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『抜け雀』~呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン~

名人上手の活躍を描いた、いわゆる名人譚。名工噺。このジャンルは、講談や浪曲の得意分野のイメージです。落語だったら彫り物師の左甚五郎や浜野矩随。役者の中村仲蔵、それから淀五郎と、あとは何があったっけなぁ。
まあ、代表としては左甚五郎シリーズでしょう。『三井の大黒』、『竹の水仙』、『ねずみ』、それから先だって亡くなった三遊亭圓窓師匠作の『叩き蟹』、あとはバレ小咄の『四ツ目屋』など。
ただ上手いってだけじゃない、驚くべき技量を持った人物であることを強調する意味で、その仕上がった作品が生きていたり、動き出したりする。およそ現実にはありえない結果をもたらす。『三井の大黒』は「木彫りの大黒様が笑っているように見えた、まるで生きているようだ」とこれぐらいならあるかな。『竹の水仙』だと「竹で作った水仙を活けたら花が咲いた」はまあギリギリ許せる。って、ずいぶんと偉そうに。何様だよ(笑)。『ねずみ』に至っては「彫ったねずみがチョロチョロっと動いた」だって。どう考えたっておかしい。木彫りのねずみが動き回って、あまつさえ、甚五郎と会話をするってんだから、もうどうかしちゃってるぞ。

で、今回の『抜け雀』、これは名人の誰々、と固有名詞は出てきません。名前はないけど、とにかく名人。なんたって「絵に描いた雀が抜け出す」んだから。
冷静に考えれば、いや、冷静じゃなくったって、その奇妙奇天烈、ありえなさに気付くはず。その矛盾を観客に感じさせずに、“名人・名工”たり得るにはどう噺を描けばいいのか。
さらには、目の前で繰り広げられる光景を観客にまざまざと想像させ、納得させられるだけの説得力を持てるかどうか。
うーん、ずいぶんと大風呂敷を広げた感があります(笑)。 ま、そこら辺は落語なので、あんまり大仰にならないよう、演者もお客さんも肩に力が入らないように進めるわけです。これまた矛盾だ(笑)。

では例のごとく、噺の演出です。

旅ネタでもあるこの噺、場所は江戸ではなく小田原。名人はあっちこっちに旅しながら作品を仕上げてます。街道筋の風景、旅人と宿の客引きたちの喧騒、冒頭はこの賑わいが伝わるように。
主人公の絵描きは薄汚れた格好ながらも偉そうな態度で、でもどこか清廉さを持ち合わせている。裏表がないというか。30代前半、大酒飲み。アタシは侍っぽいイメージで演じています。
相模屋の主人。42歳。お人好しで一文無しを見つけ出す特殊能力あり(笑)。前述で“主人公の絵描き”と書きましたが、実は宿の主が実質的な主人公です。映画のキャスティングだったら、絵描きは二枚目に演らせて、この主を実力派のバイプレイヤーに頼みますね。そして主役を食う演技でドラマを引っ掻き回す役どころ。実際には振り回される立場ですけど。
相模屋のおカミさん、35歳。人の良すぎる亭主の尻を叩きつつ、宿の切り盛りを担当している。なんたって夫婦二人で営んでいる旅籠ですから。
老人の絵描きは60歳すぎ。主人公の父親です。本寸法の、孤高の名人。名人も極めると、返って謙虚になるらしい。そんな風情を漂わせている。
小田原城主の大久保加賀守。譜代のお大名、殿様らしい貫禄をしっかりと出せるように。

さて、東海道を京へ上る主人公。江戸時代の都は京都ですから、『京へ上る/江戸へ下る』です。好人物の宿屋の主との対比で噺を進めます。朝昼晩と日に三升の酒を喰らう。これで絵の修業になるのか、とお客さんに気づかせないように(笑)。この様子を黙って見守っていたカミさんは三日目にとうとう堪忍袋の緒が切れる。今度は亭主とカミさんの対比。分かりやすいかかあ天下の力関係。全くためらうことなく金のないことを白状する絵師。ここでたくらみを感じさせちゃいけない。堂々と胸を張って。
宿代のカタに絵を描く。ここでも卑屈さは皆無。むしろ、相模屋さんの方が弱腰で。

絵筆の仕草は扇子を使います。筆先が扇子の要になるように持って、全神経を筆先に込めて、魂が乗り移ったような雀を描く。そんな心持ちで。描いている様子をしっかりと見せる、あるいは眺めている主側の視線で表現することもできますね。絵師アングル、相模屋アングル、どっちのカメラを通してお客さんに伝えるか、です。

この後の夫婦喧嘩は決して深刻にならないように。どこかコミカルさもほしい。
翌朝、雀が絵から抜け出す。朝日の輝き、雀のさえずり、早朝の清々しさを。
窓から表を眺めて衝立(ついたて)へ視線を移す。どのタイミングで気付いて驚くか。ひとつの見せ場なので、「雀が部屋から飛び立って絵が真っ白だ」と流しちゃうともったいない。軽く衝立をチラ見して、もう一度目をやる、いわゆる二度見もわざとらしいけどあり。あまり引っ張りすぎるとクサくなるけど、その度合いは演者のセンスです。
腰を抜かさんばかりに驚く亭主、カミさんはまともに取り合わない。ここも対比で。

雀が抜け出す場面は、初回、近所の人たち、お殿様、老絵師が描き足した翌日、二度目のお殿様、と全部で5回あります。まるっきり同じ演り方じゃ芸がない。前半3回は同じパターンですが、セリフや見せ方、聞かせ方を少しずつ変えてみて。
白髪の老人が止まり木を描き加える。若い絵師との違いをしっかりと。

そしてこの噺の落ち、「親を駕籠かきにした」、マクラで駕籠の担ぎ手について前フリしておかないとサゲが効かない。お忘れなきよう。

はたして、この雀の衝立はその後、売れたんでしょうか。やっぱり相模屋さんの二階に置いておくのが一番だと思いますがね。

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