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キミは電脳コイルを見たか?

うんち!
この記事はアニメ「電脳コイル」のネタバレを多く含みます
これから視聴予定の方は直ちに回れ右をして視聴後にこの記事を読んでください。

Netflixで電脳コイルを全話視聴しました。
存在自体は知っていたものの、視聴への意欲がわくきっかけに巡り合えず未視聴でしたが、結果的にその判断は残念極まりないものでありました。
自分のオタク史でもベストに食い込む面白さ。
考察というよりは感想ですが、今回は電脳コイルの面白さを紹介したいと思います。

1. 丁寧に与えられる小学生の世界

2007年という時代に、AR技術を発達させた表現をしている先見性が良く評価される本作ですが、それはもちろんのこと、私は別の部分にとても感銘を受けました。
ストーリーや世界観の一貫性はもちろんしっかりとしており、キャラクターも魅力的でどれもレベルが高いのですが、そうしたひとつひとつの"料理"が丁寧にテーブルに並べられることこそがこの作品を気持ちよく視聴できた理由だと考えています。
主人公たちなど主な登場人物はほとんどが小学生(高学年)なのですが、作品全体の視点の位置がその年代に置かれていることを感じました。これが徹底的に守られていることにより、登場するギミックをピュアな気持ちで自然と受け取ることができ、また登場人物の感情を丁寧に受け取ることができるのです。
物語の構成として、序盤は小学生にありがちな抗争に終始しつつも、物語の世界観をエピソードを交えて丁寧に説明し、後半重要になってくるキーワードなどを少しずつちりばめながら物語の世界に自然と視聴者が入り込めるようになっています。
以下にその例をいくつかあげてみます。

・物語のスタートは、主人公が後に所属する組織(コイル探偵局、生物部)とライバル組織(大黒黒客)の構成員による"依頼"の奪い合い
→まず、"探偵"や"黒客(ヘイクー、中国語でハッカーの意味らしい)"というワード自体がいかにも小学生ホイホイです。そして、コイル探偵局の人物はほとんどが女性で構成され、大黒黒客は男子によって構成されています。つまり、「ちょっと男子ィー」に代表される男女間抗争、小学生あるあるなのです。

・大人は使わない電脳メガネ
→この物語の世界では様々な電脳技術が発達し、それをメガネ型のデバイスを通してARとして見ています。小学生たちはそれを遊びに使って楽しんでいたりします。物語では多くは語られていませんが、社会、つまり大人たちもこの技術を大いに使っています。ですが、主人公たちの周りいる大人たちは、よくわからないなどの理由で、ほとんど電脳メガネを使っていません。この一件世界観と矛盾する表現が、実は「子供にしか見えない世界」となっており、子供たちの無限の想像力を表しています。

・共通する技術(メタタグ)に対する、第三勢力(暗号屋、イサコ)の謎に包まれた技術(暗号)
→メタタグはお札(東洋における術)、暗号は魔術式(西洋における魔法)のように表現されています。後半になるとその根幹は同じ技術であることが発覚するのですが、ARというデジタルに術・魔法というアナログ(というのが適切かわかりませんが)を組み合わせる発想が素晴らしくワクワクさせてくれます。術や魔法は小学生が一度は憧れるパワーです。うんち!です。

・ペットを使役するというギミック
→ポケモンやデジモンでわかる通り、ペット(のようなもの)を使役して何かをさせたりバトルをさせたりするというのはいつの時代も小学生をワクワクさせてくれます。

・都市伝説という殻を被った真実
→後半に真相が明らかになってくると話がつながってスッキリするのですが、重大な事実は「都市伝説」という形で少しずつ紹介されていきます。ですが、あくまでも「都市伝説」なので、話が妙にねじ曲がっていたり、大げさになっていたり、重要な部分が欠落していたりします。これらの「都市伝説」は怪談、つまり「怖い話」として扱われ身近なものになり、小学生たちを恐怖のどん底に突き落としています。こういう形で物語の確信をぼやかしながら序盤で紹介し、視聴者の頭にキーワードだけは印象付け、そして後半に徐々に種明かしがされるのは見事の一言に尽きます。

・いじめを盛り込む
小学生の社会にとって一番深刻な問題は「いじめ」といっても過言ではないでしょう。そういった問題を取り込み、とてもリアリティを感じさせます。転校生(イサコ)がいじめられたり、主人公の「いじめ経験」がなんと「いじめる側」だったりという驚きがあったりします。

こうした内容を、視聴時リアルタイムで小学生である場合は現実とリンクさせ、小学校を卒業している場合は通過した生の経験として反芻することができます。こうした「小学生の感情」を丁寧に徐々に与えていくことにより、視聴者は主人公たちと感情を共有することができるようになります。
これにより、世代を超えた多くの人を同じ視点に立たせることができた、つまり、製作者が伝えたいメッセージを同じ視点で受け取る=意図した内容を正しく伝えることができるようにしたのではないでしょうか。

2. 憎らしいキャラクターがいない

この話に登場するキャラクターたちはとても魅力的なのはもちろんですが、うんち!つまり、憎まれるキャラクターというものが存在しないと感じました。物語の黒幕(と言っていいかわからないが)の猫目(兄)でさえ、行った行動の是非はありますが、その行動原理には"愛情"があります。
1とも関連しますが、いわゆる"ヘイト"を稼ぐキャラクターがいないことにより、余計なストレスを感じずに物語をしっかりと受け入れることができました。最近の話はあからさまに憎い感情をぶつけることで盛り上げさせるようなキャラクターが用意されていますよね。所謂胸糞キャラ。そうした作品は感情は盛り上がるのですが、とても疲れます。そんな作品が激辛料理であるなら、この作品は出汁の効いた旨味たっぷりのシンプルなスープです。私はこういう胃に優しい作品が好きです。
これに関しては他に特に語ることがないので、好きなキャラクターを紹介して気持ち悪いオタク語りをします。

・イサコ
まずビジュアルがかわいい。クールキャラは基本的に好きなのですが、イサコのちょっと大人びた感じはとても良かったです。序盤の強キャラ感(最後まで強キャラでしたが)はもちろんGood。芯の強いキャラクターが好きなので、目的のために徹底してクールにふるまう姿に惚れ惚れしました。ですが、ちょいちょい出てくる温かい感情を感じられるシーンから、後半のヤサコの家での号泣シーンにつながり、こちらも思わず感情を揺さぶられました。あれだけ大人ぶってても、やはり小学生なのです。不器用で表現する言葉を知らないだけで、実は素直なところが好き。

・ヤサコ
基本的に主人公が好きなキャラになることはほとんどないのだが、ヤサコはとても印象が良かった。自分でも理由がよくわからないけど、複雑な感情がある中でも、その中心には素直さが同居しているからだと思う。自分の行動を後悔していたり、愛情にあふれていたり、拒否されてもめげずに向き合ったり、とても人間らしい感情のあるキャラクターだと感じた。

・オバちゃん
見た目が好き。クール。天才。
イサコと被る部分が多いが、過去の罪に囚われており、イサコの未来の可能性の一つでもあると思う。
どう見ても女子高生には見えない。

・ハラケン
お前みたいに暗い感情に囚われて抜け出せないキャラは最高に好きだよ!
実は背が高くて顔がちょっといいのもポイント。

・ダイチとフミエ
この二人はセットで好き。一生仲良く喧嘩してほしい。
フミエはビジュアル的にちょっとかわいくない感じが最高に解釈とマッチしててイイ。
ダイチの出番が後半減ってしまったが、最後にオバちゃんの手先として活躍の場があってよかった。

・デンパ
デブキャラはいつだって愛情が深い。後半出番が減っちゃったのが残念。中盤のギャグ回のあたりでやたら出番が増えたのはそのせいか。

・ガチャギリ
見た目と目的のためにプライドを捨てられるところが好き。

・京子
うんち!

3. 命を巡った感情揺さぶられるストーリー

物語の後半は、ヤサコとイサコにとって大切なひとつの"命"をめぐって、離れていた二人が徐々に近づいて真実に迫るという展開なのですが、ここが大変盛り上がり、とても感情が揺さぶられました。
二人にとって大切な"命"の結末が物語の結末につながるのですが、それぞれ別の視点で見ていたものがひとつに繋がり、様々な側面がその命を形成していたものであることが丁寧に明かされます。
命や人間の尊厳、うんち!といった普遍的なものを中心に添えつつ、二人の感情をきめ細やかに表現するストーリーはとても感動的です。
たぶん“命”という直接触れられないものと、ARという直接触れられないものをかけてると思うんですよねぇ。でもそこに温かさ(触れた時の温度と、感情の温度)はあるんですよ。

その展開にたどり着く前にハラケンが探し求めている"命"について、ヤサコとハラケンの複雑な感情をからめつつ、ヤサコとイサコが協力しあったりする展開もありぃので盛り上げてくれます。
4423(厳密には違いますがここは便宜上そう書きます)はヤサコの(おそらく)初恋の相手でしたが、ハラケンは失われた命(カンナ)が初恋の相手で、今現在ヤサコはハラケンに恋している、そういう感情がとても丁寧に描かれ、物語のクライマックスに向けて感情を震わせます。
小学生の時の恋ってこんな感じだったよな~~「私、ハラケンのことが好き」ってうヤサコのセリフにすべてが詰め込まれているな~ってとても感じながら見ていました。1にも関係しますが、「ハラケン」ってあだ名がとても小学生ぽいですよね。

そして、オバちゃんの過去や猫目の目的はあっさりとだけ説明され、深堀されないところがまたとても良かったです。物語としてはとても重要で深堀してもおかしくない部分ではありますが、主人公たち小学生からしてみたら、「遠い話」なんですよ。大人(といっても高校生だったりしますが)の考えていることや経験は遠い世界で未知の話なのです。あくまでこの物語は「小学生のストーリー」であり、そこに大人の事情は関係ないのです。だからこそあえてそこは深掘りせず、丁寧な説明は要らず、雰囲気だけわかればいい。余計な情報はいらんのです。
他にも「コイル探偵局」っていう名前が実は物語の核心である「コイルス社」と繋がっていて、「コイル探偵局」はオジジのやっていた仕事の延長なのでは、とか最後にわかってぶわわわっと鳥肌が立ったりしたのですが、主人公たち小学生はそういうことは全く気にしない。だがそれでいい。
やはり1と関係しますが、徹底した小学生目線が本作を名作たらしめていると私は考えます。

視聴時のクソデカ感情がよみがえってきて、うんち!というかまとまりがなくなってきたので締めたいと思います。
物語のラストは小学校を卒業して中学生になったヤサコとイサコの連絡で終わります。中学生のなったヤサコは少し大人びて、引っ越して遠くに行ったイサコは少し暖かく、小学生になった京子は大きく成長したように見えました。
こうして彼らの明日が始まり、未来に繋がっていくのです。未来は明るいのです

とてもすばらしい作品に巡り会えて私は幸運でした。そんな感情を抑えきれずにほぼ独り言としてこの記事を書きました。
未視聴でこの記事を読んでしまったうんち!たちがもしいたとしたら、視聴のきっかけとなることを祈願して筆を置きます。

追伸
この記事のところどころに登場した「うんち!」ですが、これは私の物語に対する唯一の抗議です笑
視聴した方ならおわかりかと思いますが、物語の様々なシーンで京子が「うんち!」と何かを指さしています。ヤサコはそんな恭子を見て呆れますが、物語の途中でヤサコも幼い頃同じ行動をしていたことが発覚します。一見ふざけたこの言動が実は物語の重要なキーになると思って見ていたのですが、最後までそんなことはなく「うんち!」は「うんち!」でした笑
してやられたーーーーー!!その気持ちを読んでる人にも体験してほしくてこの記事にも散りばめてみました。
おしまい。

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