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ウクラマトとはいったいなんだったのか

この記事はFinalFantasyXIV黄金のレガシーのネタバレを含みます。
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皆さんこんにちは、かっこういいルガディンのリストラッハです。
親しみを込めてラハチと呼んでください。

0. はじめに

Final Fantasy XIV 黄金のレガシー

さて、ヒカセンたちが待ちに待った黄金のレガシー(以下、黄金)が発売され、皆さん寝る間を惜しんでプレイしていたかと思います。
メインストーリーをクリアした人たちの中からは内容に関する賛否両論が活発に発信されているようです。
私個人としては黄金を楽しくプレイした身ですが、ネットなどで公開されている批判的な内容を見たところ、要約すると「今回のストーリーの主役で中心はウクラマトであり、ヒカセン(自キャラ)は添え物であった」ことについての不満が多かったように見受けられました。
確かに今回のお話において、ヒカセンはあくまでウクラマトの背中を押すだけの役割で、決して物語の中心ではなかったとは言えるでしょう。
新生編から暁月編まで、登場人物たちの視線は常にヒカセンの方向を向いていました。
街の人のお手伝いからはじまり、ついには次元や世界を超え宇宙にまで達する冒険をしたヒカセンですが、登場人物の味方から敵まですべての人物はヒカセンを見つめながら言葉を交わし続けてきました。
そんな冒険をリアルの時間で10年も続けていれば、今回ヒカセンがステーキの横に添えられたマッシュポテトのように扱われたと感じたのなら、それは不満を感じるということは理解できます。
私はステーキを食べに来たんだぞ、と。

この記事はそんな黄金の批判されている部分に関して議論を深めたいわけではありません。
では私たちの食卓に出されたステーキ、つまりウクラマトとはいったい何だったのか、というのがこの記事の趣旨となります。

1.未熟なる者、ウクラマト

ウクラマトが初登場したのは暁月編のPatch6.5でした。
初登場の印象は「威勢がいい強がりの姉ちゃん」でした。ロスガルというアグレッシブな外見の印象も大いにそれを増幅しました。
そんなウクラマトに依頼され、ヒカセンは王位継承レースのチーム:ウクラマトに参加します。
ウクラマトには二人に義兄がおり、それは現王であるグルージャジャの実子であり長子である武人ゾラージャ、シャーレアンに留学経験もあって義理の息子であり次男である技術家コーナです。
最初の話しぶりだと二人との関係は良好であるように伺えましたが、話が進むうちにゾラージャとの関係は悪いというわけではないですが温かみのあるものではないような印象になりました。
そしてウクラマトことラマチは二人に劣等感を抱いており、武ではゾラージャにかなわず、理ではコーナにかなわない何もできない人間であると自己評価しています。
さらに王位継承レースには武術大会を勝ち上がって一般からもグルージャジャと同じ双頭のマムージャであるバクージャジャが参加しています。序盤のイベントでこのバクージャジャにもラマチは苦手意識を持っていることがわかります。これはバクージャジャの当時の態度がそうしていた面もありますが、ラマチ本人はゾラージャはおろかバクージャジャにも力では勝てないと見込んでいたことが伺えました。
そんなことから思い返してみると、6.5時点であんなにもラマチが強がっていることについて納得がいくというものです。彼女は自分の助っ人にまでナメられたくない、または助っ人よりも劣っているようでは王位継承レースには勝てないと考えていたのでしょう。
こうした強がりは話の序盤までは続きますが、ヒカセンに弱音を吐くイベントをきっかけに彼女は助っ人たちのことを仲間として受け入れることができるようになったと思います。
今思えば、ラマチのチームは若いメンバー(クルル、アルフィノ、アリゼー)であったのに対し、コーナのチームはベテランのおじさんたち(サンクレッド、ウリエンジェ)と対照的でした。
アリゼーなら『もう少し私たちを頼ってもいいんじゃない?』とラマチに語り掛けることもあるかもしれませんが、リーンの成長を見届けてきたサンクレッドは口をはさむようなことをせず、コーナを信じてじっくりと成長を見守っていたでしょう。
ストーリー上でラマチは様々な事象(ハヌハヌ族の神輿のことや、ペルペル族の商売に対する考え方など)を「知らなかったこと」として受け入れることができていました。そしてそれを知ろうとすることで、彼らの直面した問題に立ち向かおうとしました。それは彼女が"武"も"理"も持ち合わせていない未熟なる者であることを自覚していたため、兄たちとは異なるが自分にもできるアプローチだと考えたためです。
王位継承レースの真の目的である「トラルを知ること」を通して、未熟なラマチは成長していきます。

ヒカセンとの冒険を通して成長したラマチ

話は脱線しますが、もう一人劣等感にまみれた人物がいました。そう、ゾラージャです。
一見すべてを持ち合わせているようにみえるゾラージャですが、幼い頃から次世代の王としての期待をかけられたせいか、どんなことにも決して満足することはなく、常に「これでは足りない」という劣等感に苛まれていたように見えます。
もしかすると父王グルージャジャがコーナやウクラマトのような養子を迎え入れたのも、ゾラージャのこうした劣等感を見抜いて自己を肯定するきっかけを作りたかったことと、生まれてくること自体が「奇跡の子」であるゾラージャと、出生までに多大な犠牲を払う必要がある双頭のマムージャであり、そもそも双頭自体が戦うための道具であり親の愛情を受けるわけではないという側面を持つグルージャジャの「兄弟を持つことができない」「家族の愛を知らない」ということに対するグルージャジャなりの愛に対する回答を求めた結果だったのかもしれません。

悲しい結末となったゾラージャ

この二人の劣等感を持った者=未熟者の考え方の対比が、後の結果を分けることになったと思います。

2. 王位継承レースの意味

先述した通り、王位継承レースは「トラルを知ること」を目的とした内容になっていました。
トラル大陸にどういう人々がどういう考えで住んでおり、どういった課題を抱えているか。そうしたトラルの現実をグルージャジャは課題として子供たちにつきつけました。
この問題に対して、各参加者はそれぞれ異なるアプローチによって対処をしていきます。
こうした一見「新生時代を思い出させるお使い」的なイベントが、黄金を退屈に感じた人たちからは非難されているように見えます

ではこのイベントはどうして必要だったのでしょうか。
もちろんストーリー的には何度も書いてある通り「トラルを知ること」が王になるためには必要だとグルージャジャが考えていたためです。
ですが、トラル大陸に住んでいるわけではないヒカセンはそれを知る必要があったのでしょうか。
このイベントを退屈と感じるかどうかはそこに分かれ道があるように思います。
このイベントを通して開発者側はもちろんトラル大陸という未知の場所における新しい冒険としてヒカセンに知ってもらいたいという気持ちが第一にあったと思います。それは今までのエオルゼアの旅でも同じでした。リムサ・ロミンサは海賊の街だし、グリダニアは精霊とともにある町で、ウルダハは商業と陰謀の渦巻く街です。ヒカセンはストーリーの中でそうした知識を冒険を経て学んでいきます。ですが、トラルとの決定的な違いがあります。
それは「戦い」です。
エオルゼアやドマ、第一世界でもそこには常に戦いや騒乱が同居していました。そうした戦いを通してヒカセンは各地の文化を学んでいったのです。
ではトラルではどうだったでしょうか。
トラル大陸の冒険では、最終盤でアレクサンドリア軍がトライヨラに攻め込むまでは戦争のようなものはまったくありませんでした。グルージャジャが作り上げた「平和」の中で各地、各民族の文化を知る冒険が王位継承レースだったのです。
これは今までのヒカセンの冒険の中では無かったことでした。ヒカセンは常に戦いに身を置いており、いつ命を落とすかわからないやり取りをひたすら続けてきました。こんなにも平和な世界を旅するということが、開発のいう「ヒカセンの夏休み」だったのかもしれません。

様々な場所を訪れた王位継承レース

さて、ではそんな「平和」な世界を旅することがストーリー的には重要だったということは理解できますが、それをヒカセン、つまり冒険者を通した現実の私たちが体験する必要はどこにあったのでしょうか?
Final Fantasy というゲームに対して、平和な世界をのんびり旅することを求めているプレイヤーは少数派でしょう。未知なる強敵との戦い、スリリングな冒険を求めている人が大半ではないでしょうか。この辺りのギャップに、「黄金は退屈である」という感想がつながっていくのかもしれません。
ではこの旅はなんだったのか、私が感じたのは「多様性」でした。
このゲームをプレイしている人たち大部分の環境は、おそらく「明日いきなり敵国の兵士が自分を殺しに来る」という環境ではないと思います。大小様々な問題は抱えているかもしれませんが少なくとも「平和」な世界です。いわばトラルと同じ状況の世界に住んでこのゲームをしているわけです。
私たちの住む現実世界でも「多様性」という言葉を最近よく聞きます。トラルの旅はまさに「多様性を知る旅」でした。各民族、部族それぞれに大切にしている考え方や物事がり、ラマチとヒカセンは旅を通してそれを少しずつ理解していきます。一見何の意味もないような事にも大切な意味があったり、たかだかひとつの料理でもそこに込められた思いがあったり。
ハヌハヌ族の問題に直面したときに、コーナは合理的な考え方を示して解決をしようとしますが、ラマチは文化を理解することからはじめて問題を解決します。どちらも結果的には同じ内容になりましたが、より大きな効果を得たのはラマチの解決方法でした。植物が育たない問題だけを解決するのではなく、そこに住むハヌハヌ族たちを笑顔に、つまり生きる活気を与える解決方法であったからです。
これは私の考えすぎであるとも大いに思いますが、開発チームは我々の現実世界が抱える閉塞感や他者に対する許容力の減少、余裕のなさ、多様性に対する拒否といった課題に対し、ラマチのように「まず相手を知ること」というアプローチを提案しているのではないでしょうか。
この黄金のレガシーというゲームを通して、プレイしている私たちにも心が豊かになってほしいという思いが込められていたのではないかと感じました。
ゲームをただゲームとしてだけで完結するのではなく、人生を豊かにするものとして共にあるものとしたい」という思いやムーブメントは、コロナ禍を通して最近のゲーム業界内外から強く感じています。それは昔に比べて私たちの生活のより近いところにゲームがあることからも明らかだと思います。
Final Fantasy は今までも冒険を通して心震わせてきたゲームなのですから、この最も新しい Final Fantasy がゲームを通してゲームの外にいる私たちと社会を豊かにすることを願ったメッセージを発信していることもあり得ると考えています。

対立していたバクージャジャでさえも受け入れる王の器量を見せたラマチ

そして、そんな開発チームが突き付けてきた課題が「人として好きになれる相手が根本的に考え方が違う人であった場合にどうするか」という内容でした。クライマックスでラマチとスフェーンの対比でそれが描かれ、私たちはゲームを通してそういった課題と向き合います。ラマチはスフェーンに好感を抱くも、魂と人の在り方の考え方について決定的に決別します。
現実も同じです。ネットなどを通して考え方を知り、あの人は合わない・友達にはなれないと思っていた人が実際に会ってみると意外といいやつだった、みたいなことはよく聞く話です。私たちはそんなときどうするべきなのか。
それでも「知ろうとする」というのが王位継承レース、ひいては黄金のレガシーの意味だったのではないでしょうか。
※ 7/11追記 是非はともかくとして、英語版のウクラマトの声優がTSの方だと知って確信に変わった。

3. ウクラマトとはなんだったのか

前段が長くなりましたが、いよいよこの記事の本題にふれます。
ウクラマトとはいったいなんだったのか。
私は、「ウクラマトは過去の私たち自身である」と結論付けました。

最初の宣言通り王となってみせたラマチ

トラル大陸での冒険を通して、ウクラマトは様々なことを知りました。そしてその「知らなかったこと」を「知ること」についてただ学ぶのではなく楽しんで学び、そして学んだこと、人、文化を好きになっていきました。
新生編ではエオルゼア三国と蛮神を知り、蒼天編ではイシュガルドとドラゴン族を知り、紅蓮編ではドマやアラミゴのことを知り、漆黒編では第一世界とアシエンを知り、暁月編ではラザハンや帝国、そして宇宙、さらには世界の秘密を知りしました。ヒカセンはその知る過程の中で、喜び、悲しみ、出会い、別れなど様々な経験を積みながらも、「楽しんで」この世界を冒険してきた、つまりゲームをプレイしてきました。
なぜそう断言できるか。
楽しめなくなった人はそこで冒険の道具が詰まったリュックを下ろしてこの世界から立ち去っているためです。
今もこの世界で冒険を続けているヒカセンたちは、この冒険に新たな期待を込め、様々な感情を持ちながらも楽しんでいるはずなのです。そしてその楽しみを通じて、この世界を知ってきました。
つまり、今回のウクラマトと同じことをしてきたわけです。
時にはフレンドに強がったこともあったかもしれません。しかし冒険を通して仲間たちと出会い、様々な強敵(極、零式、絶、釣り、ハウジング、麻雀、ミラプリ、なんでも!)と戦い、打ち倒してきました。
ウクラマトは今回の冒険を通して、最初の頼りなく孤独な状態から、仲間ができて共に強敵(ヴァリガルマンダ)を倒し、世界(トラル大陸)を知り、その世界を好きになりました。
これはまさに私たちが通ってきた道ではないでしょうか。
ウクラマトを通して、こうした過去の道のりやその時の気持ちを思い出してもらうことこそ、開発チームが私たちに感じてほしかったことなのかもしれません。
黄金のレガシーのメインストーリーをすでに終えているような人なら、もしかすると身近にまだ過去のストーリーを楽しんでいるプレイヤーがいるかもしれません。黄金のレガシーをきっかけに新しく冒険を始めたプレイヤーと出会うこともあることでしょう。
そうした新たな冒険者たちに対して今回のストーリーでヒカセンがウクラマトにしたように、私たち旅慣れた冒険者は見守り、時には声をかけて助け、この世界を知ることの楽しさについて共にあってほしい、そんな願いも込められているかもしれません。
私は先述したように現実の多様性への解決策をこのゲームを通してディスプレイの外にいる私たちに提案していると考えているので、現実世界の私たちへのこうしたメッセージが込められているとしても不思議には感じません。
そしてそれは、次なる冒険へときっとつながるはずです。
数多の心豊かな冒険者がいる世界は、より素晴らしい世界への冒険の第一歩となると信じて、今回は筆をおきます。

X. 今後の冒険の予想…

ここからは蛇足で、何も根拠のないただの妄想です。
今回はトラル大陸での冒険でしたが、ヒカセンにはまだ訪れたことがない場所がたくさんあります。
原初世界でいえば南方メラシディアもそうですし、世界地図の南東側にもまだ雲で隠れた場所があります。
そして第一世界、第十三世界以外の鏡像世界。すでに7つの世界が統合されているとのことだったので、残りの未知の世界は4つ。
今回のストーリーの最後で登場したのはいずれかの鏡像世界です。雷属性と言えば第十二世界なのですが、すでに原初世界に統合されているはずです。もしかするとリビングメモリーは統合から逃れた第十二世界の一部なのかもしれません。
私が予想するに、そうした未踏破の世界を旅して「知る」ことを続けるのではないかと予想しています。そのための下地として、黄金の「知る旅」だったと思います。
そして世界を知った結果、アシエンとは異なる理由から「世界統合」をする、またはせざるを得ない、されてしまう状況が発生し、すべての世界が統合され、原初世界に様々な世界の都市が現れ世界地図が様変わりし、次のフィナーレへ!となるシナリオになるのではないかと予想しています。今回アレクサンドリアが原初世界に現れたのもその可能性を示す布石だったと受け止めています。
もうそうなると次は本格的に宇宙に進出するしかないですね笑。
今回活躍したウクラマトがその冒険についてくるかはわかりません。リセのようにメインストリームからはフェードアウトするのではないでしょうか。王がちょくちょく不在にする国というのも心配なので…でもグルージャジャの国ならありなのかもしれない。
いずれにせよ、今後が楽しみですね。

私たちには新たな冒険が待っているのだ

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