原始スイスの反乱同盟軍による、戦術革命

それまでのヨーロッパの戦争と言えば、騎士、つまり貴族階級が率いる重装騎兵の軍団同士の戦いだった。そんな事知るか、とばかりに森の高い所から丸太を転がして騎兵を混乱に陥れ、大した装甲もない歩兵を密集させ常識はずれの長い槍を持たせて突撃させた。この新しい戦術により訓練されたハプスブルグの騎兵軍団は散々に敗北、戦争の歴史とスイスという同盟勢力が神聖ローマ帝国内において台頭してくる、歴史的な転換点となるのが、1315年のモルガルテンの戦い、である。

[ひとつの]重要で永続的な発見はスイス[における戦い]でなされた。[彼らは]装甲をつけていない兵士が持つ7フィート(2.14m)のハルバードが、装甲をつけた 重騎兵(中世)(英語版)を打ちのめすことができることを学んだ。先端が小さくとがった18フィートのパイクが彼らのハルバードの一部の代替として著しく適していることも学んだ。 もはや騎士の槍は届くことがなく、どのような騎士軍よりもより強い結束力を発揮し、スイス軍は、装甲をつけていようといまいと、数で圧倒することで、直ぐに装甲重騎兵打ち破ることができるようになった。パイクを用いた集団戦術隊形の発明により、スイスは近代歩兵部隊のモデルとなった(Wiki)

18フィートのパイク。
これです、これ。強そうです。 欧州の武器の解説より

この戦いの勝利により、1291年に成立していた永久盟約というわずか3州の同盟が強固なモノとなり、事実上のスイス連邦の形成となっていく。この後100年単位でずっと帝国と対峙して戦う度に勝利していくこの同盟勢力。
スターウォーズのようですね。というかスターウォーズそのものです。

この戦いを通じて、騎士階級は没落していく。

見逃せない要因として、この貴族軍団が反乱軍を討伐する事を名誉に思っていなかった、そのために戦意に乏しかった点があるのではないかという点。世界史においてはしばしば、およそ、負けるはずのない正規軍、それも大兵力の正規軍が時として雑兵とも言えるレベルの反乱軍的な勢力に負ける事があるが、そのような場合には同じような特徴が共通して見られる。つまり、正規軍の側が油断しているか、戦う意味を見出せずにいるかだが、いずれの場合も戦意が最初からないのだ。対する反乱勢力は暴発に至る理由、反乱する理由があり挙兵したからには負ければ死あるのみでつまりは壮絶な覚悟がある。

日本においても幕末の長州藩内における内乱である高杉晋作率いる奇兵隊の挙兵と藩正規軍への圧勝、にも類似点が多い。藩の高級武士達が率いる反乱討伐隊は武装農民集団が武士階級にたてつく等問題外だと思っており、大喝すれば戦意を喪失するくらいに思っていたが、奇兵隊を率いていた高杉と山縣(後の山縣有朋)はそのような容易なリーダーではなかった。奇策に次ぐ奇策、負けたら後がないという背水の陣からくる異常な士気の高さ等が働き、結果は長州藩正規軍の大敗、武士階級が市民軍という日本史上初の概念からなる一党にやぶれ、没落し、それが数年後の幕府転覆、武士階級の廃止、近代日本陸軍の誕生、と繋がっていくのは偶然ではない。陸軍の事実上の創業者は(高杉が死んだからだが)「奇兵隊というベンチャー」の創業メンバー・初代COOとも言える山縣有朋なのである。

戦術革命に話しを戻すと、奇兵隊の武装は軽装で機動力重視、中世鎌倉時代の武士武装の正規軍を打ち破ってしまった のも共通している。

士気と戦術革命が合わさったとき、起こるはずがないと思われる事が起こる。

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