Thunderbolt Fantasy Projectと伝統布袋劇〜講義メモ(2019/9/7)

まるごと台湾フェア 2019/9/7
映像で見る芸の継承と変遷
〜Thunderbolt Fantasy Projectと伝統布袋劇〜
講演者 稲見公仁子(台湾映画研究家)

布袋劇の歴史〜霹靂の概要説明までを講演。
内容をまとめました。
一部聞き逃しのため完全ではないです。

講演内容の書き起こし+補足追記
【参考資料 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/布袋劇】

・講演者は聖石伝説(台湾2001/日本2002)から入った。

●布袋劇の歴史について
・3大人形劇(布袋劇、傀儡劇、皮影戯(影絵))があり神に奉納する芸能とされていた。
・その特性上として、エンタメ化される現代の前は、子供と妊婦(お腹の子供に悪い)と喪中の人は見てはいけないものとされていた。
・17世紀末 中国福建省泉州/漳州を起源とする民間芸能で、18世紀半ばに台湾に伝播し19世紀末〜発展。
・台湾語で口白師が全キャラのセリフを当てる(声を使い分ける)のが特徴で、魅力はセリフ7割と言われていた。
・父子相伝、子弟制度でセリフと立ち回りを継承。
・内容は大きく文戯(会話劇)と武戯(戦闘)に分かれる。
・口白師は「四念白」という出場詩で、人物の役柄や身分や性格を伝える役目がある。
※サンファンでもあったキャラ登場時/見せ場での口上
・音楽は伝統音楽を使っていたが皇民化教育の影響で(1937〜)でクラシックや歌謡曲にシフトしていき、現代では打ち込みなども使用される。
・京劇の影響もあり、三国志、西遊記、隋唐演義などの武侠モノが人気。
・伝統的な舞台は前場と後場に分かれる。(※Wikipedia参照)
・野外で公演していたが、制約がかかり屋内中心に変遷した。その中で火や水を使ったギミックが取り入れられた。
・人形のサイズも全身30cm程度から大型化していき8頭身(半人ほど)になっていった。

●布袋劇の派閥
・台湾北部と中南部で数派閥ある。

【北部(台北)の話】
・台北は、水運のおかげで商業の中心地とであったため19世紀末〜20世紀初頭に2人の人形師が来てから、そのまま弟子たちに繋がっている。
・台北では「宛前」「小西園」「李天禄」がある。
・李さんは家業が布袋劇で、、初のTV布袋劇を手がける一方、役者として映画にも出演。
・また、李さんの長男(陳錫煌さん)はTV布袋劇(後述)に対抗する形で細かい動きを見せる形で演じていて、伝統布袋劇の三大巨頭の1人である。
※この箇所うろ覚えです
・伝承として1984年〜小学校での指導や海外での布教が行われ、日本でも数団体活動実績がある。

【中南部(雲林、台南、屏東、南投)の話】
・雲林(※霹靂本社がある)は布袋劇の郷とされていて、現在も100団体ほどある。
・虎尾の雲林園派(黄家)は黄海岱>(二男)黄俊雄>息子、孫、ひ孫に継承されている。
・黄俊雄さん以降の代で、霹靂、天宇、金光と分化したものの、それぞれマルチメディア戦略を施行。
・もう一方の西螺の雲林閣派(鐘家)は伝統派で日本語でも演じられるのが特徴。

【黄俊雄(1933-現存)さんの説明】
・1933年国宝級人形師である、黄海岱の二男として雲林県虎尾に生まれる。
・1970年にTV布袋劇「雲州大儒侠」を大ヒットさせる。最高視聴率97%で社会現象を巻き起こす。
・一方、その影響により1974年〜82年までTV布袋劇の放映は禁止された。
・1982年に放映解禁されると、TV局3つがTV布袋劇を放映することに。
・実写ドラマでも才覚を見せ、国内賞のドラマ部門を2連続受賞。
・2019年5月に80代にして、舞台にて布袋劇を演じる。


【霹靂の歴史】
・黄俊雄さんの息子「黄強華」「黄文擇(※口白師として八音才子と呼ばれる)」が中心
※黄文擇さんは、サンファン1期のメイキングで息子の黄匯峰さん(口白担当)にアテレコ指導してる場面あり

1991 VHS市場参入
1995 衛星放送(霹靂台湾チャンネル)立ち上げ 台湾内普及率99%
1997 ゲーム市場参入
2001 映画 聖石伝説の放映
※日本でも2002年吹き替え版放映(三木眞一郎、子安武人ら)
2005 霹靂九皇座(実写ドラマ)が国内賞ドラマ部門2連続受賞
2015 映画放映

【霹靂の特徴】
・光や水、炎を取り入れた華やかな布袋劇の延長
・映像化に伴い、人形の美形&巨大化
・武侠もの偶像劇でシリーズ2500話を超える

※割愛したが、講義中に伝統布袋劇の映像数本と、講演後にサンファン2期1話+劇場版予告が流れました。

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