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建築家の家で育つ アシタノイエ

 僕の父である小泉雅生(正確には小泉アトリエ+メジロスタジオ)の設計した自邸、アシタノイエに約15年間住んだ。父とこの家の影響を受けてか受けずか僕も建築の道に入り、初の担当作である八戸市新美術館の現場に常駐するため、26歳にしてようやく家を離れることになった。自己紹介の意味も込めて僕の半生を振り返りつつ、拙いながらも自分の中でのアシタノイエを総括したい。基本的な写真や図面などは「アシタノイエ」で調べれば色々と出てくるので割愛する。

 アシタノイエが出来たのは僕が小学5年生の時だった。この家でまず特徴的なのは家全体の欄間部分が空いていて音も視線も筒抜けであること。それまではマンションに住んでいて僕を含めた兄妹3人で大部屋で雑魚寝していた。なので引っ越した当初は自分の部屋があるだけで満足で、完全に閉じた空間がトイレくらいしかないことにはそれほど抵抗なく馴染めた気がする。これはシェアハウスもしくはドミトリーで生活するような感覚で、家族の間には独特の距離感が生まれていったと思う。プライベートなことから何から全て共有されて親密になるというよりは、意識的にある程度を隠すようにもなる。

 それでも家にはよく友人を招くようになった。父は建築家や学生を招いて見学会や歓送迎会をことあるごとに開いていたし、ネットで調べれば自分の家の画像が出てくるということからも、僕は住宅というものを単なる家族の領域としてではなく開かれた場として認識するようになっていた。

 建築を学ぶことに決めたのは高校3年生に上がるタイミングで、家にあった建築雑誌や書籍で勉強を始め、そのまま藝大建築科に進学した。大学に入って初めての設計課題で取り組んだ住宅はなんとなく自宅に似ていて、道行く人がふらっと立ち寄れるようにしたり、2階に寝室とダイニングと屋上を作っていた。あまりにも似ていることに気付いて途中で案をガラッと変えてしまったけれど。

 小さい頃によく家族や親戚、父の友人の建築家たちとキャンプに行った。寝室としてのテントと、ダイニング・キッチンとしてのタープ、あとは広い自然。これがおそらく父と僕ら家族の生活の原風景なのかもしれない。アシタノイエの2階はまさにそんな風に作られている。ちなみに家にいる時、父はやはり2階で過ごす時間が圧倒的に長い、気がする。帰宅し、晩酌し、朝起きると屋上で芝や植木の手入れをする。僕らは1階から、ダイニングの床の隙間から覗く足や屋上の足音で何となく親の存在を感じながら過ごす。

 1階部分も、ある意味で自然の中にいるような空間だ。隆起する屋根、林立する細い柱による見え隠れ、採光、温度、空気の流れによってワンルームの中にも微妙な質の違いが生まれる。室名ではなく居心地によって定義される空間として作られている。家には家具が少なく生活感がないと言われることが多いけれど、それも家具のような機能ではなく建築空間自体が拠り所となっているからなのかもしれない。

 こうして考えてみると、この家をはじめ父の建築の多くで取り入れられている環境に対する配慮もまた、自然の中で快適に生活するための知恵の延長というような感じがする。エコロジーということ以前に、身の回りの自然や環境とその変化に意識的に生きること。暑がり、かつ冷え性でもある僕の体質もそんな家で育まれたものなのかもしれない。

 余談だが僕が大学1年時に作った椅子は今でも家に置いてある。名作椅子をリデザインするというもので、僕はマッキントッシュのヒルハウスチェアを自分の家に置くように作り変えた。これも自然の中にいるように、その時々に心地よい場所で時間を過ごす生活観が根底にあるような気がしている。デザインの良し悪しは別としてとても気に入っているのだけど、ちょっと邪魔なので八戸には持っていけない。

 その後の自分が作ってきたものは、今になって振り返ってみると、この家の影響をもろに受けているようでとても気恥ずかしい。公共性=他者との関わり方について考えつつ、リテラルに山を作ろうとしたこともあったし、卒業設計も清掃工場を通してエネルギーや消費をテーマにしたものだった。

 アシタノイエでの生活を刷り込まれた僕はヒヨコのようによちよち後を追ってきたけれど、そろそろ1人で進む先を見つけなくてはならないし、なんなら自分の卵を産まなければならない。

 そして、今は冒頭にも述べたように八戸市新美術館の設計に関わっている。現場が始まっており、順調に進めば来年には竣工する。その過程もここか、何かしらの形で発信していくつもりでいる。

 竣工から15年経ったこの家について再び考えるならば、この家がそれからどう使われていた、という答え合わせのようなことだけでなく、実際にこの家の設計に携わっていた古澤大輔氏(リライト_D)や門脇耕三氏(元首都大学東京小泉研究室助手)の自邸にどう接続できるのか、この家で育ち社会に出た兄妹3人がこれから何をしていくのか、そして家に残る父母がこの家とどのように付き合っていくのか、という展望まで射程を延ばすことができたらと思う。

 建築の力というのはやはりとても大きくて、僕自身の価値観やパーソナリティにまで大きくを影響を及ぼしている。もし違う家で育っていたならば、今頃は一般大を卒業しそれなりの企業に勤め結婚して安定した生活を送っていたかもしれない。あるいはせめてゼネコンとか。そんな可能性は遠目に見つつ、今の僕なりの「明日」へのちょっとした決意も込めて、この文章をここに残しておくことにする。

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93生, 12麻布高校卒, 17東京藝術大学美術学部建築科卒, 17〜タカバンスタジオ / 八戸市新美術館建設工事現場常駐中
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