上海 2004回想 part3


住居は金沙江路に面した師大三村、
閑静な団地の中に部屋を借りていた。

朝は11時まで近くのマックでコーヒー。
近くにあるレストラン街が
開くまでの時間つぶし。

ほぼ毎朝、石锅拌饭 石焼きビビンバ
を食べていた。中国でビビンバ(笑)

ある日のこと、急用ができて食後に
豫園までタクシーを飛ばした。
やはり観光地は、いつ来ても
先客万来の様相で、人の群れ。

骨董街の店主が、西蔵で天珠を作ると
言っていた。

チベットで天珠なんか今どき作らない!!
なんて日本の販売業者は言いますが、

流通に乗るほど、大量には作らないかも
しれませんが、2004年当時には
作っていた方々もいた。

もちろん現代天珠ですが。

中国の骨董全般的にリメイクも含めて
オークションで高く売れると
店主は目を細めていた。

ひと通りに情報交換すると、
別れを告げて店を離れた。

小1時間話をしただけなのに、
目眩を感じる。酷く調子が悪い。

いつもの花園大酒店(オークラホテル)の
高層階のラウンジに向かった。

午後3時を過ぎたところか、
人影も無く静まりかえっていた。

ボトルキープしているヘネシーを
煽ると、一息ついた。

アル中では無いので、過緊張なのか
自律神経の失調か、
とにかく始末に負えない。

夕方には郊外で約束があった。
虹梅路のずっと先。
どうしたものか。。

すっかり陽が落ちた頃、高架を飛ばして
郊外へ向かう。

上海中心部を出て虹梅路あたりに来ると
マンモス団地とでも言うのか、
巨大な団地群が道路の左右に見える。

暗い夜空の中を高速で飛ばすタクシーの
窓から見える灯りは走馬灯か、
送り火のように、、(笑)

弱気が頭を巡っていると、

サーティーファン?(啥地方 )
 運転手の問いかけで我に返る。

周囲は真っ暗な交差点近辺。
住所を頼りに来たが、この辺りだと言う。

料金を支払い車から降りた。
紅梅路のような街灯もなく、寂れた
工業団地のようだ。

遠くにお店らしい明かりが見えたので、
そちらへ向かって歩く。
(日本昔話ではあるまいし)

間違い無かった。店の前に今夜の相手が
待っていた。

公務員の友人から紹介されたので
お堅い人柄を想像していたが、
昭和の不動産屋みたいな光物の
ネックレスとブレスレットを付けた
おじさんだった。

聞けば昔、日本にいた事もあると言う。
まぁ麻雀やるだけだから、関係無いのだが。




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