考える余裕があるわけがない。

TwitterからXに変わり広告収入がつき、Twitterの中身がすっかり変わってしまった。

毎日毎日、起きることに対してだれかが思ったことを書き込む場所。
ときには悲しいことや許されないことが起き、それに対して誰かを責め、煽るような発言がされることもある。
その発言はときに当事者、周りを苦しめる。
人間ならそれがわかる人のほうが多いだろう。
でもAIやスパムはどうだろう。
人の心がないものたちにわかるとは思えない。

かれらはお金やインプレッション数が稼げればいいのだから。人を傷つける可能性がある言葉たちも中身も確認せずに、手当たり次第に投稿して、お金やインプレッション数を稼ぐ。
見る側も見極めていかなければならない。
プロフィール欄や投稿数やフォロワー数、フォロー数を確認して、スパムやAIの可能性を視野に入れて、情報の有無を吟味する必要がある。

でも、でも。
焦っている人、傷ついてる人がそんなことをする余裕があるだろうか。
もし自分が炎上している対象で。
見たくもないけれど、世間に自分がどう思われいるか確認したくて見てしまう。
これは自分が受け入れなければならない意見だ。見なければ。
そんな状況で、該当するツイートをただ下にスクロールして目にいれていく中で、プロフィールを確認する余裕なんてないだろう。
ただ自分に対する意見のうちのひとつとして、自分に組み込んでしまう。
「あぁこんなに自分をよく思ってない人がいるんだ」そう数にカウントしてしまう。
「あぁこんなこと思う人もいるのか」
言葉として情報として脳に入ってしまう。
本当は相手は人間じゃないのに。
そうやって、気づけば追い込まれて心を殺されてしまうかもしれない。ときには自分で死ぬという決断をするかもしれない。
言葉は人を殺す。
言葉で人はできている。
それをXはわかっていない。
わたしはそう思う。

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