泣きたかった泣きたかったでもそれより、笑いたかった#01

あなたの笑顔がみたい、好きなんだ。
そんなこと言うなら、笑顔にしてくれよ、と思う。
首を縦に振って相槌されてるだけなら、ししおどしにでも頼むよ。
まだそっちに振った方が無駄な飲食費を遣わずに済む。
労働力に見合ってないような対価の一部を捻出してることを
この人はきっと知らない。
同席してる人もこんな会話の流れになるとは思ってなかったかも
知れない。僕もこんな話はするつもりなかった。
でも、悩みというものは少しでも話しだしてしまったら全部語って
いかないと、本質が見えてこない。
自分で自分を他人であるかのように俯瞰できているなら
他人の存在を認めることも必要ない。無理に記憶を掘り起こす必要もない。
独りでいたい人はいればいい。誰かに無理して合わせる必要はない。
そっちに大きくメリットが見込めるなら、そうするだろう。
飼い犬でも散歩してくれない主人より、おやつくれない主人より
それらを与えてくれる人の方に懐くだろう。答えは分かり切っている。
その答えまでの思考という過程を複雑にしているのは他でもない
悩んでいる本人だ。往々にして解決策を絞るまでには時間を要する。
あらゆる手を瞬時に思いつき、答えが決められるのならプロ棋士にでも
なっている。仕事しながら食事ができて、お金に繋がるのは自分の
好きなことの決断の連続の結果だ。僕みたいなサラリー人は好きじゃないことの決断の連続で一日を終えることの方が多い。

好きなことを仕事にすることはやろうと思う気持ちがあれば
誰でもある一定までは可能だと思う。かくいう僕も好きなことが
仕事になっていた時期があった。

そもそもの能力値で限界はあった。いつまでも仕事と呼べるわけじゃない
ことも分かっていた。でも一時期はコートの上が職場だった。
遊ぶ場所だった、そこが職場になることは考えてもいなかった。
だが国内においてはプロの価値はそんなにない。それは給料に反映されている。海外で評価されれば別の話だが、僕の能力は海外で評価されるものとは思えなかった。
国内で打つスリーポイントと海外とでは、状況以上に場面も取り巻く環境からして異なる。こっちでの劣勢はあっちからしてみれば容易に返せるように
思える。判断が遅かった。自分には才能がないことを推し量る才能が欠如していた。ボールの重さがまるで違って感じられるほどに決定的に
何かが違うとは思っていた。でも目に映らないものに違いがあった。
それはそれを見てとる僕が他と違い過ぎていた。努力で補える才能には
はじめから限界があった。何もかもに気付くのが遅すぎた。
当時の監督の推薦もあり、NBA行きは決まった。

しかし気がつけば一カ月に数回になっていたコートへの登壇もゼロの記録を
更新していき、自らコートに立つことを辞める決意をした。
この時の判断が正しかったのかは、今でも分からない。
だけどたった一つ判ることがある。泣いて泣いてそれでもどうにもならない程にバスケットボールを愛していた。失ってからようやく大切さに気付かされる恋人のように。生き別れの兄弟の存在を知り、逢瀬は無いと思いながらも想いを馳せるように。
自ら手を離したせいだろうか?切り捨ててもらえたのならまだダメージは
ここまで強くなかったのだろうか?
ただただボールをつくのが好きだった。仲間と何度もコートを汗だくになりながら往復した。
ハーフラインからシュートが決まれば5ポイント、ゴール下から10ポイント
その間は8ポイントなんて遊びをよくやっていた。10ポイントだけは
幾らやっても、二回しか決まらなかった。

好きなことが仕事になることは人生の中でもトップ5以内くらいに
ランクインするほどのエピソードの
ひとつだと思っていた。
でも現実は違った。もうただの遊びじゃない。
二度と出来ないミスが数多くあった。
余りにも何もかもを低く見積もっていた。
曲がりなりにもスポンサーがつく
二歳からバスケットボールを触っている
同期もいた。ホームでの試合には多くのファンが応援に来てくれる。
アウェイよりも負けられない。元来、ホームだからアウェイだからなんて線引きもして、アウェイだから慣れてないから、声援が大きくないから負けました。言い訳でしかない。
プロと呼ばれるからには、常勝を重ね続けなければならない。プレッシャーは全身に圧し掛かる。実業団である僕ら。プロバスケプレイヤーは多くない。
給料も普遍的なサラリーマン程度だ。

僕はいつしかバッシュの擦れる音、ボールをつく音、ブザービート、喜ばしいものだったひとつひとつ、いやその全てに、
バスケから鳴る音という音が恐怖になっていた。
いつしかバスケが嫌いなのではないか?
という、自身の心理に気付くのに、時間はさほど要しなかった。
スクリーンかけられて数コンマ硬直してしまう。
その数コンマが命取り。
威勢よく目の前の敵に斬り込んだが、うまく躱されて、気づいた時にはもう遅い。ここは言わば合戦場と、何ら変わりがない。
レイアップがなかなか決まらない。
ピボットからの素人のようなミス。
海外に渡る前では考えられないミスだ。
クレイジーだと仲間から評価を
受けていたトリッキーなプレイもどうやってやっていたのか考えてしまう。
フィーリングでしていたことをロジカルに考えてたら無理だ。コートの上にそんな時間は無い。
だからアシストばかりしていた。シュートが決まらなくても責任はほぼない。生まれつき左利きで気がつくと両利きだったのが幸いだった。
私生活では生きにくいが
ゲームの上では少しは重宝された。

サッカーにしてもバスケにしても左サイドはデッドスペースが出来やすい。
僕はコートを縦横無尽に駆け回れる。だが、無論、スタミナの消費は激しい。
毎日、朝と夕の10キロのランニングは欠かさなかった。これについていけなくなったら、僕の全てが終わると思っていた。

日々、アシストした分だけ虚しさは募るばかりで、
仲間が放つシュートが決まっても決まらなくてもどうでもよかった。公式試合であっても。
勿論チームへの貢献は引退後の
活動幅にも関わってくる。でもどうでもよかった。プライベートも
死んだように生きてるようなものだった。

一体なんのために生きてるんだろう。
生まれた意味は?生きてる理由は?存在してる価値は?

もう限界だった。限界を越えてしまっていた。

きっと生きることを諦めてしまったのだろう。

雪が降りしきる頃、僕は昏睡に陥ってしまった。

もう、苦しみも傷みも哀しみも怒りも降り積もることはない。
もう、泣くことも笑うこともできない。二度と。もう二度と。


そのはずだった。


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