よく見つけたな



絶対さぁー、俺のこと好きやん??
だってTwitterで告知してないよ??


………………………


すみません、調子乗りました、、
ちょ待って、前の画面に戻らないで🥺


この記事、実は以前衝動に駆られて書いたものの途中で放り投げたものです。最近になって見返したら、パイセン!w キツイっすよwと俺の中の三枚目が阻止しお蔵入りしようとしたものの、やっぱり載せることにしました。



マジすげぇ唐突だけど、書きたくなった。あるやん?そういう日って。いや、そういう時にしか俺は更新しないか。今回はぜってぇ短く書く。


 

今日はいつもの研究室の後輩を母校のくら寿司大学西陣キャンパスに連れたあと、薪で風呂を焚いてるすっげぇ古い銭湯でサウナ&水風呂キメて、酒飲みながら相国寺内をふらふらと歩いた。

 

 

帰宅後も酒を飲み、修論をやらなければいけないのにYouTubeをつけ、いつものようにお気に入りのえびすじゃっぷとチャンネルがーどまんの動画をゲラゲラ笑いながら見ていた。

 

 

ここで急に、先日救急車を蹴り上げて逮捕された鬼束ちひろのことを思い出す。彼女の曲を聴きたくなり、検索し再生した。曲名は「いい日旅立ち 西へ」。「いい日旅立ち」と言えば山口百恵の曲だが、それのカバー版の曲である。

 
 

聴いているうちに、親父の故郷のことを思い出した。なぜならこの曲は、郷里へと向かう山陽新幹線に乗ると流れるもので、ある時期まで毎年末聴いていたからである。

 

 

山陽新幹線とは、新大阪から岡山や広島、山口を通り博多までを結ぶ新幹線のことであるが、この区間の各駅停車しか止まらない弱小駅から車で40分のところに、親父の故郷がある。小・中学生の頃は毎年末にワクワクした気分で新幹線に乗り、神奈川から片道約5時間半かけて、祖父母に会いに行っていた。そうしたワクワクした自分を迎え入れた新幹線車内でかかる曲が、「いい日旅立ち」であった。この曲を聴くたびに、これから遠いところに住む祖父母に会いに行く、いとこにもたくさん会える、なんて最高な曲なんだと、幼心で思っていた。「ハレ」の曲とも言える。

 

 

年末ということで、祖父母の家には多くのいとこが集った。いとこのうち、親父の弟家族は子供が6人と数多く、たいそう賑やかだった。地元名産品のふぐ料理が出ることは当然なかったが、駐車場でバーベキュー大会をしたり、近所の今にも潰れそうなバッティングセンターに行ったりと、最高に良い思い出を作り、年明けにまた新幹線に乗って帰る。当然ながらめちゃくちゃ寂しい。そんな寂しい自分を迎え入れる新幹線車内の音楽は、いつもの「いい日旅立ち」。なんて罪な曲なんだ、と思った。

 

 

しかし、中学2年生以降、「大人の事情」の一点張りで西に行くことはなくなった。そして高校2年生の春に、祖父が亡くなった。「大人の事情」とは言え、葬式のために数年ぶりに西へ向かった。葬式会場の雰囲気は最悪だった。むかし仲良くしていた家族やいとこ同士が、大喧嘩をしていた。特に仲が良かった同い年の親父の弟家族の子とも、この会場の気まずさと思春期なのもあってか、まともに喋ることは叶わなかった。

 

 

「もう駐車場で、バーベキュー大会をやることはないのかな。」

 

 

能天気な俺は親父に問いかけたが、「わりぃな」の一言だった。もう二度と、中国地方には来られない。この葬式会場の雰囲気がそう語っていた。悲しくて、悲しくて、仕方がなかった。「大人の事情」って何だよ。ふざけんなよ。そして西へ訪れることはなかった。今年の3月までは。

 

 

俺の長い長い学生時代の目標の一つに、47都道府県すべてを訪れるというものがあった。今年の4月に宮崎県を最後に、すべて訪れた。そして宮崎県から京都までの帰り道に、10年以上訪れることのなかった親父の故郷に行った。「大人の事情」がどうであろうと、祖母のこの先は短い。このまま会わずにして最期を迎えたくないという俺のガキンチョ魂が働いてしまったのである。

 

 

北九州の小倉駅から本州へと向かう山陽本線に揺られてしばらくすると、懐かしい景色が見えてくる。無人駅、ゆめタウン、ヘルメットを被り自転車を漕ぐ中学生、街灯が一つもない田舎道、野犬。さすがにこいつは怖い。そして、10年以上訪れることのなかった故郷の最寄り駅に到着すると、昔の光景が広がっていた。昔と変わらない車で、俺を迎えに来てくれていた。親父には祖母に会いに行くと伝えていたのだが、まさか迎えに来てくれているとは思いもせず、驚いた。

 

 

10年ぶりに会う祖母は身体が弱り切っていたが、あの頃と変わらない声で俺の名前を呼び、抱き寄せてくれた。俺はめちゃくちゃ涙を流した。これを書いてる今も、思い出したら泣けてきた。車内では昔話に花を咲かせ、楽しかった「あの頃」を思い出してきた。

 

 

「もうバーベキュー大会はできないんよ」、分かりきっていたことだが、改めて言われるととても悲しい。「代わりにばあちゃん、魚がぶちうまい店、知っちょるけぇ」と、夕日の山陽道を走った。店では「大人の事情」について色々と聞いた。

 

 

ところで、あの頃仲良くしていたいとこ達はなにをしているのだろうか。特に、一番上の兄ちゃんは昔からカッコよくて、俺の憧れだった。会いたい。久々に喋りたい。そう言うと祖母は帰り道に会わせてくれた。祖母の家の近くに住むいとこの家を訪ねると、出てきた。兄ちゃんである。10年以上も会ってないから、すごく大きくなっていた。

 

 

「おう、久しぶりやの」、その一言でうれし涙が出そうになったが、すぐに引っ込んだ。あまりの変貌ぶりに、ただただ驚くことしかできなかった。度が過ぎた「ヤンチャ」になっていたのである。話を聞くと、現在は水商売のスカウトの仕事をしているようだった。その仕事の影響からか、女性とのトラブル問題が非常に多く、荒んでいた。そしてこれが、「大人の事情」に一部関係していたことを知った。たったそんなことで、あの日々は奪われたのか。なにが「大人の事情」だ。怒りと悲しみの感情が、同時に込み上げた。翌日、なんとも言えない気持ちで俺は山陽新幹線に乗り、京都へと帰った。そんな俺を受け入れてくれた曲は相も変わらず、「いい日旅立ち」だった。

 

これ書いてる途中で酔いが醒めて全く筆が進まなくて最悪だった。やっぱり俺はこういう文体で書くの苦手やな。てか、こんなんしてるなら修士論文書けやって感じですね。がんばりまーす。あーい。


*ちなみに岡山駅の山陽本線下りホームでは、電車の接近音で「いい日旅立ち」がめちゃくちゃカッコよく流れるので、機会があったらマジで聴いて欲しい。駅の音楽でダントツにかっけぇんすよ。福島駅の「栄冠は君に輝く」や本厚木駅の「YELL」、茅ヶ崎駅の「希望の轍」も好きなんだけど、ナンバーワンは譲れねぇなあ。

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