叶わなかった恋

僕は、アラサーのトランスジェンダー男性である。
僕には学生時代、叶わなかった忘れられない恋がある。

あの時消化できなかった思いを少しだけ掃き出しだくて、ここに書き出してみようと思う。

彼女は、テニス部の同級生だった。

当時は、女性として生き、自分の本当の性別もはっきりと自覚できていない頃だった。
そして、恋愛対象は9割がた男性だった僕は、本当にごくまれに女性を好きになることはあってもすぐに諦めることができた。バイセクシャルであることも自分ではあまり認めていないところがあった。

そして、僕が彼女を好きになったのは、おそらく出会ってから5年以上後のことである。そのはずである。しかし、僕は初めて彼女を見た時の姿をずっと覚えている。
彼女は、コンクリートの上でひっそりと座っていた。長髪が彼女のトレードマークだった。他の部員と初めてあった時のことはほとんど忘れているが、彼女のことだけは覚えている。それともただそう思いたいだけなのだろうか。

部活の同級生として出会ってしばらくして、どういう経緯だったかは忘れたが、帰りの方面が一緒でだんだんと仲良くなっていった。そして、僕も彼女も家庭のことで悩みを抱えていたことから、たくさん深いことまで話すようになっていった。それから、学生時代、僕の中では彼女が一番仲のいい友達だった。よく家に遊びに行って泊まらせてもらったりもした。当時何の邪念もなかったけれど、二人で同じベッドで寝たこともあった。大学時代、いろいろと辛いことがあったけれども、彼女がいたから寂しさや苦しさを忘れることができた。

そうやって仲良くすごしていくうち、僕は家庭の問題である時を境に精神を病むようになった。授業もまともに受けられず、鬱の一歩手前のような状態に陥った。そんな時、彼女から生まれて初めてカウンセリングというものを勧めてもらった。その後、家庭の問題から精神が完全に回復するまでは8年ほどかかったのだが、当時鬱手前の状態から、カウンセリングを受けることでだいぶん回復した。また彼女は、僕がそこから家庭の不和が問題で実家に帰らず年末を過ごすようになった時、一人では寂しいだろうからと実家に招いてくれた。この時の感謝といったら筆舌に尽くすことはできない。僕は、こんなに人に世話になってもいいものだろうかと困惑した。一体彼女はどんな気持ちで僕を実家に誘ってくれたのだろうか。

そして、初めて彼女からカウンセリングを勧められて6年ほどのち、カウンセリングを受けることで自分がゲイ寄りのトランスジェンダー男性であることに気づくようになる。彼女は、家庭の問題からも性別の問題からも僕を救ってくれた人生の恩人だった。

きっと、そうして何度も何度も彼女の底のない優しさに晒されているうち、僕は自分でも気づかぬうちに彼女のことが好きになっていっていた。

しかし、僕はそのことに一向に気づかなかった。

僕がやっと気づいた時は、何か劇的なことがあったわけではなかった。
僕が気づいたのは、彼女と一緒に服を買いに行っていたときのことだった。僕はいつもボーイッシュな恰好をしていて、彼女もそんな僕を責めるようなことは何もなかったのだが、たしかその時に女性服の方は見ないのかと尋ねられた。その時、僕は人生で初めて女性に対して-いや、人間に対してだろうか-、「男性として見てほしい。女性としてみないでくれ。」そんな気持ちがわいてきた。僕は困惑した。しかし1秒ほどたって直ぐに自分の恋ごころに気づいた。ああ、僕は彼女が好きなんだと。そして、好きな人に恋心どころか存在すら認識してもらえない己の状況に絶望した。
自分をこの世に表出させることができない。自分が男性だということが言えない。証明できない。一般人ならば1秒でできることが、僕には何年もの月日を要することであった。
僕は、自分がまたも人生で女性を好きになったことに大変驚いた。
そして、深い悲しみに暮れた。彼女には、すでに何年も付き合っている彼氏がいた。そして、僕は彼女が恋人に求めるような人格を備えた人間ではなかった。たとえ僕がシスジェンダー男性であったとしても恋が成就することはなかっただろう。僕は彼女と付き合うことを望んでいたわけではなかった。けれども叫びたかった。僕は女じゃない、僕は男で、君が好きで、女に興味ゼロの女の子なんかではないことをわかってほしい。そんな目で僕を見ないでくれ。女に興味ゼロの女の子に向ける目で僕を見ないでくれ。君の今目の前にいるのは僕じゃない。ソイツは僕じゃない。僕の外見はこんなはずじゃないんだ。僕はここにいるんだと。

しかし、僕は口が裂けてもそんなことは言えなかった。ただ、途方もない虚しさを抱えて彼女と別れた。そして、こんなにも男の性(サガ)が出たにも関わらず、結局僕はその時も自分がトランスジェンダー男性だとはっきり気づくことはできなかった。

それから数年後、僕は自分がゲイ男性であることに気づく。そして、カミングアウトしようと考え始め、彼女に自分の思いを伝えるか悩んでいたころ、彼女から知らせが入った。

結婚しますと。

僕は、もう二度と彼女に自分の思いを伝える機会を失ってしまったことを嘆いた。そして、彼女に1ミリも恋ごころなど抱いていない「元女友達」を演じた。消えてしまいたかった。僕は結局、最初から最後まで嘘まみれで彼女と付き合っていた。

結婚した後も、彼女にあの時好きだったと伝えようかと何度も悩んだ。しかし、もう引き返せないところまできた。彼女には、子どもができてしまった。いや、新しい命が誕生したことはもちろん素晴らしい。しかし、この僕の思いは行き先を完全に失ってしまった。

彼女は、僕にとって話しやすい大切な友人であり、社会人となった今ももっと彼女と会いたい。だけれども、嘘まみれで彼女の前にいることが申し訳なくもう自分から声をかけることができなくなってしまった。お子さんにも、旦那さんにもだましているようで申し訳ない。

だから、あの時燃やし尽くせなかった思いを、今ここで吐露してみた。