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両親の離婚とかわいそうなゾウの話

こんにちは、龍楓子(りゅうふうこ)です。
2025年春に別居をすることを決めた主婦の記録です。

さて、今日は両親の離婚についてつづろうと思います。
それは今からさかのぼること18年前。

朝だか、夕方だか、記憶があいまいですが
とにかく父と散歩しているときに
「お母さんとは別れるかもしれない・・・」
そう伝えられました。

当時、わたしは子育て真っ只中。
家庭があり、子どももいて、親からは独立していたはずなのに
その離婚の話を聞いたときにとても悲しかった。

父はいわゆる昭和の亭主関白。
母はいつも父の顔色を窺って過ごしているように
幼い頃から感じていました。

父は急に機嫌が悪くなることもあったし、
借金取りからの電話がかかってきたり、
お皿をひっくりかえるようなこともしばしばあったし、
母は苦労しているようにみえた。

だからこそ、母から離婚を申し出ることがあっても
父のほうから離婚を切り出すなんて想像していなかったし、
そんな父を許せないと当時は思っていました。

結局、別れるかもしれない・・・が
本当に離婚することが決まり、
父は一回り以上年下の女性と籍を入れました。

離婚届を提出した区役所。
その日は幼かった子どもたちを連れて母に付き添いました。
待合室にあった絵本がなぜか涙を誘う「かわいそうなゾウ」。
娘が読みたがり、離婚届の受理を待つ母が泣きながら読み聞かせたあの日。
今でもよく覚えています。

悲しかった自分の記憶。
大人になった自分でさえも両親の離婚という出来事は
痛みがあるのだと感じていた。


・・・と思い込んでいた。

いや、ちょっと待てよ。
本当に離婚が悲しかったの??
なんでなん???

もう一度、記憶を蘇らせる。
うん、確かに悲しかった。
母から言い出すのであれば納得のできる離婚だったのに・・・。

あぁ、そっか、
離婚することが悲しかったのではなく、
母が自分の意思を持てずにいたことが悲しかった
のかぁ。

自分の記憶が少しズレて
インプットされてしまっていることに
気がつくことができた。

自分が別居や離婚をしてしまったら
子どもたちが悲しむのではないか?
自分と同じ思いをさせてしまうのではないか?

子どもたちのことを思って
別居や離婚を踏みとどまる・・・

でもそれって本当に事実なの??
子どもの気持ちまで勝手に想像しちゃって
さらにコントロールしちゃっていない???

少し前までの自分は
子どものこともかなりネックになっていたけれど
子どもたちの気持ちは子どもたちのモノ。

パパのこともわたしのことも大好きなふたりのために
自分が我慢できさえすれば解決するんじゃないかと
ここ数年模索し続けていた気がします。

でもね、
ごはんを一緒に食べたくない
同じ空間にいたくない
目が合わせられない

なかなかに重症だった・・・。

そして、
なにより自分がかわいくいられない
ぶすっとしたままで笑えない
心が重たい

わたしはきっと両親が離婚したときに
母に対して感じた
自分の意思が持てない悲しさを味わいたくないんだ。

だから
自分の翼をちゃんと羽ばたかせて
まだ見ぬ広い世界へ飛びたいんだね、
ってちょっと言語化ができて自分も納得できたかもです。


余談ですが、
父と別れた母は今では自由の象徴そのもの。

山の見える大きな家で猫と暮らし、
週に1,2回パートにも出かけ、
テニスに麻雀にブリッジに毎日忙しそうです。
もしも父がいたならば今の生活はあり得なかった!

かわいそうなゾウの絵本を読まされている母と
絵本そっちのけで泣いてるおばあちゃんに釘付けだった娘・・。
いやぁ、シュールよねって今ではすっかり笑い話です。


2024年6月17日



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