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10年後のルノアールで、ぼくが彼に語る2つのこと

朝、起きてコーヒーを淹れる。ぼくの数少ない習慣の一つだ。と言っても、毎日のことではないので習慣と呼べるかは怪しいが、まぁ「高い頻度で行うこと」であることは間違いない。

本当なら小説の登場人物よろしく、ハンドミルでゴリゴリと豆をひき、こだわりのドリッパーでゆっくり丁寧に淹れたいところではあるが、そんな甲斐性などない。粉ではなく、豆を買うのはせめてもの抵抗だ。その豆を自動ミルにぶち込み、挽かれたものをコーヒーメーカーにセットし、後は待つだけ。現在使用しているコーヒーメーカーを選んだ理由は「一度にたくさん落とせて、長時間保温できるから」だ。実に画にならない。

コーヒーが落ちるのを待ちながら、パソコンに向かう。原稿の遅れを謝罪するためである。申し訳なさと情けなさが綯い交ぜになり、キーボードを打つスピードを鈍らせる。そうしている間に、コーヒーメーカーのスイッチが切れる音が鳴る。朝一番に「申し訳ございません。昨日提出予定の原稿ですが……」とタイピングするスピードと、4杯分のコーヒーが落ち切るスピードはだいたい同じだ。

「送信」ボタンを押し、コーヒーをつぎに行く。砂糖もミルクも入れない。ブラックコーヒーの苦さが、少し気持ちを落ち着かせてくれ、そこから(朝イチなのにもかかわらず)「巻き返し」が始まる。

そんな「巻き返し」で忙しいはずのある日の午後、いつものようにコーヒーをすすった瞬間「あれ? そういえば、ぼくはいつからコーヒーをブラックで飲むようになったんだろう」と、完全にどうでもいい疑問が何の脈絡もなく頭に浮かんだ。ぼくの怠惰な脳は「ここがサボりどころだ」とばかりに、その疑問に対する答えを出そうとフル回転を始める。

「高校時代、受験勉強のときにコーヒーを飲んでいた記憶はある。でも、そのときはまだ砂糖もミルクも入れていたはずだ。そうなると、大学に入ってからか……」。ここまで来るともう止まらない。現実逃避まっしぐらだ。行き先は、2009年から2013年の東京都は新宿区・早稲田周辺である。

早稲田大学に入学することになり、上京したのは2009年。それ以降の4年間は適度に授業に出て、適度にバイトをし、適度に麻雀をし、過度に酒を飲む、模範的な大学生生活を送った。その4年間で何が変わったのかは定かではないが、入学当初から通い詰めた、挨拶がやたらうるさい家系ラーメン屋での「お好み」が「固め、濃め、多め」から、4年生になるころには「固め、普通、少なめ」に変わったことはよく覚えている。ずいぶんと胃腸が弱い若者だったわけだが、そのころには間違いなくブラックコーヒーを飲んでいた。

「じゃあ、ブラックを飲むようになったのは、1年生か2年生のときか」と考えたとき、ふと大学時代に付き合っていた彼女のことを思い出した。大学1年生のとき、東京に出てきて最初に出来た彼女の顔だ。

高田馬場・早稲田付近には早稲田大学のキャンパスが3つある。ぼくはその中の一つ、戸山キャンパス(通称・文キャン)に通っていた。彼女は早稲田キャンパス(通称・本キャン)に通う、学部違いの同級生だった。文キャンと本キャンは徒歩5分ほどの距離にあったとはいえ、特に本キャンに用事もなく、さらに言えば、静かな文キャンとは違い、そこにはいわゆるウェーイな雰囲気を醸し出すやつらがたくさんいて(いま思えばシンプルな嫉妬なのだが)毛嫌いしていたので、あまり足を踏み入れることはなかった。だから、学校がある平日の昼間に彼女と会うのは決まって文キャンと本キャンの間に通る、早稲田通り沿いのいずれかのカフェやファストフード店、あるいは喫茶店だった。

思い出すのは、ドトール、マクドナルド、モスバーガー、あとはカフェ・ゴトー。そして、もう一つ。

当時、早稲田通り沿いに「あゆみBOOKS」という本屋があった。いまは文禄堂という名前に変わっているようだが、小さいお店ながら学生街にある書店らしいマニアックな選書が光っていて、よく利用していた。

あゆみBOOKSの2階にそのカフェ、いや、喫茶店はあった。本を買い、店を出た足で階段を登り、そこでコーヒーを飲みながら読書をするのが何よりもの暇つぶしだった。なぜそのお店をよく利用していたのかは覚えていないが、安心してタバコが吸えたからだと思う。当時は今ほど喫煙者に厳しい世の中ではなく、どのお店にも喫煙席はあったように思うが、その店の喫煙者率が妙に高いような気がしていたのだ。だから、なんとなく安心できたのだろう。

彼女ともよくその喫茶店で会った。彼女はカフェラテを飲んでいたと思う。そして、ぼくの手元にはブラックコーヒー。

そう、ブラックコーヒーだ。彼女と付き合いはじめたのは、夏……か、秋。ということは、大学1年生の夏か秋にはブラックコーヒーを常飲するようになっていたのだ。

絶対にその時点で解くべきではない、なんなら一生解く必要のない「いつからブラックコーヒーを飲んでいるのか」という謎も解明寸前である。原稿という名の現実に戻る時間だ。だがしかし、ぼくの怠惰な脳がそれを許さない。「待て。まだ考えるべきことがあるだろう。『なぜ飲むようになったのか』だ」。……よし、いいだろう。考えてやろうじゃないか。

しばしの逡巡の後、あることを思い出す。彼女が東京出身だったことだ。東京の都心部で生まれ育った彼女と、富山県の片田舎出身の、さらに言えば上京直前「染めるっしょ、髪」と、薬局でギャツビーかなんかの洗髪剤を買い、大学1年生特有のう○このそれによく似た髪色になった、じゃがいもによく似た彼氏、だったわけだ。

そのじゃがいもによく似た少年は、なめられないように必死だった。何に? 東京に、だ。今思えば、タバコを吸い始めたのもそんな気持ちからだった。初めてのバイト先となる飲食店の面接で「うちの店員はみんなタバコを吸うんだけど、君は?」と聞かれ、それまで1本も吸ったことがなかったにもかかわらず「吸いますが、今日は忘れました」などと、まったく意味が分からない嘘を吐いた。面接の帰り道、マルボロの赤を買ったことを覚えている。ただし、マルボロの赤は重すぎて頭がクラクラしたので、その後キャスターの3mmに落ち着くことになる。実にいじらしい。

喫茶店でブラックコーヒーを頼むようになったのも、そんな背伸び、あるいは虚勢からだったのだろう。「ブラックコーヒーを飲むこと」が何のアピールになるのか、いまとなっては皆目理解できないが、たぶんこういうことなんだと思う。東京に、そして東京で生まれ育った彼女に、なめられたくないがための、あるいは「大人である自分」を演出するためのタバコであり、ブラックコーヒー。(富山県民の名誉のために言っておくが、こんな頓珍漢なお上りさんばかりではない……はず)

もう十分だろう。現実逃避をしているのに、そんな恥ずかしい過去の現実を再発見している場合ではない。というか、そもそも現実逃避をしている場合ではない。

最後に、苦くも甘酸っぱくもある思い出と、少なくとも当時のぼくにとっては苦くて苦くてたまらなかったあのコーヒーを提供してくれた喫茶店のいまの姿が見てみたくなった。

あの「ルノアール」を。

Google Mapsを開く。ストリートビューで訪れるは、早稲田通り。これまた懐かしのキッチンオトボケが目に入る。ルノアールは、その数軒隣だ。

やや昔の写真らしい。まだ「あゆみBOOKS」のままだ。そして、その上にあるのが……そう、

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『Google ストリートビュー』より

シャノアール。

ん? シャ、シャノアール……?

どういうことだ…? 1階に映っているのは、間違いなく足繁く通ったあゆみBOOKS。その上にあるのは、ルノアールではなく、シャノアール…? ぼくは何を思い出してエモくなっていたのだ…? というか、彼女との思い出は「ルノアールの思い出」として苦く、甘酸っぱく脳に刻まれている。そのルノアールが……ない? お互いの好きな映画や本について語り合ったあの場所が……。

まさか、あの会話は、あの彼女は……妄想……?

いや、そんなはずはない。というか、だとすると自分が怖すぎる。慌ててGoogleに戻り検索をする。「早稲田通り ルノアール」。

なんだ、あるじゃないか。思い返していたまさにその場所にルノアールが。

いや、ちょっと待てよ…? もう一度、Googleに目を戻す。こんな記事が目に飛び込んでくる。公開日は、2020年1月14日。

記事にはこうある。

地下鉄東西線早稲田駅前の喫茶店「コーヒーハウス・シャノアール早稲田店」が1月13日、閉店した。(中略)「あゆみBOOKS早稲田店(現・文禄堂早稲田店)」の2階に、1988(昭和63)年にオープン。

つまり、ぼくが大学時代を過ごした2009年から2013年の間、あゆみBOOKSの上にあったのはルノアール、ではなく、シャノアールだったのだ。だが、シャノアールは2020年1月に閉店。取って代わる形でルノアールが入居したことになる。

どこからだ? どこからぼくは間違っていたのだ…。大学を出てから約10年。その間、ルノアールにお世話になりまくったために、すべての喫茶店に関する記憶がルノアールに塗り替えられてしまったのか?

それとも、まさか大学時代のぼくはずっと「ルノアール」だと思いながら、シャノアールを愛し続けていたのか? だとしたら、嘘をきっかけにタバコを吸い始めたことより、「にがっ……」と思いながらブラックコーヒーを飲んでいたことより恥ずかしいではないか……。

ここに至ってようやく完全に正気を取り戻した。

シャノアールも、そこでいろいろな話をした彼女も、妄想だろうが現実だろうが過去のものであることに変わりない。だが、いま目の前にある原稿と、その遅延という現象は、残念ながら妄想ではなさそうなのだ。現実逃避ツアーもここまでにしなければならない。

手元に目を落とすと、そこにはすっかり冷めてしまったコーヒーがあった。呆然とする頭を切り替えるために、一口すする。

少なくとも、いまのぼくにとって、ブラックコーヒーは虚勢を張るための道具でもなければ、誰かを意識して飲むものでもない。自分の好きなものを好きなように楽しめるようになった分、ちょっとはマシになったと言えるのかもしれない。

そうだ。今度、ルノアールでコーヒーを飲もう。かつてシャノアールだった、あのルノアールで。

きっとぼくはそこに、背伸びしてブラックコーヒーを飲みながら彼女と楽しげに語らう、恥ずかしくもいじらしいあの少年の影を見るだろう。

だから、教えてあげよう。彼が心の中で顔をしかめるその苦味も、やがては口に馴染むことを。ついでに、10年経っても提出物の期限を守れる大人にはなっていないことも。

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