誰も見たことがない景色へ 大久保嘉人

1年前に書いたコラムです 。
最後の『まだこのチームでやり残してるものがある』のところで今まさにその"やり残してるもの" にあと少しの状況なので昔のファルダから引っ張ってきました。
大久保選手の過去も振り返れる内容なので是非読んでみて下さい。

それではどうぞ!

『2014シーズンは本当に忙しかった。』。大久保はシーズン終了後にこんな一言をつぶやいていた。

大久保嘉人。移籍1年目にして自身初の得点王に輝き、その勢いは留まることをしらず2年目もまた得点王を獲得し、Jリーグ史上初の2年連続単独得点王という快挙を成し遂げた。

 川崎在籍2年間でのリーグ戦で挙げた得点数は計44点。一方、神戸在籍時に挙げた得点数は50点。一見、数字だけを見ると神戸の時のほうが点数を多く取っているように思うが、注目すべきところは年数である。神戸に在籍した6年間で挙げた得点をわずか2年間で6ゴール差まで迫っている。キャリアの一覧を見たときに大久保の"覚醒"がわかるデータでもある。

では、なぜ大久保はここまで点数を量産できたのか。ポイントはそこである。大きな要因は神戸で司令塔の役割を担っていた大久保が完全なアタッカーに変わったことだ。そして、川崎に移籍して素晴らしい存在に出会った。中村憲剛。Jリーグ屈指のパスを武器にさまざまな状況を打開できる能力を持つ彼に出会えたのはとても大きかった。

大久保は中村に出会い少しずつ変化していく。『自分は純粋にゴールをとることに集中すればいい』という役割に変わったのが一番の要因であり、『中村から大久保』のホットラインはJリーグでもトップクラスのレベルであった。

2013年12月7日には永遠のライバルである横浜Fマリノスとの決戦の日であった。相手は勝てばリーグ優勝のはずだった。だが、レナトがゴールを奪い見事1-0◯で勝利し、AFCアジアチャンピオンズリーグの出場権を獲得。そして大久保は自身初の得点王を獲得した。

2014年5月12日こちらも運命の日だった。大久保の父が他界してから一周忌の日でもあり、ブラジルワールドカップの日本代表メンバー発表の日でもあった。『オオクボ』。その瞬間会場は『オォー』と記者はじめメディアの感情がおもわず声にでてしまう程だった。
そして大久保はW杯本戦前の親善試合であるザンビア戦でも圧巻のゴールを決めてみせた。
 

2015シーズン今年33歳を迎える鉄人はフロンターレ残留を決めたときにいった『まだこのチームでやり残しているものがある』この一言を実現するために走り続ける。
(I.RYUJI)

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