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vol.2_言いたいことは言おう
こんにちは。りゅうせいです。
またしても2週間空いてしまいました。
時が経つの早すぎですね。
さて、本日はぼくが10年前に意識し始めた「言いたいことは言おう。」ということに関してお話しします。
日本人の奥ゆかしさ?
一昔前にKYなんて言葉が流行りました。KY=空気が読めないという意味です。カカクヤスイじゃないですよ。
これは、日本人特有なのかわかりませんが、特徴ではあると思います。空気を読む文化。察する、更には間違った発言が笑われるのような文化です。
ぼくも小学生低学年くらいまでは、例にも漏れずシャイボーイでした。しかしながら、ラグビーと出会ったり、なんでもやってみよという教えの先生と出会ったりしたことで恥ずかしいと思う時間無駄だなと思うようになりました。
ちなみに、昔の日本男児は、多くを語らない方がかっこいいとされていたそうです。残念ながらぼくはおしゃべりです(幼少期の渋沢栄一のよう)。ぼくに関してはもう少し静かになった方が良いかもしれません。
禅、自社仏閣、美術館やラグビーのキックの前のように静寂の美しさもぼくは好きですが、何でもかんでも静かにしてればいいわけじゃないのです。無意識に我慢してしまっている考えがあるなら、溜め込むことはあまり良く無いと思うのです。
君は思考停止人間?
大学のゼミナールで、ディスカッションの時間がありました。まだ、ゼミナールも始まったばかりの頃で、「的外れなことを言ってしまわないか不安。」「誰かが発言してから発言しよう」といった気持ちがあったのかもしれません。発言があまり無いまま時間が過ぎていきました。
ぼくは、なんだこの無駄な時間はと思いました。
たまらずぼくが発言するのですが、ディスカッションは1人では成立しません。でも、みんな予習をしてきて、何かしら考えはあるはずなのに発言しないのです。
このように発信しないことは、側からみれば思考停止人間と思われてしまいます。すごい考えやアイデア、意見があったとしても、発信しないことには考えてい無いことと同じなのです。非常に勿体無いことです。
皆さんも今までに、発言できるが何かしらの不安があって発言しなかった経験があると思います。
ぼくもあります。なので、その気持ちはよくわかります。授業中、先生に当てられたくないので目線を逸らしたりしていました。
なかなか、自分の殻を破るのは難しいですが、破ってしまえばより、豊かな人生になると思います。
言わなきゃ損損!
ここまで文化の側面や、客観的な側面で話を進めてきました。最後はシンプルに、発信を我慢して損するのが1番後悔しませんかという話をします。
この世はまだまだ、声の大きい人の意見が通りがちです。権力がある人であったり、それっぽいことを言える人の意見が通ったりします。
「それは、ちがくない?まぁいいや。」
と、考えているあなたの意見が正しいことだってあるでしょう。その意見を言うか言わないかで、自分が被害者になる可能性を減らせると思ってます。
言うのはタダです。無反応は相手のいいように解釈されてしまいます。
発信することで、自分は組織に参画していると言う意識を、周りにはもちろん自分自身にも植え付けることができます。発言することによって責任が生まれ、自分の背筋もシャキッとします。
ぼくは、会社の会議でここぞとばかりに質問したり、批判したりしています。もちろん気になったから発言してますが、それよりも自己の存在をアピールする目的の方が大きいです。
少しずつ組織に参画することで、置いてかれないようにしています。
終わりに
言いたいことは言おう。常日頃意識していることですが、いざ説明しようとするといい例が浮かびません。
でもほんとに何も発信がない人って何も考えてないのかなと思われかねないので、恥ずかしがらずに発信してほしいです。
それが的外れでも、間違っていてもしないよりは何倍もマシです。笑われるかもしれませんが、笑ってる人もどうせ大したことないですよ。
本当にすごい人は、なんでも受け入れてくれます。
小さいことはあまり気にせず、我が人生を歩みましょう。
それではまた次のポストでお会いしましょう!
<おわり>
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