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劣等感の先にあるもの

こんにちは!りゅうです!
今回は以下のコンテンツで進めていきます!

・自己紹介
・劣等感の先にあるもの

1つ目はざっくりとした自己紹介、2つ目の「劣等感の先にあるもの」は、サッカーと自分との繋がりや、どういう人生を歩んで今に至ったのかが書かれてますので、是非是非読んでみてください!
長いですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです!


自己紹介

・茨城県出身、25歳
・2014〜2017 筑波大学体育専門学群
・2018〜筑波大学大学院 
・2019〜ビクトリア大学大学院
・専門種目:サッカー

ざっとまあこんな感じです。
自己紹介といってもあんま書く事ないですね(笑)

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※2019/8〜追記

こちらのブログに、このnoteでは語れなかった詳しい話が書いてあります。
興味があれば是非のぞいてみてください!

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次へ進みます。
次の章は、サッカーと僕の繋がり、そして歩んできた人生と今に至るまでの思いが書かれています。

"劣等感"と"モチベーション"がキーワードです。
では、どうぞ。


劣等感の先にあるもの


僕はサッカーが大好きだ。
でも、それ以上にサッカーが下手くそだった。

僕は中学校からサッカーを始めた。当然周りは自分よりも何年も前からサッカーをやっていて、自分よりもサッカーが上手だった。

チームでもダントツで下手くそだった僕は、チームメイトから「お前下手くそだな」と常々馬鹿にされていた。今思えば、僕が持つ"劣等感"というものはここで出来あがったのかもしれない。

結局中学校は公式戦に一回も出れずに終わった。最後の試合もベンチ外だった。僕の中学サッカーは、ボール拾いで幕を閉じた。

上手くなって見返してやりたい。

高校でサッカーを続けるかどうかは迷わなかった。続ける一択だったからだ。
なぜか。上手くなって自分をバカにしてきた奴らを見返してやりたい。そう思ったからだ。
だから僕は、より良いサッカー環境を求めて、茨城県のサッカーに非常に力を入れている牛久栄進高校へと入学した。

どん底の日々

僕はまたチームで1番下手くそな存在となった。
周りは中学校の奴らとは比べ物にならないくらいレベルが高かった。練習中はミスばかり。周りからは決まって「お前は下手くそだな」という言葉を浴びせられた。

チームは、6チーム中6チーム目のベンチ外からスタートした。「1番下手くそ」を象徴とする場所に僕は放り込まれた。

悔しかった。ただただ悔しかった。

下手くそな自分が悔しい。
周りができることができないのが悔しい。
チームメイトにバカにされるのが悔しい。

そんな日々が続いた。
その悔しさを胸に、僕はひたすらに練習を重ねた。朝も昼も夜もひたすらに練習した。
すべては、

上手くなって見返してやる。

という胸の中の叫びのために。

周りに対する"劣等感"によって、僕はいてもたってもいられない状態になっていった。"劣等感"を消したいという思いから、休むことなく練習を続けた。
あいつらを見返したい。絶対上手くなってやる。
上手くなって有名になって見返してやる。

いつしか、僕の夢は

「プロサッカー選手」

になっていた。

高校最後の試合、スタメンに

僕はひたすらに練習を続けた。着実に成長している自分の姿に気付き始めた時、僕は高校最後の試合を迎えた。

なんと僕はスタメンに選ばれた。
自分でも信じられなかった。今までやってきたことが報われたと思った。しかし、悲劇は起きた。

僕は、前半15分で代えられた。
チームが失点した直後のことだった。
理由を聞くと、監督は「お前よりもいい選手を出したい」と、僕と目を合わせることもなく細々と告げた。

絶対見返してやる。

監督もチームメイトも友達も、ありとあらゆる人を見返してやる。その時、心からそう誓った。

名門、筑波大学蹴球部へ

"劣等感"から来るエネルギーは凄まじかった。
1年間の浪人生活を経て、お前の頭じゃ絶対に受からないと死ぬほど言われていた筑波大学に僕は合格した。筑波大学蹴球部に入りプロサッカー選手になる。夢が目標に変わった瞬間だった。

チームで僕はまた1番下手くそな存在となった。

だが、今までとは違った。
僕はこれまでの人生で、嫌というほど劣等感に晒されてきた。その劣等感を乗り越える術が体に染み付いていた。
ここでもまた、「お前は下手くそだ」と散々言われ続けた。それでも、僕はその言葉たちによって植えつけられた劣等感を、すべて自身のエネルギーに変え、ひたすらに練習を続けた。

プロサッカー選手になれないという現実

しかし、結局大学では6チーム中の2番目のチームが最高成績で、あと一歩のところでTOPチームに上がることはできなかった。プロサッカー選手を目指す者はトップチームで活躍することが絶対条件だった。
プロフィールのアイコン画像のように、僕はTOPチームの応援席で、大学サッカーの幕を閉じた。

プロサッカー選手になれない現実を突きつけられた。ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


僕の夢は途絶えた。


苦悩の日々。自分は何がしたいのか。

夢を失ってからの日々は、耐え難いほど苦しかった。目標がなくなるとは、こんなにも辛いことなのか、と何度も枕を濡らした。
自分は何がしたいのかと、自問自答を繰り返す毎日だった。

そんなある日、ふと僕は気づいた。


今まで自分を突き動かしていたのは、
"劣等感"だったのではないかということに。

通訳という新しい夢

ある男との出会いが俺の人生を変えた。
夢が途絶え、塞ぎ込んでいた自分の1つの光が射した瞬間だった。

彼が僕に勧めたのは、
通訳という新しい道だった。
留学経験もなければ英語力もない僕に、なぜ彼が通訳を勧めたのかは、今でも分からない。
だが、通訳という仕事が自分にとって魅力的だったのは確かだ。

劣等感、再び

通訳になりたいと周りに相談したら、
「どの口が言ってんの?」「お前になれるわけないじゃん」と言われた。

普通に考えたらそうだ。
英語もろくに喋れないただの凡人がなれるはずない。彼らは正しいと思う。客観的に見れば。

だが、僕はその言葉に反応した。
スイッチが入ったのだ。
'劣等感"というスイッチが。

これを機に、僕は、本気で通訳を目指すことに決めた。やるなら絶対、

サッカー界でNO.1の通訳になってやる。

僕はそう決めた。絶対に見返してやると。

今までの人生は常に"劣等感"に晒されてきた。
辛いこともあった。きついこともあった。
それでもここまで来ることができた。
ここまで来て初めて、やっと気づいた。
「劣等感の先にあるもの」に。


劣等感の先にあるもの。それは、

夢に向かう爆発的なモチベーションだ。



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