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Jwoc Sprint最高順位までの軌跡

0.はじめに

こんにちは。皆様初めまして、早大OC45期の入江龍成です。2021年オリエンティアAdvent Calendarの23日目を担当いたします。

   早いもので今年のAdvent Calendarも残り3日ですね。ありがたいことに記事のお話をいただいたので色々と自分の話が書けたらな~と思います。あんまり面白いことが書けないかもしれないので、気軽に読んで頂けると幸いです。記事がかなり自分語りになるので自己紹介は簡単にさせてもらおうと思います。

    あらためまして早稲田大学文学部3年の入江龍成です。多くの方はご存知かと思いますが、オリエンテーリングは大学から始め高校時代は陸上部に所属していました。今回はオリエンテーリングを始めてからの約3年間、特に今年のJwocまでの取り組みと軽く今後について書いていこうと思います。では暫しお付き合いください。

【目次】
1. オリエンテーリングとの出会い
2. 競技に向き合う
3. 強くなるという決意
4. 再びオリエンテーリングの世界へ
5. Jwocセレ~Jwocまで
6. JWOC Sprint
7. ジュニアからシニアへ
8. 自分への投資と難しさ
9. 終わりに

1オリエンテーリングとの出会い

   大学でオリエンテーリングに出会うまで私は高校時代まで陸上をしてわけですが、オリエン界隈で結構知られているようにちょっと有名な高校の陸上部に所属していました。そうはいっても別に大した選手ではありません。記録は全然伸びなかったですし中学からのスランプを若干抜け出したのは高3も終わる頃で、当時の自分にとってはちょうど陸上を辞めるいいきっかけくらいのものでした笑。高校3年間大きな故障こそなかったですが、常に小さな怪我や貧血があったり、摂食障害気味だったりと体も限界に近かったのもあります。まあ、こんな感じだったので大学ではスポーツはもういいかなぁくらいの気分で早稲田大学の新歓に行ったのを今も覚えています。
 

今は某ウイルスのせいで消えかけているチラシ配りを練り歩き、ラクロス部のゴツイ人達に囲まれ勧誘されたり柔道のゴツイ人に囲まれたりと(何故だ)新歓を受けた感想は正直どれも「つまらなそう」でした。そこでちょっと面白そうだったOCの新歓コンパに参加したところ、陸上の話を聞きつけた大石さんが別の卓から飛んできて「火トレっていうのがあるから来ない!?」と言われ、火曜日と木曜日のトレーニングをきっかけにOCへ入りました(火トレが裏トレなのは後から知った)。そんな感じでオリエンと出会い、競技を始めたわけですが最初に言った通り大学ではそこまで競技に打ち込むつもりはありませんでした。練習も基本的には気が向いたときに走りに行くかOCのトレに参加するくらいで今のように自分で計画を立ててやるようなことはしていませんでした。オリエンの結果はといえば、これもまあご存じかと思いますがミス率が高く、巡行が速いというよくいる脚キャラのLapをしていました。ちなみにですが1年の頃はロングが好きで次にミドル、スプリントが一番嫌いでした。(だって森は迷っても楽しいけどパークでミスしたら面白くもないと思いませんか?)

2.競技に向き合う

    そんな感じで特に熱心に打ち込むわけでもなく、オリエンテーリングEnjoy勢だった僕は1年の12月の出来事から競技に再度本気で向き合うことになります。その転機とはスカイランニングの代表に引っかかったことです。「オリエンテーリングじゃないのか」と思われるかもしれませんが、僕は高校時代に練習しても伸びず、後輩の代には才能の塊のような選手(皆さんご存知、オリンピックでも活躍していた順大M選手とか)ばかりだったので僕は上を目指す心が折れていました。それが自分の努力次第ではまだ手が届くのだと顔を上げるきっかけになりました。早生まれなのでJwocも3年までチャンスがありましたし、スカイランの方も選ばれた以上走力をつける必要がありました。
   

そこでOCのOBである尾崎さんの木トレを中心に練習を組み、週末にはロング走も共にして走力をつけていくことにしました。当時の月間は200弱でしたが(一般的なティアにしては多いのかな?)、それを400弱までまずは引き上げました。木曜日のスピード系トレーニングと週末どちらかのロング走を軸に、それ以外はJogとしテンポの良いjogとリカバリーjogの2種類、同時にオリエンテーリング練習も増やし早稲田のストリートマップを使いストリートOやラインOを組み込むことで地図のコンタクト、走ることと思考することの両立を頭に叩き込むようにしました。その効果は意外にも早く現れ、2019山リハリレーで初めてうまくまとめるレースを経験しました。勢いづいた僕はよりモチベーションを上げトレーニングに取り組んでいましたが、ようやくこれからというときに「アレ」が起こってしまいました。

3.強くなるという決意

―迷い―

   「アレ」とは…そう、新型コロナウイルスの流行です。これからEクラスに出てさらに技術を磨こうと思っていた2020年2月下旬から軒並み大会は中止、春インカレも無くなり3月の下旬には大会・クラブ活動含め様々な活動がいつから再開することができるのかすら分からないような状況になってしまいました。その中でも変わらずにトレーニングは続けていましたが、Jwocのセレクションも中止になったことで次に目標とするものが何も無い状態になりました。さらに緊急事態宣言が出ることになり、ただのトレーニングも場所を選ぶ可能性が出てきました。多くの学生が実家に戻るか、そのまま残るかの判断に迫られたと思いますが僕は練習環境の関係で実家に戻ることにしました。実家の周りには不整地もあれば山もある環境なので、今後の方針が固まるまでは練習形態は変えずスピード練を減らし距離走・jogで脚作りをしていくことに決めました。
   

当時からStravaに練習をあげていたので見ていた人もいるかなと思います。大体週100~110kmくらいでペースは少し遅め、のような感じです。僕が恵まれていたのは練習パートナーがいた点だと思います。サークルやクラブの活動が制限されていたので、高校陸上部で関東の大学陸上部に進学していた同期の多くが帰省をしていました。その中で連絡を取り合いながら、時には午前・午後の2回に分けそれぞれ別の同期と距離走を行っていました。同期がいない時は地元の愛宕山のトレランに行ったり、実家から嵐山にかけての旧道で峠越えを行ったり、ただの脚作りではなくアップダウンに耐えきれる脚を作ることに注力していました。しかし練習をいくら積んだとしてもそれがいつに向けてなのか、どの大会に向けてなのかははっきりしなかったのでもし練習を共にする高校同期がいなければ途中で折れていたかもしれません。


―決意―

   そうしてトレーニングに励み、宣言が開けるころにはトラックでスピード練習も入れ始めていました。夏頃には同期の多くは活動再開をうけ大学に戻り、オリエンテーリングの練習会も開かれるぐらいにはなっていました。このタイミングで僕も関東に戻るか迷っていました。ただこの頃、身体の状態は高校の頃に比べだいぶ良くなっていてトラックの自己ベストも更新していました。冬の練習をしていた時に、尾崎さんから世界のレベルの高さ・フィジカルの必要性を聞いていたからこそ僕はオリエンテーリングが出来ない間走力をあげるトレーニングを行っていました。しかし今の状態で世界とある程度比べたとして足りるのかと自分に問うた時に絶対に足りないのは明白でした。関東に戻れば技術を磨く機会は増えるかもしれないけれど、練習の質は落ちるだろうと思いました。
   

 実家と一人暮らしでは環境が異なります。三食バランスよく出てきて、アルバイトもせず練習にのみ打ち込める実家とは違い、一人暮らしを再開すればアルバイトの時間を割かなければ当然お金は無くなるし三食バランスよく食べることは難しいでしょう。悩んだ結果、僕は実家に残りさらにトレーニングを積むことに決めました。さらに夏休み中に尾崎さんと長野県菅平高原で合宿を行う中で、色々話をして次の目標として2021年のJwocで結果を残すことを自分の中で決めました。もちろん選考がある以上絶対行けるかは分かりませんでしたが僕が今までJwocに参加してきた人と大きく違うところは何かと考えた時に最も多く走力トレーニングに力を入れてきたことだろうと思いました。
   フィジカル面のアドバンテージは地図読みにおいてかなり大きいです。1km4’00で走ることが余裕なら技術も必要ですがスプリントでそのペースでこなすときに思考・判断に割けるリソースはそうでない人に比べ多くなります。そうすれば、ナビもルートチョイスへ割くことが容易になり後はその技術を上げるだけでよくなります。走力トレーニングを積むこと約10か月、ようやく次の目標が決まり、そこに向かってさらに練習を始めました。

4.再びオリエンテーリングの世界へ

   そうしてトレーニングばかりやっていた僕ですが、11月の全日本リレーに尾崎さんから誘われて参加することになり再びオリエンテーリング大会の会場に戻ってきました。僕が今後のオリエンテーリングで戦っていくために走力トレーニングに注力していたのを知っていたのは尾崎さんだけでしたが、久しぶりに会場へ姿を現したところ、「もうオリエン辞めたのかと思ったよ」と何人かの人には言われました。確かにインカレロングにも行ってなかったのでOCの人にもそう思われていたかもしれません。まあ無理もないかなと思いましたが若干悲しくなりました。そして約8か月ぶりのオリエンテーリングは驚愕の巡行96・ミス率47%という結果でした。一緒に組んでいた尾崎さんと加藤岬さんには申し訳なかったです。その1か月後のインカレスプリントは予選落ち、ミドルセレもセレ落ちと走力と引き換えにかなり技術は落ちていましたが元々そこまで無かったのでそこまで落ち込むこともありませんでした。
   

その後、1月には関東に戻り尾崎さん、橘さん、森清の4人で江戸川を拠点に日曜ロングランナーを結成しトレーニングを行い、そのトレと並行しながらオリエンテーリング練習も再開しました。コロナウイルスの影響で学生会館開いていなかったので1年生の時のように部室を拠点にしてストリートが出来ず、地図も部室にあるものが使えなかったので「使えないなら自分で用意するしかない」と考えその頃から自分でコースを組んで練習するようになりました。その甲斐もあり2月に日曜ロングランナーで全日本スプリント対策として実施したスプリント合宿ではそれなりにスプリントがこなせるようになってきました。翌週の全スプも結局は中止になってしまい、代わりに富津でハーフマラソントライアルした際には3’30/kmでハーフをペースメイク出来るくらいには走力もあり、技術がようやく少しついてきた実感もありました。

5.Jwocセレ~Jwocまで

―フォレストの成長―

    少しは技術があがってきたとはいえ、フォレストオリエンテーリングに関しては伸び悩んでいました。スプリント・フォレスト共に僕に共通していたのは上がった走力に対して技術がなかなか追いついてこないという課題でした。うまく嚙み合わないオリエンが続くなかで何かを掴むきっかけは4月のセレ直前、JOA合宿でした。2日目の上井出でのレースを本来であればジュニアの方を走るところをシニアに変更してもらい、1つ1つ自分が普段出来ていないことをレッグごとにこなす練習をしてみることにしました。上井出はかなり藪があると聞いていた通り、茨が多くいつものようにスピードが出ませんでした。それが功を奏したのか、いつもなら見えなかったものが見えましたし情報を取捨選択しつつ、自分のペースが上がってもこれは拾える、これは拾えないと自身の現状を整理しながらレースが出来たことでようやく自分の中で思考と情報の整理がつきました。Jwocセレはまだ掴んだばかりでミスをしてしまい、補欠になってしまいましたが補欠になったことでさらに結果を残さなければと火が付き、姫木ミドルまでのフォレストレースでやっと成績を残せるまでになりました。
(ちなみにですが、今の僕のフォレストオリエンテーリング中の考え方は今年のAdvent Calendarにも投稿されていましたが小牧さんの理論を基盤にしています。昨年冬のトータス合宿の夜メニューとコーチについて頂いて教えていただいたものを自分に合う形で変えていきました。)


―スプリントに賭ける―

    一方スプリントの方はといえばずっとナビが追い付かない、もしくは途中で先読みが追い付いてしまって終盤ミスをするということが続いていました。部室が開いてからはストリートマップを使った練習を自分で組んだものと部室にあるもの両方で行い、少しでも負荷を増やすべく立ち禁をかけたものも組んでいました。その中で尾崎さんからWOC練習したいからとコースを依頼され、過去のWOCの地図や近年の海外マップを勉強のために読んではコースを何本も作成しました。そのおかげなのか、野沢温泉の試走でスプリントをしたときにナビの技術は足りませんでしたがルートチョイスだけはルート数本を比較し全て正解ルートを選択することができ、ルートチョイスの思考が構築出来ました。
   

 そして7月の上尾OLC大会、8月のスプセレ対策練でようやく自分の走る速度にナビが追い付きルートチョイスに引き続きスプリント中のナビ・思考・判断の形が構築出来たこと、Jwocスプリントがどうやら走力が問われそうなことから、Jwocの目標をスプリントに置き身体を仕上げていくことに決めました。今でこそ、スプリントで注目されていますが最初のオリエンテーリングの出会いでも書いたようにJwocに向けて出国する数週間前までスプリントが最も苦手な種目であることに変わりはなかったのです。


―Jwoc黄色信号!?―

    フォレスト・スプリントともにようやくといっていいほど時間を要して、自分のオリエンテーリングが構築出来て意気揚々と準備をしていたときにアクシデントは起きました。出国1週間前、国内での最終合宿をJwocメンバーで行っていた時です。2日目に勢子辻、合宿も最後のレースでアクシデントは起きました。その時は悪天候で勢子辻は寒く、暗い状態でした。1→2にアタックし、フラッグの目の前で小さな小さな2つの岩の間に左足が入り、「バキッ!!」という音をたてて足首を捻ってしまったのです。多少の捻挫はよくあることだし走れたのでそのまま続行しようかと思ったところ、明らかに靴に足首が当たる、これはすでに腫れていると分かったので念のために中断しようと拠点に帰りました。そして拠点で靴と靴下を脱いだらしっかりと腫れていました…。出国日はもう目の前、これはやらかしたかもしれないと心の中ではめちゃくちゃに焦っていましたが人前では平静を装っていました(多分普通に焦っていたのはバレてそう)。
  

 そこから4日間治療に専念し5日目に軽くjogをして走れることを確認、遠征用具に痛み止めをした上でトレーニング先であるクロアチアに出国しました。


―クロアチア、トルコでのトレーニング―

   そんなアクシデントを起こしつつも無事に日本を出国し、クロアチアでトレーニングに入りました。クロアチアでは地元のクラブOK Vihorの方に協力してもらい、フォレストとスプリントの練習を行いました。クロアチアは競技のレベル自体は高くないものの地面が硬い山は経験できましたし、トレーニングだけではなく軽く街を散策して感染には注意しつつもJwoc前に良いメンタルコンディショニングが出来ました。最終日にはZagreb Openのスプリントを走り、長いスプリントとヨーロッパの市街でシティオリエンテーリングが経験でき、さらにずっと負けていた森清に初めて勝てたのは良かったです。
  

 他のメンバーから少し遅れてトルコに入国し無事に合流、ホテルの良さに感動すると同時1人部屋で広かったのでケアと筋トレがしやすいことに感謝していました。翌日からはトレキャンに入り、フォレスト・スプリント両方本番に向けてイメージをしつつ、スプリントを走るたびにスプリントで経験したことのない登距離の辛さに絶望していました。午前午後の二部練だったので、間はホテルで筋トレ・体幹とケアを行いつつ長めにシャワーを浴びて疲労が溜まり過ぎないように注意していました。トルコでのトレキャン中、ロングの練習を完走し登りをゴリゴリ走り、オリエンテーリングばかりだったのでスプリントに向けてスピードが落ちないように流しを多めにしているとウクライナの選手達に「Strong man」と呼ばれるようになりました(割と嬉しかった)。そんなこんなでトレキャンも終わりモデルイベントへと入りました。

6. JWOC Sprint

(ようやく本題のJwocスプリントですね、ここまでの経緯が長くて申し訳ないです…。ただ本番よりそれまでの方が個人的に大事だと思ったので許してください…。)

    今回の遠征中、スプリント本番に向けてスプリントについてずっと教わっていた尾崎さんと連絡を取り練習等を考えながら行っていました。モデルイベント前にも何を見て何を考えるかを教えていただき、同時今年のWOCに行っていた同期でもある神戸大の松本選手からもWOCの時、メンバー間で話していたことを教えてもらっていい形でモデルイベントをこなせました。ありがたいことにスプリントは登録のときに森清・金子が僕の希望を優先してくれたおかげで、スプリントはLateで出走することになりました。
    

    そして当日。いつもより早めに起きて朝練に、必要かどうか迷いましたがスタートが12時頃だったので一旦身体を起こしておく方が良いと判断してまだ暗いトルコの街を走り、日が昇るのを見て意外と緊張していないことを知り心身共に良い状態なのを確認しました。会場についてからも緊張感こそあれ、身体も固くならず決めた時間に補給を入れドリンクの減りも想定内、他国の選手と少し遊んで気分も余裕がありました。段々と選手が減っていきましたが焦りも無く、予定通りの時間からW-upを開始し、心拍も予定値まで上げられたので余裕をもってすべての準備が終わりました。オフィシャルの村越久子さんに送り出してもらってワクワクしながらスタート地区に移動しました。僕の時間にはもうスタートは1人ずつになっていました。珍しく心拍が上がることもなく、1分前に入ったのは今でも謎です。
    

    レースがスタ―トして地図を見た時、ミーティングでは坂と階段があるテレインで階段は避けたいという話が出ていましたが今回に限って言えば階段を使うことになると思いました(何故なら△→1がすでに階段が正解だったから…)。飛ばし過ぎずレースをスタートしいつも通り読み切ったら次を読み、先読み、先読み…。決めたポイントまで来たら一旦止めての繰り返し、ロングレッグはしばらく悩んだが結局階段は避けられないと思い、最短の真ん中を選択、3→4の間に8まで確定したがここで欲を出してしまった…。もう一度ルート検討し変えた4→5がミスルート、若干の後悔で意識が逸れたときに6→7でポストスルー。7が建物内側だからアタック方向から確認出来ないことを見逃していました。これでもう上位は狙えないだろうことは分かったので、頭を切り替え少しでも詰められるように冷静になりました。11のラジコン後、会場でチームから応援を受け後半のルートを11までに読み切っていたのでナビに集中してさらにギアをもう一段上げてラストの回しへ。気合でラスポ前14→15は1位ラップ、これで僕の最初で最後のジュニアでのスプリントは終わりました。
 

   後悔がないかと聞かれれば、悔しさないのが正直なところです。あの6-7のミスが無ければ10位台には乗れていましたし、他にも小さなミス含め1分近くミスがあります。しかし、たらればの話はしても仕方ないですしそれ以上にTwitterの盛り上がりやトータスLINEの盛り上がりを見て、日本で結果がなく無名だった状態から少しでも日本のオリエンティアに夢が見せられたのかな、と思うとそれは嬉しかったです。また自分の取り組み方が多少なりとも報われて、今後さらに上を目指したいと思えました。

7.ジュニアからシニアへ

Jwocの全日程を終えた僕は今後の目標であるWOC2022に向けて動き出しました。10月にあるデンマークでのトレキャンに尾崎さんが参加するのは遠征前から聞いていました。行けるなら僕も行きたい、しかしどうやっても資金が厳しい状況でした。そんな中、オフィシャルでありOC1期でもある村越さんに背中を押していただいてトレキャンに参加することを決めました。 

   帰国後、すぐに準備始めOBの皆様からJwocに引き続き多大なる御支援頂き10月にデンマークへ出発しました。トレキャン5日とランキングレース2日の日程で通常のスプリントの他、ノックアウトスプリントとラインOやメモリーOも含めた練習を行いました。特にノックアウトスプリントは尾崎さんから話を聞いていただけで実際の経験するのは初めてでしたが、圧倒的なスピードを体験しました。直線で2’55/kmペースでも置いていかれる、その中でも地図を読んで先を考えなければいけない、想像以上の世界でした。今まで日本で4’00/km切るぐらいでスプリントをしていましたが、予選を通過するならスプリントで3’30/km、ノックアウトスプリントで3’15-20/kmは必要だと思いますし、通過してからを考えるならこれで余裕を持つ必要があります。そして、コース自体も当然難しく脳への負荷は考えていたよりもずっと高いものでした。一週間こなして、多少慣れたといえど単純走力の差もあれば細かい回しや細かい切り返しの中でのスピード維持の差もありありました。自分が考えていたよりも、やるべきことはたくさんあることが分かりました。ただスプリントリレー練習の一環でマススタートをした時は3’35/kmでも正しい判断ができていたことから、自分自身の力もついてきていることも知ることができました。

   しかし帰国後、こなさなけばいけないと感じたペースと自信の現状の技術の差はまだ大きく、リレーの難易度で他にも選手がいればこそこなせていただけで今1人ではまだこなせない状態であり、そのギャップから調子を崩してしまったのでまたペースと技術の追いかけっこが始まったなと感じています。

8.自分への投資と難しさ

長々と自分語りをしてしまってそろそろ飽きている方もいるかもしれませんがもう少しだけお付き合いください。

さて、こんな感じで全くやる気のなかった1年生が今や本気で世界で戦うことを目標にしているわけですが学生の身でやっていくのはこれがなかなか厳しいものがあります。もちろん海外遠征がその主たる難しさではあるのですが、別にそれに限った話ではありません。

例えば普段の練習です。オリエンティアはあんまり靴とか変えない人が多いですが、靴にも寿命があります。何故寿命があるのかといえばそれ以上は足にダメージきますし、怪我のもとです。正しいタイミングで靴を変えることは重要なことです。次に練習の用途に合った靴を使うことです。Jogに薄底を使うとそれだけ負担がかかります。逆にスピード練習でjog向けのシューズを使うとそれはそれで負担です。練習もこなしにくいでしょう。また1つのシューズだけだと消耗もそれだけ早くなります。僕はjogで2足、スピード1足、ロング走1足、レース用2足としています。本当にそんなにいるのか、と問われれば正解があるわけではないので答えづらいですが最低でも用途別1足ずつある方が無難だと思います。   

普段の練習に必要な物は靴だけではありません。長距離の練習をしていると貧血は常に付いてくるので対策として鉄剤も使いますし、ハードなトレーニングをこなしていくには回復をさせていく必要もあります。僕は主にプロテインのみに絞っていますが、アミノ酸関連のものを買い始めるとさらに増えるでしょう。そこまでする必要性についていえば、強くなるためには自分の今身体に負荷をかけます。その負荷で傷ついた身体をリカバリーしての繰り返しだと考えています。負荷をかけるということは怪我の可能性は常につきまとう問題です。怪我をすれば、その間レースは出られません。また怪我によっては復帰後、筋力バランスを整えることから始める必要があります。その防止をするのは当然ですし、オリエンテーリングのような不整地走では筋力バランスのズレは致命的な怪我のもとです。また、高負荷であることから怪我の可能性も高いと考えています。普段のトレーニングと週末の負荷を考えるとリカバリーの必須だと思います。

また回復についていえば食事です。貧血の予防や筋肉回復の面から考えても三食の食事をバランスよく摂ることは大切です。これは実家であれば割と解決できる問題かもしれませんが、一人暮らしだと意外と難しいですし食費に換算するとそれなり高くつきます。

練習時間の確保も難しい問題です。普段の練習をコンパクトにすることは可能ですが練習強度が高くなればその分しっかりアップとダウンをしなければ怪我に繋がります。またロング走、LSDなどの距離走はそのままメイン練習時間が長く1回2時間弱かかります。そして一部練なら1日のうちどちらかでいいですが、二部練をするなら午前午後両方時間が取られることになります。先ほどの練習にかかる用具や食事についてのところで分かるように競技に力を入れて練習を組むほど自分に投資する費用もかかります。そうなればアルバイトでお金を稼ぐわけですが、長い練習を組み込むことが難しくなります。二部練習にすれが尚更です。僕は練習を一部練とし、それ以外をUberの配達でバイクを漕ぐことで代わりとしていますが正直どこまで効果があるのかは分からないところです。また自転車にしているもう1つの理由は立ち仕事では足に負担がかかるからです。まあこれは様々な意見があると思いますが、一時期立ち仕事していたときは練習にはマイナスだと感じたので僕はそうしています。

学生の身で自分に投資するには限界があります。普段の練習やそれにかかわるものだけでもそれなりありますし、そこに加えて遠征があり特に海外遠征は難しいです。コロナ禍になってからはさらに費用がかかるようになりました。しかし海外遠征でしか得られないものも多くあります。また似たような環境を日本で確保することの難しさもあります。日本で似ているといえばキャンパスくらいではないかと思います。そしてスプリント自体歴史が浅く、また段々とレベルが上がっている現状で体験しないと同じレベルを日本で経験することの難しさも感じます(インカレのレベルは高かった)。同時に誰かからの投資に対してどう返していくのかを考える必要もあると思っています。スポンサーがついている選手が結果を残すことや衣服などのギアを使うことで広告塔としての役割を負うように関係者からの支援といえど我々が選手である以上は同じように責任があると思います。Jwocではオリエンテーリングの関係者の皆様・寿会の皆様から、デンマークであれば寿会の皆様から御支援を頂いて遠征ができました。返すものと考えるならばJwocは結果、デンマークだと来年のWOCでの結果であると思います。その点でいえばJwocは不甲斐ない結果でした。そしてWOCに関しては今以上の努力が求められると思います。

自分で自分に投資すること、誰かから自分に投資をしていただくこと、両方それ相応に難しいことです。自己満足かもしれませんが、僕はそういう考えでやっているということと、そのような難しさがあることを理解いただけると幸いです。ただ自分自身の知識の無さ、勉強不足もあるだろうとも思います。

ここに記したことはごく一部ですが、練習に関わることだけでもこんな感じで気を付けることや考えることは多々あります。特にジュニア世代の選手はまだ身体も成長している状態であり、怪我も含め身体のトラブルはよくあります。オリエンテーリングについてのあれこれも大切ですが、こうした基本的な用具に関することや栄養のこと、怪我やケアについて、ウォーミングアップ~クールダウンなど是非自分から学ぶようにしてもらいたいなと思います。今後もし競技を継続していくのであれば尚のこと身体が資本です。酷使すれば後々身体に跳ね返ってくることはよく聞く話です。

9.終わりに

さて本当に長い間お付き合いいただいてありがとうございます。もうそろそろ記事を締めたいなと思います。

今回、Advent Calendarの記事を依頼していただいて、まあ書くのであればJwocのスプリントについてだろうと思いました。そして何を書こうかと考えた結果、自分が何を考えて、どういうプロセスを持ってJwocまで走ってきたのかを知ってもらいたいなと思いました。

少なからず競技をしている人はどこかしらに目標を置いて日々を過ごしているのではないでしょうか。学生であればインカレ、人によってはWOCやユニバー、アジア選手権もあるかもしれません。学生ではない人にとっては全日本やその他、自分が頑張りたい大会などがあると思います。ただこういった情勢ですので今後また思うように活動ができない日が来るかもしれません。またコロナウイルスに限らず、生きている以上何かしら思うように努力ができない時もあると思います。僕の高校時代がそうだったようにあとから振り返ればもっとやりようがあったとしても、その当時の自分にとってはそれが精いっぱいに感じることもあるでしょう。そんなときに先も見えない中で馬鹿みたいに練習ばっかりしているような人間もいて、ちょっとだけ結果も出ているみたいだしもう少し頑張って練習してみようかなくらい思ってもらえたらいいなと個人的に思っています。あとは今後続いてくるジュニアの世代に何か少しでも繋げたらいいなと思います。

はい、拙い文章で長時間ぺらぺらと自分語りをしてしまって申し訳ありませんでした。こんな記事需要あるのか?と途中から思いつつも、こういった自分の考えや取り組みを人に伝えるような機会も今まで無かったので少し思い切ってたくさん書いてみました。

今回記事のお話を頂いた小柴さん、素敵な機会をありがとうございました。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。今後も世界で戦えるように努力して参りますので応援していただけると幸いです。


ではまたどこかのオリエン会場で会いましょう!




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