「羊たちの告白」1話

 深夜の騒がしいネオン街。桜木智一は、いつも通り同僚の牧瀬と酒を飲み交わしていた。そろそろお開きだと店を出て、心地よい風を感じながら軽やかな足取りで駅へと向かう。立ち並ぶ居酒屋を抜けると、1軒、2軒ちらほらとラブホテルが見えてくる。そこへ一夜限りの戯れに身を躍らせた男女たちが吸い込まれていく。
 「おい牧瀬、見ろよ。あのカップル、20歳差はあるだろ。いいなあ、俺も若い姉ちゃんと遊びてえ。」
 「お前、結婚して子ども生まれたんだろー。ま、俺も気持ちはわかるけどな。やっぱ若い子はいいよな。俺の大学の同級生がさ、今会社の23歳の子とダブル不倫してるらしいよ。」
 「まじかよ。それ会社にばれたらヤバイやつだろ。」
 そんな会社の若い女の子たちの前では到底できないような下世話な四十路のサラリーマンの会話をしていると、見覚えのある顔が視界に飛び込んでくる。180センチほどの長身に引き締まった腕、精悍な顔立ちの40代後半の男がきょろきょろと周りを見渡しながらラブホテルへ入ろうとしている。その隣には、俯きながらロングのコートを着た160センチほどの細身の茶髪の女性。あれは…。いや、そんなはずは……。牧瀬も男の方に気づいたようだ。
 「おい桜木、あれ友沢課長じゃないか。隣の子は、顔よく見えないな。」
友沢一洋課長は、同じ営業部署の先輩社員にあたる。桜木と牧瀬は1課に所属しており、友沢課長は2課の課長だ。確か6年ほど前に経理課に所属していた同期の女性と結婚していたはずだ。寿退社する前に一度見かけたことがあったが、女性の中では背が高い人だなという印象だったように記憶している。では、隣の女性は一体…。
 「牧瀬、さすがに鉢合わせるとヤバイだろう。帰ろう!」
 相手が誰だかは分からないが、さすがに会社の先輩とラブホテル前で鉢合わせるのは気まずい。そう思って牧瀬に声をかけた時、細身の女性が振り返る。切れ長の目に小麦色の肌、特徴的な口元のほくろ。長らく営業課に勤める中で人の顔は一度見れば大体は覚えられるようになった。一目見て女性の正体にも気づいた。思わず息を飲む。間違いない。あ、あれは…。
 「桜木、あれ企画課の新入社員の女の子じゃないか。名前はたしか…変わった下の名前の…。」
 「羊。大神羊だよ!」
 「あ、そうだ、オオカミ ヨウだ!思い出した!え、やべえ、じゃあ完全に社内不倫じゃないか。ははは。やるなあ友沢さんも。そんな人に見えなかったけど。新入社員に手ぇ出すなんてすげえは。お金でもあげてんのかね。」
 友沢課長は、営業課の威勢のいい連中とは違い、真面目で紳士的な人である。桜木の知る限りでは、若い女の子にぐいぐいと話しかけるような人ではないし、むしろどちらかというと女性は苦手そうな人だ。そして大神は、一度挨拶をしたくらいだが、口数の少ない物静かな今どきの女の子という感じであった。友沢課長と大神が話しているところを見たこともない。人は見かけによらないというが、友沢課長と大神それぞれ不倫という言葉が結びつく二人でもなければ、互いの接点も皆目見当がつかない。社内不倫の現場を目撃しテレビのワイドショーでも見ているかのように楽しんでいる牧瀬とは反対に、桜木はただただ驚いて目を見張っていた。そして、他のカップルとは違い重そうな足取りで、ピンク色のライトに照らされたラブホテルの中へと突き進んでいく二人を、まるで夢でも見ているかのように眺めていた。



 「ヨウ、お願いだ。この秘密だけは絶対に守ってくれ。死んでも守ってくれ。頼む。その代わり、俺は何でもお前の言うことを聞くし、好きな通りにするから。」
 大神羊は、眠たい目をこすりながら起きた。…(続く)…