牛丼に罪はない

タイトルのとおりで、今日の昼に吉野家行く。
朝食はプロテインのみで凌いでおく。
特盛+豚汁+半熟卵+お新香
これだな。

さて本題に入ります。
吉野家の例の元役員はクソ野郎だったが、なぜ企業経営者に人格者であることを求めるのか?
政治家やアスリートも同様だが、パフォーマンスさえ良ければ性格や人格はどうでも良い。
医者や弁護士もそうだ。
もちろん、パートナーとして選ばれないかもしれないが、圧倒的に優秀であれば問題ないはずだ。

そう、経営者の人間性と『企業』や『商品』との因果関係はない。
大企業になるほど、これは成立するはずだ。

本当に経営者に人格を求めるなら、普段から商品の質とかブランド関係なく経営者の人間性の良さで買ってるんだよね?
そんな人いますか?
解任された元役員はクソ野郎だが、選ぶときも間引くときも同一基準であろうよ。

また、今の吉野家を叩いてどうなる?
ニュースを見て嫌な気分になり
「そんな店使いたくない」
っていう人がいるのは理解できる。
そんなところに行く必要は無いし、そんな人と一緒なら俺も行かない。
でもさ、それを拡散する意味や意義が本当にあるのかい?
特に今回のケースでは当該役員は退職して、吉野家を叩いてもクソ野郎本人に届かない。
本人はノーダメージなのに、それでも不買という手法を用いて吉野家を叩く理由はなんだろうか?
親が憎けれゃ孫まで憎いの?
ものすごく大勢の人を困らせる覚悟や自覚はある?

そもそも不買運動は抗議のための手段であるはず。
それが全くの無意味なのに拡散する意義が全くない。

俺は吉野家行く。
最近まで経営陣にクソ野郎がいたけど、クビになったみたいなので問題ない。
シンプルに牛丼チェーンで一番好きだ。
牛丼に罪はない。

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