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湖が歩く~動的なネットワークの中で

 雲の割れ目からぼんやりと水色の空が顔を出し、次第に広がり始めると、さっきまで空一面を被っていた雲が実は動いていることに気づく瞬間がある。雲の流れの中に浮かび上がる水色は、わたしの中にある霞ヶ浦のイメージと次第に重なり合う。
 そして、私が立つ湖の周りの平らな大地にもどこか空のイメージがある。空と大地が溶け合い一体となった感覚と言ったらいいだろうか。霞ヶ浦の岸辺を歩いている時に、よくそんなイメージが浮かんでくる。

「青山常運歩」

 道元が著した正法眼蔵に、「青山常運歩」という不思議な言葉がある。道元は「山は常に歩いている」と言うのだ。道元らしい常識外れで難解な言葉だが、そのまま自分の中に投げ込んでみると、青空に雲がわくように様々なイメージが浮かんでくる。思わず、わたしは道元にならって、「霞ヶ浦常運歩」と言ってみたくなった。霞ヶ浦は私の中で常に歩いているのだ。
 確かに山は不動なものの象徴であり、湖は「静けさ」、つまり静的なものの象徴である。わたしたちが、山や湖を不動なもの静的なものとして見ようとしていることも事実だろう。だが、本当はわたしたちが、それらを不動なもの静的なものとして見ようとしているだけなのかもしれない。
 わたしたちは知らず知らずの内に、いつも、動かぬ中心を求めてはいないだろうか。しかも、その中心は不動であるほど安定(静的)して良いと思ってしまう。しかし、そのような中心を求めれば求めるほど、わたしたちは固定された枠組みや条件に縛られ、自分達の世界が狭くなり広がりのある世界と分離してしまったことに気付けなくなる。見えているものが、見えなくなる。
その結果、それぞれが自己という不動の中心を持ちながら、各々が依存する世界の中を生き、自己完結した世界の中で可能性を探るようになる。それが、縦割り化した社会の現実ではないか。全体を感じ取れない、しかもそれが常に動いていることを感じ取ろうとしない。現代人と現代社会の矛盾と限界がここにあると思う。

湖を歩く「心身脱落」

 霞ヶ浦を再生したい。しかし、広大な霞ヶ浦流域全体をどのように捉えていけばいいのか。この問いの中に飛び込んだ私に最初に見えてきたのは、上記のような私自身も克服しなければならない限界だった。
 霞ヶ浦の大きさを前に途方に暮れていた私は、とりあえず、歩いてみることにした。湖の大きさを感じながら、無心になって歩いた。
アサザプロジェクトは、何の当てもなく歩くことから始まった。日の出から日没まで、50キロ以上歩いた時もあった。はじめの頃は、足が腫れた。湖畔を無心に歩いていると、いつしか水鳥の声や波の光、風の感触が、そのまま自分の中に入って来るようになった。心身脱落。これも道元の言葉だ。
 湖畔をひたすら歩いている中で、私は今まで出会うことのなかった人たちや自然の光景と出会った。漁師や農家、林業家などの湖の周りで暮らす様々な人々と出会い、それぞれの現場で語り合った。ひとつの出会いから新しい出会いへと、まるで良き出会いの連鎖に導かれるように、歩いて行った。
 それらの出会いは、私の中にあった壁を溶かし、私を次第に出会いが出来事となる場として開いていってくれた。

 「自分を場として開く」そんな言葉が自然と、私の中から浮かんできた。

自分を場として開く。

私はそれまで、縦割り社会の限界を乗り越えたいと思い、漠然としたイメージだが自然のネットワークに重なる人的社会的ネットワークの実現を考えていた。生態系に中心はない。動的なネットワークだ。だから、そのようなネットワークは組織化によって実現はできない。組織化されたネットワークは中心を持ち動かない、ピラミッドの平面図にすぎない。わたしが考えるネットワークは全く違う。それは常に動き展開し続けるネットワークであり、動きが無くなった途端に消滅する。束縛しないネットワークである。それは、出会いが出来事として連鎖し続けるネットワークである。
 人や社会に、自然のネットワークに重なるつながりを生み出すもの、それは人や社会に潜在している価値や意味である。社会にそれらの価値や意味が投げ込まれ、それらに共感する人々や組織が次々とつながり中心の無いネットワークが形成されていくからだ。
 いま、中心の無いネットワークが最も必要と思われる課題が環境問題だ。環境問題は、人や社会への新しい価値や意味の浸透が一番必要な課題だ。なぜなら、生態系は中心の無いネットワークであり、自然は常に動き循環し続け、その中に人類は生きているからだ。
 自然のネットワークに重なる人的社会的ネットワークの展開することによって、縦割りを超えた繋がりが人と社会の中に生まれる。これまで縦割りの壁によって隔てられ、つながることができなかった者同士がつながり始めることで、社会に潜在していた可能性が浮上し始め、動きを失くしていた社会や組織が一気に活性化するのではないか。
 しかし、このような考えをどのようにしたら具体化できるのか。湖を歩いていて答えが見つかった。自分を場として開くこと。良き出会いの連鎖が起きる場となるということだと気づいた。

「仏道をならうとは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、万物に証せられることである。万物に証せられるとは、己の心身をも他己の心身をも脱ぎ捨てることである。」道元

想定外のつながりが良き出会いの連鎖として生まれ、自分の前に新しい世界が次々と展開していけば、誰もが自分や組織、地域の中に潜在していた価値や意味の鉱脈に気付くことができる。実際に、私は、アサザプロジェクトを展開していく過程で、そのような場面を何度も目にしてきた。そんな時に、わたしはいつも思う。それぞれの人や社会には、無尽蔵ともいえる価値や意味が潜在しているのだと。そして、この世界の豊穣を多くの人が直感することができれば、社会を本当に変えることができるはずだと確信した。

 結局、わたしたちは、限界を受け入れ妥協を重ねることに慣れてしまい、それぞれに不動の中心を持つ限定された縦割り世界での「可能性」を求めてきただけなのではないか。不動の中心、それはそれぞれの自己でもある。だから、世界に潜在する豊穣に気付くことができない。だから、問題解決の可能性を求めて取り組んでも、すぐに壁に突き当たり限界が見えてしまう。
 実際、多くの政治家が自己完結した可能性を示すことができず、諦めという選択を人々に押し付けてはいないか。「他に選択肢がありますか。」という脅し文句。中心への依存が、脅迫観念に変わる。無能な政治家ほど、不動の中心に寄り掛かろうとしないか。しかも、その不動の中心は、常に縦割りの壁によって守られている。別の言い方をすれば、彼等には、社会の溝や対立が必要であり、それらに依存しているとも。つまり、対立や問題の解決を本気では望んでいないということだ。彼等は、諦めを受け入れ政治に無関心な民衆を作ろうとしているとしか思えない。

個々の人格が場として開き機能する中心の無いネットワーク

 限界や諦めから抜け出すために、わたしたちに必要なこと。それは、わたしたちが、動き展開する世界を取り戻し、世界に潜在性する豊穣に目を向け、潜在性に向けて開いていく組織や社会を作ろうとすることだ。その動きの中には、常に全体がぼんやりとしたイメージとして宿るはずだ。わたしは、それを個々の人格が場として開き機能する中心の無いネットワークと呼んでいる。
動きの中に入らなければ感じられないもの、見えないものがある。
 自然のネットワークと重なり合う動的なネットワークは、社会に思いもよらない出会いを次々と惹き起こし、人や社会に潜在する価値や意味を次々と浮上させる。自然のネットワークが、わたしたちを先導するのだ。
 わたしたちの組織や社会が陥る縦割りや自己完結、不動の中心(フィクション)への依存。これらを、自然のネットワークは決して受け入れようとはしない。それらの概念によって、自然は日々傷付けられ破壊されているからだ。だから、自然のネットワークは、わたしたちの組織や社会に動くことを、そして変革を促し続ける。私たちが自然と対話する意味は、そこにあると思う。
自分を場として開くということは、出来事として生きるということだと思う。

今この時にある。「有時の而今」道元

 さっきまで不動のものと思い込んでいた頭上の雲が、動いていると気付いた。次の瞬間、雲々の間から差し始めた光がつくる網目模様の中で、いま目覚めたばかりの水色の湖がぽっかりと浮かび上がって来た。その湖は、網目模様に覆われた空の中で青さを増しながらゆっくりと動いて行った。
 空のように平らな大地の中で、伸びやかに広がる霞ヶ浦の姿は、まるで大あくびでもしているようだ。今、目覚めたばかりのようにゆったりと、その湖は今日も歩いている。  

                          2006年10月19日

                                飯島 博


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