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エリート企業をやめて芸人になった話(入社〜研修編)

ボナセーラ。4月に入っても羽毛布団で寝てる松下です。

僕は芸人やる前に、会社員をやってました。(就活激闘期について知りたい方はこちらの記事へどうぞ。)


入った会社は業界トップの超エリート企業。20代で年収1000万を手にすることができる会社でした。

今日はそんなエリート企業で、松下がどう生きていたかについて書きたいと思います。


まず入社式を経て思ったのが、同期がとんでもなく優秀だということ。

出身大学は基本的に東大・京大・早稲田・慶應が大半を占めていて、少し地方国立・MARCHがいるといった感じ。大学名だけでもとんでもないのに、そこに体育会系も含まれるから世はまさに経歴戦国時代。慶應ラグビー部主将やら東大理系院卒みたいなのがウジャウジャいやがる。

そして当然のように言われる「定年退職までよろしくな!」の言葉。

なんて覚悟なんだ。「なんかカッチョいいしモテそう」の理由で入社した僕とはレベルが違う。

そんな奴らに勝てるわけないとコソコソ隠れていた松下ですが、人事部長が僕のことを「ボストンで唯一採用した人間」なんて皆の前で紹介しやがるから、評判だけがうなぎ上り。

「とんでもなく優秀なやつ」のレッテルを貼られた僕は、研修初日の知識テストで150人中148位を叩き出し、周りからガッカリした目で見られるのです。(ちなみに「知識より考える力の方が大事だから」という言い訳で、勉強せずにIQ上げる系のアプリをやりまくっていた話はまた後日)

まずい、まずすぎる。

気付けば同期の中でも優秀な奴らは徒党を組み、格差が生まれ始めていた。

「このままでは、、、。」そう思った松下は研修期間中のプレゼン大会で、ある作戦に出る。


それは、余興をやるということ。


基本的にプレゼン大会ってどこのグループも内容が似たり寄ったりだから、同じ話を何回も聞くことになるんですね。

だから大体みんな自分の番だけ頑張って喋って、他のグループの話はボーっと聞いてる感じ。

「プレゼンだって一種のエンターテインメント。お笑いサークルの力を見せてやる。」そう思った松下は、自分のグループ発表の冒頭、1人舞台を挟むのです。

やる内容は至って簡単。上司のモノマネや会社のCMを勝手に作って1人で全力で演じるだけ。

これがまぁウケる。そりゃ何十回も同じようなプレゼンを聞いてる中、1人でネタやってる奴いたら笑うわけだ。(ちなみに当時披露した「ジョンとキャサリンの超保険」は、いまだに同期からやってくれと言われる名作である)

研修の担当社員にも「お前なぁ、、」と言われたが、「みんな眠そうにしてたんでスパイス加えときましたああ!!!」みたいな感じで乗り切った気がする。



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(↑プレゼン以外でも気は抜けない。ボランティア活動の場でも、ネタを披露する機会は急にやってくる。)

150人の前での1人コントは緊張するが、段々周りから認められ、同期内での地位を確立したのである。

しかし、ここである問題が発生する。


プレゼンを考える会議に参加させてもらえなくなる。


完全にお笑い担当になっていたため、「お前は今回も余興を頼む」ってお願いされるわけだ。「じゃあ皆で考えようか」ってなった途端、松下は1人でネタを考え始める。

これじゃ何のために研修に参加してるのか意味が分からなかったがそこは仕方ない。黙々とネタを作り続け、遂には自分のグループが何についてプレゼンしているのか分からない状態でプレゼン大会に臨んでいた。

これじゃまずいと思い、余興なしでプレゼンに参加するも、周りの同期からは「いやー楽しみにしてたのにな」と言われる始末。

こうして研修最後まで、泣く泣く余興を演じる悲しきピエロになってしまったとさ。

(ちなみに研修最後のプレゼン大会で、役員の前で「ジョンとキャサリンのちょいのり保険」を披露した結果、社員から「ビジネスの世界だぞ」とブチぎれられた話はまた後日)


こんな感じで比較的テキトーに研修時代を過ごしてた松下は、配属発表でまさかの社内で1、2を争うエリート部署に配属されることになる。

研修期間中のツケが回ってくる中、松下はなぜ芸人になると決めたのか。

これはまた次回。


※「ローマの休日」の舞台となったスペイン広場でジェラートを食べると、罰金らしいですよ。

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