バレンタイン

僕のバイト先のタイ料理屋に、本当に優しい、田舎のおばあちゃんみたいなコックの人がいる。僕が出勤する度、毎回

「สบายดีไหมคะ(サバイディーマイ)」

と聞かれて、僕は

「サバイディー」と答える。そうすると、コックは嬉しそうに

「Yeah!!👍」って、とてもおばあちゃんともタイ人とも思えないテンションで言ってくるので、それに合わせて僕も「Yeah!!👍」と返すんだけど、僕は、「สบายดีไหมคะ」の意味も、自分で言ってる「サバイディー」の意味も全く分かっていない。僕は毎回なんの会話をしているのだろうか。返し方はこれで合っているのだろうか。

最近、よく人と歯車の話をする。人をそれぞれ歯車に見立てて、社会や周りの人間関係に当て嵌めたりする。歯車は回るスピードも、歯の数も人それぞれで、それがピッタリ合う人はきっと世界で探しても数人しか居ないと思う。自分1人でずっと回っていたっていいし、嫌いな人からは離れていたっていい。それは自分次第だと思う。でも、奇跡的にピッタリな人が身近に居るなら、その人が自分の人生に必要だと思うなら、隣で回っていて欲しいと思う。相手が離れようが、わざとペースを崩そうが、それはその人次第だけど、僕にとって必要な人なら、そんな人と居れる奇跡を信じたいと思う。いつか僕もその人の必要になれればいいなと思う。でも、きっとそれを押し付けちゃダメだ。歯車もいつかは錆びて、欠けて、上手く回らなくなってしまう。生きてる途中で形も変わってしまうかもしれない。それでも、回る原動力となる感情があれば、きっと大丈夫。長く感情を保ち続けるのは、難しいことだと思う。真っ直ぐいる事と一緒だ。でも、回り続けたいと僕は思う。真っ直ぐいたいとも思う。そんな人でいたい。だからこの感情を大切にする。例え、奇跡が起こらなくても。

久しぶりのブログになった。曲作りからライブまで2020年になってから忙しくて、中々書く気になれなかった。バンドで会うことが凄く多くなって、話す事も多くなって、自分の中での音楽というものが明確になった。僕はきっと、どうしようもなく、誰かの何かで居たくって、それでいてどうしようもなく、平凡だ。でも、平凡でないと分からない事もあると思うから。多分、人にはそれぞれ役割があって、生きていく途中で何をするべきなのか、見つけていくんだと思う。それを見つけられなかった人、もしくは探さなかった人は、ずっと違和感を持ちながら生きるのだろうし、見つけられた人は、いくら貧しかろうが、忙しくかろうが、輝いている。僕は、見つけたと思う。いや、そう思いたいだけなのかもしれないけど。僕は、アーティストでいたい。でも、それだけに囚われずにいようと思う。一つに固執する事で、視野が狭まることを最近学んだから。周りを見ながら、誰かの何かで居れるように頑張りたい。出来れば、あなたに応援して欲しい。

僕が音楽をやりたい理由に1つ確かなものがある。皆にもあるかどうか分からないけど、僕はたまに、やる瀬のない孤独を感じる事がある。それはファミリーと話したとしても、苗字も知らない可愛い女の子と一晩過ごしたとしても、埋められないもので、ずっと悩んできた。きっと性格も原因にあると思うけど。その孤独の中で、人と繋げてくれるのは僕にとって音楽だった。音楽は特に人それぞれの正解を提示してくれるものだと思う。昔のロックスターが書いた歌詞も、今流行りのアーティストが書いた曲も、聞く人によって捉え方が違うし、人それぞれにその時の自分の感情の正解みたいなものを提示してくれるように感じる。僕自身それに凄く救われたから。だから、僕もいつしかそんな人間になりたいと思った。この前覚悟を決めた。僕の作った音楽が誰かの中で存在してる事で、感じる孤独を無くしてくれる。曲を作る上で、思い出したくもないこと、封じ込めていた事を自分の深くまで入っていく度、感じるのは苦しいけれど、そんな時に支えてくれる人も、今は居るから。少し頑張ってみようと思う。

この前、今までの投稿を読み返して、いくつかの投稿を消した。なんか恥ずかしくなってしまった。僕は、言葉には形があると思っている。輪郭をハッキリさせる前に感情のまま言葉を綴ってしまうと、本来伝えたかったニュアンスとか、言葉が持っている美しさみたいなものが消えてしまうように感じる。感情に呑み込まれてしまって、結局何が言いたいのか、何を伝えたいのか、がぼやけて流動的になってしまう。消したブログは、見る人によってきっと捉え方が極端に違うし、何が言いたいのか理解できないまま、込められてるよく分からない感情だけが伝わるものだったと思う。一時の感情に任せて、思いを綴っていたからだと思う。恥ずかしい。僕はまだ19年しか生きていないけれど、ここ最近、言葉での後悔を沢山している。きっと、感情をちゃんと形が分かってあげれるまで大事に自分の中で置いておく事で、まだ終わらなかったことや、伝えられたこと、傷付けなかったこと、分かり合えたことが沢山あった。まだ自分の中で言いたいことは山ほどあるけど、でも、今は大事に取っておこうと思う。例え、元の感情が消えてしまっても、その時は言葉だけを頼りにして、また他の誰かに伝えられるまで、いつかを待とうと思う。僕はまだ後悔している。でも、また少しずつ変わっている。僕を変えてくれるこの感情を、いつまでも大事にしたい。

今日の1曲

adieu - 「ナラタージュ」

もう、少しづつ冬も終わってきて、春が近づいてきた。バレンタインがあって、ありがたい事にいくつか物を頂けた。嬉しい気分に浸っていたら、世界はコロナウイルスときてる。どうも情緒不安定な世の中だ。僕らは、どう生きていけばいいのか分からなくなる時があるけど、こういう事態の時にはみんな無意識に生きる事を最優先に考えてるような気がする。僕を含めて、誰しも悩みが自分の世界の中心のように感じてるけど、実際世界規模の問題に触れると、少しでも悩みなんて忘れちゃうものだ。

“それはもう今では 恥ずかしいほどに 誰の目にも あなた色してた”

“わたしの身体は 懐かしき彼方 今はもう違う匂いがする”

“理由ばっかり 尋ねる世界で ワケなど一つもなく 恋をした”

“正しい夢の 終わり方なんて この世でわたし わたしだけが知ってる”

“あなたをちゃんと 思い出にできたよ”

“あなたが見つけ出してくれたこの心を あなた無しでも わたしは離さない”

“どんな昨日より明日が好きだと 少しの背伸びと本音で 今は言えるよ”

“はじめまして 「さようなら」 最初で最後の 「さようなら」”

立ち止まって悩んでたって、今っていう時間は流れていて。いちいち止まって悩みながら時間を過ごしていたんじゃ、勿体ないと思うようになった。道はきっと周りにいる人が照らしてくれるし、先人が道案内してくれる。誰もやった事がなくても、そもそもそこに道を作れる事自体が凄いことで。人が居なくても、音楽や何気ない生活が支えてくれると思う。その為に芸術はあるように感じている。言い訳なんてしないで、とりあえず1歩進んでみよう。理由はいつだって後からついてくるし。あと、最近気づいた事だけど人は悩んでる時より、吹っ切れた時の方が何倍も輝いてる。

2020、20歳、大人になるこの年をどう生きるか、人生のターニングポイントだと思う。どうなりたいか、はまだ分からないけど、ターニングポイントが分かってて、それを掴めない大人にはなりたくないと思う。大切なのは、どうなりたいかじゃなくて、どう在りたいか。これまで、じゃなくて、これから。自分が大切にしたいものを見失わないように、変わり続けること。核を大切にしてれば、余裕が持てると思う。一つだけで良いから、自分が大事にしたいものを強く持っていれば、意外と周りが見えてくる。いつだって今しかないから。あなたは、どう在りたいですか?

じゃあね。

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