年にラジオ「SCHOOL OF LOCK!」から初代のやましげ校長が退任され、2代目のとーやま校長として就任されたのを受け、半蔵門のTOKYO FMに入り待ちに行ったのがきっかけ。(あの頃は上京したての大学1年生、ようやく自我が芽生え始めたばかりのクソガキ馬鹿野郎だったということでどうかご容赦いただきたい……)

それから数週間後、TOKYO FMの周年イベントで東京タワーの展望台から生放送をするというイベントがあると知り、駆けつける。その時も観覧の中にいる僕を見つけてくれて手を振ってくれたことを今でも鮮明に覚えている。

先日、ふとブックマークの整理をしていたところ、5年前の遠山さんのブログが残っていた。それは「DVDを1万枚売らないとよしもとを解雇になる」という企画でDVDの手売りをやっていた時期の記事。その頃ブログの記事にはその日の手売りで売った枚数などが書かれていたのだが、ブックマークに保存した日の記事には、明らかに自分のことを書いてくれている表現があった。

すっかり忘れていた。

2014年春、大学を卒業したのに就職先が決まっておらず、かといって普通就職して働く気はなく芸人になるため養成所に行きたい(だから就活も1、2年働いてお金貯めるかな…という気持ちでなんとなくやっていた)、でもその覚悟もなく親を説得する気力もなく、何をどうしたらいいのかわからず、本当に病んでいる時期があった。そんなことで「病んでいる」と言ってはいけないのではないかと思うほど情けない話だが、当時は本当にきつかったし、本気で死のうと思っていた。あの日々を思い出すだけで吐きそうになる。

新宿駅東南口を降りた広場、今は観光案内所になっているところが当時はまだ工事中で、白い壁に沿って遠山さんの手売りの列に並ぶ。自分の番になりご挨拶。「実は今日で実家に帰ることになりまして…」と話す。
今も住んでいる家を契約したばかりだったが、親との話し合いもうまくいかず、とにもかくにも実家に帰らなければならないことに。
遠山さんも驚き、ケースに力強く言葉を書いてくださる。いつかまた東京に戻ってきた時にはこのDVDを手に会いに行こうと誓う。


(実家に戻ったら戻ったでひと悶着もふた悶着もあり、2週間後にはまた東京に戻ってくることになるのだが……)


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ということを去年の7月、バッタリ遭遇した時に書いていて、最後をどうまとめればいいかわからなくなり一時保存していたが、その3か月後に2020年3月で退任の発表。あしざわ教頭退任の発表があってから、にわかに胸のざわつきがあったのだが、的中してしまった。


上のような経緯もあり、遠山さんには並々ならぬ恩義を感じている。「SCHOOL OF LOCK!」を聴き始めたのはやましげ校長・やしろ教頭の時代からで、やましげさんが退任して2代目の校長就任となって放送を聴いた時は、失礼ながら「誰なんだこいつは……?」と当時は思っていたと思う。「あの熱いやましげさんの後任なんて絶対務まるわけないだろ」とさえ思っていたかもしれない。でも放送を聴いているうちにやしろ教頭との関係性が見えてきて、自分と同じくPerfumeが好きなんだと知り親近感を覚え、何よりやましげさんに負けず劣らず熱い、本当にアツい人だということがわかってきて、気付いたら大好きになっていた。大学生になってはいたが本当に毎日聴いていた。年を経ていくと徐々に聴く回数が減ってきてはいたが、「あって当たり前」な、あの頃の「笑っていいとも!」みたいな存在になっていた。

自分が東京に出てきたのが10年前。遠山さんが校長に就任したのも同じく10年前。遠山さんが校長に就任したのがほぼ今の自分の年齢で、全国各地にリスナー生徒がいる番組のパーソナリティ、しかも校長になるなんて自分には想像もつかない。でも遠山さんにはその力があった。そういうことなんだろうな。

3/31の放送。オープニングで、「SOLがどういうものかわかった」と言っていたのは10年やり続けたとーやま校長しか言えない言葉。リスナーとの電話で「死のうと思っていた時とーやま校長の言葉で救われた」という話が合って、本当に共感した。上に書いた東京生活最終日の夜に会っていなければ、実家に戻って「そういう決断」をしていた気がする。

とーやま校長が最終登校日、放送までに聴いていたという全プレイリストも気になるところだけど、その日放送で流れた曲たちがまたとてもいい。リスナーと同じ年代に聴いていた奥田民生の「イージュー★ライダー」(→「素晴らしい日々」フェードアウトで放送終了)で放送を終えるなんてそんな素晴らしい最後ありますか。

最後の30分でじわじわ来ていたのに放送終了した瞬間涙がとめどなく出てきて嗚咽が止まらなかった。自分でも驚くほど大声で泣いていた。(そのあと新機長の福山雅治新機長のねっとりとした「ジェッ…………ットストリーム」で笑ってしまい涙も止まる)



書いていて、「俺、本当にとーやま校長のことが好きだったんだな」と思う。というかただのファンじゃねえか。


改めて、遠山さん。いや、とーやま校長。

10年間のSCHOOL OF LOCK!の校長職、本当にお疲れさまでした!!!!!

とーやま校長のかっこよくて、相手への愛情を感じるお声がラジオで聴けなくなるのは悲しいですが、とーやま校長もついに「未来の鍵」を見つけたことは本当に嬉しい限りです。

自分はこれからも一生、とーやま校長の生徒です!!!


本当は手紙を書きたかったけど、昨今のバタバタやらなんやらかんやらでそれもできず。なのでこの場を借りて感謝のお手紙ということで。


おそらくまたどこかでバッタリお会いすると思いますのでその時もよろしくお願いしまう。いつか同じ舞台に立てるようがんばります。とーやま校長の時にゲスト講師で出演したかったけど、まだ何も成し遂げていなかった。いつか自分のラジオ番組に遠山さんをゲストに呼べるように。そして一緒にお酒を酌み交わせますように。


したっけねー!



改めて当時の遠山さんのブログを見直そうとしてみたら、Yahooブログは昨年末に終了していて記事をみることはできなかった。スクショ残しておけばよかった。ひらぎし。

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