【「いまいちよくわからないワードや文」がちらほらな文章。つまり、自分にとってちょっと難しくて分かりにくい文章を常に読むことが大切だと思います。簡潔で、分かりやすい文章ばかりを摂取していると脳味噌は「現状維持」と言う名の退化に見舞われます。そしてそれだけにとどまらず、洗脳されやすい脳みそになりますよ。これは。。忠告です。そして自戒です】


と、自分史上最高に長ったらしい題名をつけましたが。。

常に、ちょい難しい文章を読むのが大切だと思います。
転じて、ちょい難しい情報に触れるのが大切だと思います。

今の時代、分からんワードが出て来たらググれば良い。
ウィキペディアもある。
ウィキペディアをよく見ればすれば、

「定説」「エビデンス」

などといったものも所詮は誰かの主観だということがわかると思います。

学会など、何かしらを定める機関というのもまた、結局は人間の集まりであり、そこには政治もあれば、個人的な事情感情も存在するのです。

否定しているのではありません。
人間ですから。
当然そうだと言っているだけ。

私はこのコロナ禍におけるバカバカしいバカ騒ぎにおいて、

あえて「主犯」というものを

仮に「主犯」というものを

設定するとするならば、

実はそれは情報を発信している側ではなく、
情報を受け取る側の人々なのでは?

という仮説のもとこれを書いています。

ともすれば

「専門家と言われる人々の無能とエゴがこの騒ぎを巻き起こした」

と、解釈されかねない昨今の世界の状況ですが。

いや、専門家も人間ですからね。
パートナーもいれば家族もいるかもしれないし、スネに傷があり誰かに弱みを握られ、その弱みを握っている人の言いなりになっているとも限らない。

というか、それは社会人であれば皆そうでしょう。

どこかに属していれば「おかしいな」と思っていても逆らえない。
どこでもそうでしょう。
会社員などその典型です。

話を戻すと。。

集団の論理により「おかしな情報」をながさざるを得ないのもまた、人間ではないでしょうか?

ならばこそ。

そのあたりに思いを馳せた上で、

受け取る側の方こそ、責任と立場を取り、この人間社会の業を背負うのもまたよろしいのでは?

と思い、この謎文章を書いております。

であるならば情報を受け取る側は、情報を受け取る力を増強する責任がある。

「わかりにくーい文章はスル~」
「長いだけで読む気しないよね〜」

こんなあり方ではその責任は果たせないと私は愚考するのです。

表題に挙げたように、つねに自分の文章力の1つ上のレベルの文章、情報に触れ、

「読解するのではなく解読する」

それくらい覚悟を持って、情報を受け取る者としての責務を全うすることこそが、この現代の、

資本主義の原理というものに徹底的に支配され尽くした世の中において、

重要なのではないでしょうか?

そんな気が致します。

この文章を書くきっかけになった文章をシェアします。

http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/2046858.html?fbclid=IwAR27_TO5cil0MW097ozUJpMW1XJLme4SW86-f8dFKYil1A_gyHVU3miSrdg

久しぶりに硬骨な文章を書いた気がして、恍惚です。

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