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「思考のワーク」を深掘ってみる

フェスティナ・レンテ!Ryotaroです!
今回はSWCコミュニメンバーのKaoriさんがスタエフで面白い配信をされていたのでそれについて書きたいと思います!
Kaoriさんのスタエフはこちら↓

配信の中でKaoriさんは『生命の樹ワークブック』という本の中にある「思考のワーク」を紹介されていました。
『生命の樹ワークブック』はこちら↓

ワークの内容を簡単に言うと
①「私は〇〇だ」と、自分のアイデンティティを表すものを羅列する
②羅列したものを否定する

です。例えば
「私は男性だ」
というのを①で書いたなら

「私は男性ではない」
と②で否定する。

という感じです。このワークを実践することで思考の枷が外れて、思い込みから解放されて、真の自分らしさに出会うことができる、みたいな感じなのかなと思います(違ったらすみません!)

このワーク、すごくいいな、と思ったのと自分なりにこういう風にしたらもっと面白いかも?というのを思いついてしまったので、それを書きたいと思います!

とことん言語化してみる

このワークの内容を聞いて僕は、ワークで得た視点をとことん言語化してみたらいいのではないかと思いました。

どういうことか、というのを具体例を示すことで説明したいと思います。

例えば、上の例で書いた
「私は男性だ」「私は男性でない」というのについて言うと、このギャップを深堀っていく、という感じです。

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私は、生物学的に見ると「男性」に分類される。しかし、「私は男性である」という認識や信念をずっと持ち続けるのかというと、そこには疑問符が生じる。

なぜなら、人の認識や信念は固定されているものではなく、様々な要因によって変化するものだからである。

そうは言っても、現時点での私は身体的にも精神的にも「私は男性だ」と称することに抵抗がない。

なぜ、私が生物学的のみならず精神的にも自分を「男性だ」と認識しているのかというと、生物学的な分類に引っ張られて性役割期待がされる教育を受けてきたからに他ならない。

"君は生態学的に男性なのだから精神的にも男性になる必要があるよ。辛くても泣いてはいけないし、女性に対しては優しく接することが求められる。

君はこの家庭の「長男」にあたるから資産を引き継ぐ立場にもあるし、下の妹たちの模範となるような良き兄である必要もある。"

子供の頃にこのような教育を受けても疑問に感じなかったことから、私の中の生物学的性と精神的性は一致していたようで、特にその点に関して葛藤を抱えたことはない。

しかしこの先、自身の体力の衰えや性機能不全等により自身の精神的性認識が揺らぐことがあっても少しもおかしくない。

そんなときにはその自分自身を受け入れ、あるがままの自分を表現できるといいと思うし、そんな自分を他の人に受け入れてもらうためにも、自分も他人を受け入れていかなければならない。

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みたいな感じです。

あんまりこういうことを考えたことがなかったので、すごくいい機会だったなと思います。

その他、
①「私は文章を書くことが得意だ」→②「私は文章を書くことが苦手だ」
①「私は人と話すことが好きだ」→②「私は人と話すことが嫌いだ」
①「私は体力がない」→②「私は体力がある」
①「私は道を覚えられない」→③「私は道を覚えられる」

といったことについても言語化していくのも面白そうだな、と思いました!

今回は以上です!
それでは、すろすろ、すろーす!

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