今の自分は、喜々としてペダルを漕ぐように学んでいるだろうか

今までどんな転職活動をしてきたかとか、
2019年の振り返りとか、
書こうと決めて書き始めたものや下書きに保存してるネタはいくつかあるんですけど、なんか今はこれを書かなあかん!と思い立ってタイピングしてます。

大きなテーマとしては
「これからどんな勉強をしていくのか」
なんですけど、それに対して結論を出しているのではなくて、
「どうやって結論を出したらいいのか」
という内容です。

そして、誰かの役に立つもの(いわゆる『有益な情報』)というわけではなく、完全に自分の思考整理や決意表明みたいなものなので、そういうものに興味がない人はそっ閉じ推奨です…すみません…笑


ここからは、それでも続きを読んでくださってるユニークなあなたのために書きます。


これは、僕のコンプレックスの話。

僕には大きなコンプレックスが2つあって、
1つ目が「できない人、と思われたくない」
2つ目が「これといった特徴がない」
です。

この2つは密接に絡み合っていて、できない人と思われたくないから色んなことに手を出す、期待をちょっと超えるレベルにはもっていく。
でもよくて80点、通常は60~70点ぐらいの出来なので、90点~100点近く取るような専門家・プロ・職人には敵わない。

つまり1つ目を解消するためにがんばった結果、2つ目が生まれたのです。
2つ目があるから、1つ目を解消できないのです。

解消する方法は簡単で、
ある分野ではできる人だけど他の分野ではできない人、を受け入れること
が一番の解決策かな、と思うんですね。

そうすればできる人はキープしつつ、特徴も出てきますし。

でも頭ではわかっててもなかなか実行できない。
実行できても続かない。
なので今のところ解消できてません。


で、なんでこんなコンプレックスが生まれたのか?ということなんですけど、両親の影響なのかなーと思ってます。

僕の父親は中華料理店を営んでまして。
近くにバーミヤンや王将があるという謎の激戦区(笑)なんですが、それでも30年以上経営してます。

しかも僕と年子の弟は私立の四大に行ってまして、めちゃくちゃお金かかる兄弟でした。

母親は一緒に店をやりながら家事・子育てを必死にやってくれました。
結構教育熱心というか、塾には行かなかったんですけど小学生の頃から公文やら通信講座やら何かと勉強する環境を作ってくれました。

でもまぁあれじゃないですか、子供って自分でやるのは好きですけど、やらされるのは嫌いじゃないですか。

例にもれず僕もそうでして、どれだけ環境があっても親の言いなりになるのは嫌いだったので、ずっとドラクエばっかりやってました。

ゲームは1日1時間まで、と決められてたんですが、親の目を盗んでひたすらやってました。
夜中寝静まった頃にこそっとやったり、両親が早朝からゴルフに行くときは家を出た瞬間に起きてひたすらやり込み、帰ってくる車の音を察知してすぐ片付けてました。


小学校・中学校と普通の成績、というか下から数えた方が早かったぐらいの成績だったんですけど、中学3年の夏休みに夏期講習を受けたことがきっかけで、
「知らないことを知る、できないことができる、ってめっちゃ楽しい!」
という良いスパイラルにはまります。

受験勉強を「点取りゲーム」と捉えて勉強することができたし、親友と切磋琢磨しながらできたのも大きかったですね。

7月までは学年の下位10%だった成績が、10月には上位10%に食い込むほど伸びました。

テストを受けるのが楽しみすぎて、あるとき塾で模試があったんですけど、ちょっと遅刻しそうになってしまって。

急いでチャリで向かってたんですけど、歩道の交差点を通り過ぎるとき歩行者がいないからそのまま飛ばしてたら、まさかのおばちゃんが原チャで猛スピードで突っ込んできて(笑)

「危ない」と思った瞬間には数メートルふっ飛ばされてました。

自転車は大破、服はビリビリ、顔とヒザを中心に血まみれの僕。

駆けつけたおばちゃんや周りの人が心配してくれたけど、僕の脳内は「模試に遅刻する」しかなかったので、

「大丈夫っす!ちょっと急いでるんで!」

と言ってダッシュで塾に向かいました(笑)

そんなこともあって結局模試には遅刻して先生に怒られる~!と思ったんですけど、遅刻したことよりも全身ビリビリで血まみれやのに病院に行かなかったことに怒ってました(笑)

でも必死に懇願して模試を受けさせてもらい、結果的には過去最高点をたたき出すという…それぐらい勉強(という名の点取りゲーム)にのめり込んでましたねー。

家に帰ったら母親にもちゃっかり激怒されました。


で、結果的に志望校は数ランク上げることができ、無事に進学校(といってもそこまでめちゃくちゃいいわけではない)へ入学することができました。

母親に合格したことを伝えたとき、喜びすぎて泣いてました。

今思い返すと、僕が何かをやったことで、母親が泣いて喜んでくれたのは、後にも先にもこのことだけです。


母親は結構世間体を気にするというか、いかにミスや失敗をせず安定的に生きていくか、という事に気を配る人で、僕にもそういう人になってほしいという思いで育てられました。

95点取っても「なぜ5点間違えたのか?」を責めまくるタイプです。

なのでうまくいって褒められることはなく、失敗して詰められることがほとんどだったので、僕の中では「できないことがあるとダメだ」という価値観が根付いてます。

これがコンプレックスの1つ目ですね。

で、なぜ母親がここまで失敗に厳しいかというと、父親のことが影響してるんじゃないかな、と思うんです。

父親は中華料理店を営んでると言いましたが、実は中学を卒業して九州から関西に出てきて、そのまま師匠のもとで料理の修業をしてました。

なのであまり学がある方ではありません。

また、スポーツもそんなにできるわけではないし、字もヘタクソで、僕が小学生のときに「宿題を終えたら親からサインをもらう」ということがあったんですが、そのサインを父親に頼んで次の日先生に提出したら

「あんた、これ自分でサインしたやろ!ズルすんな!」

とめちゃくちゃ怒られました(笑)

こういったことが頻繁にあって、よその家の父親と比較して恥ずかしくなったり、友達の前でかっこわるい姿を見せたり、といったことが積み重なって、

「料理(何かひとつのこと)しかできないってダサいな」

という価値観が根付きました。

その結果、あれこれ身に付けようと思ってがんばりすぎて、結局何も身に付かない、特徴のない人間になってしまった、というわけです。


なので、僕はずーっと、自分ができる人やと思われたい一心で、あれこれ手を広げて仕事や勉強をしてきました。

10代の頃はあまり深く考えてなかったんですけど、20代になってキャリアのことを考える機会が増え、それは同時に人生について深く考えることにもなるので、いかにできる人として生きていくか、ということが中心軸にあったんです。

なので就活をしてたときは「東証一部上場の大手」に入ったし、
25歳には「将来起業したい」と意気込んでたし、
そのための修業として「経営コンサルになる」「ベンチャーで働く」と決めたし、
実際に独立してからも「俺はイケてる経営者だ」とメッキを貼ってました。


で、全て失敗しました。


ほんまに、びっくりするぐらいどこで働いてもうまくいきません(笑)

あれこれやりすぎて薄まってしまうし、それでも自分はちゃんとやってると思ってできないことを認められないし、人に頼れない・アドバイスを受け入れられない、というかわいくないやつでした。

専門性も目立った成果もないので「何ができる人なのかよくわからない」ってめっちゃ言われました。

2007年に就職してから、2018年まではずーーーーっとそんな感じでした。


で、

これはもう何をやってもあかん、このままではうまくいかへん。
今までの方向性でうまくいかへんのやったら、やり方を180度変えてみなあかん。

と一大決心。

当時の僕は
・期待に応えられるように
・あれこれ手を広げて
・できるようになる
という方向性でした。

それを全部逆にして、
・自分の好きなことに
・絞って
・できなくてもいいから楽しむ
に変えました。


その結果、見えてきたのが「エンジニアリングを身に付ける」ということだったのです。

高校の文理選択のとき、数学の先生が嫌いで文系を選んでしまったんですが、中学からずっと数学が好きで特に受験前はずっと90点以上でした。

あと英語もそれぐらいで、国理社は80点~90点ぐらいをうろうろしてました。

なので文系理系どちらも好きっちゃー好きなんですけど、数学は得意なだけじゃなくて「おもしろい」という感覚が一番あったので、好きな教科ではありました。

なので、高校のとき理系に進まなかったのは今でもちょっと後悔してます…(笑)


数学が好きという気質と、あと仕事で使うエクセルがめっちゃ好きで、勝手にツールを改善したり業務の効率を上げたりと、1年目のころからやってました。

仕事以外でも、家計簿を作り込んだり、ワールドカップの対戦表を作って遊んだり。

パソコンで何かを作る、改善する、というのが好きでやってたんですね。


そういうのを見た同僚や友達からはずっと
「プログラマーとかエンジニアとか向いてるんちゃう?」
とは言われてましたが、そのときは営業やコンサル、コーチングばっかりやってたので、いきなりエンジニアって言われてもなー…と思い、職業として選ぶという選択肢はありませんでした。

でも、180度方向転換をすることをきっかけに、本格的に技術を身に付けようと思い、あれこれ模索することに。


僕は目的がないとなかなか動き出せない(とりあえずやってみる、ができない)ので、まずは目の前の業務に必要なことからやってみました。

2018年の前半は、人材系企業のバックオフィス業務を業務委託で請け負っていました。

社員さんがやる仕事のサポートがメインだったんですけど、結構泥臭く業務をしている人が多くて、時間がかかっても必死こいてやるんや!系の人たちが多い環境でした。

僕からしたら「こんな改善方法あるんやけどなー…」と思いながら見ていたので、ここで必要な技術を身に付けたら貢献できるかな、と思い立ちました。

今まで多くの時間がかかっていたエクセルの業務を改善するために始めたVBAが一番最初です。

VBAという存在は知ってましたが、具体的にどうやればいいのかはわからなかったので、サンプル集とレシピ集を買い、まずは一通りどんなことができるかを把握。

そして業務に使えそうな部分をピックアップして、必要なツールを作りまくりました。

6時間かかってた業務を10分にしたり、同じ作業を何度もしてた業務を1クリックで済ませたり。

そういったツールを作れば作るほど、
「じゃあこんなこともできます?!」
という依頼が増え、それに応える形で僕の技術力も上がっていったように思います。


あれもこれもやろうとしてたときはこんなことはなかったんですけど、
「VBAで業務改善」
というわかりやすい技術を身に付け始めた途端、周りから頼られる機会が増えました。

と同時に、苦手な業務があることも周りには発信してました。

僕は電話でやり取りするのが苦手でして、相手の顔が見えないと感情を読み取れないのと、単純に初対面が苦手なので知らない人にいきなり電話をすることにめちゃくちゃ抵抗があるんです(笑)

昔はそういった苦手な業務が合っても「任せてください!」って言ってたんですけど、苦手なものは苦手だと伝えるようになり、電話業務は徐々に減らしてもらってました。


この、
「VBAに絞る」
「電話は減らす」
は今までの僕からしたらすごい方向転換でした。

そしたら10年以上くすぶってたのが嘘みたいに周りに頼られ、期待に応えられるようになった。

やっと、こっちでええんやー!と道が明るくなった気がしました。


それ以来、
「もっと本格的にプログラミングを勉強したい」
という思いが強くなり、頻繁に本屋に行っては技術書を読み漁り、ネットでプログラミングに関する情報を集めるようになります。

当時はまったく知識がなかったので、
・フロントエンド/バックエンド
・どんな言語があるか
・プログラミングで何ができるか
みたいな基本的なことから調べました。

スクールに通うことも考えましたが、サンプルとレシピがあればなんとか仕事にはなるかな、という自信があったので、独学で挑戦することにしました。

色んな情報を調べた結果、
「プログラミング言語を選ぶには、まず何がしたいか目的をはっきりさせること」
ということを知り、改めて目的を決めることに。


僕は数学や、エクセルでデータをいじるのが好き、ということがあるのと、経営や業務改善にとても興味があるので、
「科学的にビジネスを発展させたい」
「そのための手段としてエンジニアリングを手掛けたい」
と思っていました。

そうするとそれにドンピシャの職業として
「データサイエンティスト」
というものがある、ということを知り、30代未経験ながらその道を目指すことに。

ただ、データサイエンティストとして働いている人の経歴を見てみると、みんな高学歴で理系の学部や院を卒業している人ばっかりで、自分にはなれないんじゃないか…と不安になりました(というか今もですが)。


でも方向性として見えた
・自分の好きなことに
・絞って
・できなくてもいいから楽しむ
という気持ちを忘れず、将来データサイエンティストになる、という思いで勉強し始めることにし、言語としてはPythonを選びました。


そこから、自分がプログラミングを始めたこと、Pythonを使って勉強してること、をFacebookで頻繁につぶやいてたら、知り合いのエンジニアから声がかかり、

「プログラミングの勉強をしてるなら、ちょっと仕事を手伝ってくれないか?」

という話をいただけるようになりました。

VBAを触り出してから約3か月のことでした。

そこから面談したりコードをを見せたりし、業務内容のヒアリングなどを通じて、準委任契約でプログラミングの仕事をいただけるようになりました。

駆け出しフリーランスエンジニアの爆誕です(笑)

そこには1年半お世話になり、何個か開発させてもらったのと、機械学習にも携わることができました。

勉強し始めたばっかりやのに、貴重な経験をさせてもらったな、と非常に感謝してます。

そこから、更に開発する経験を積みたいという思いでその環境を抜け出したのですが…

2019年10月から色々と仕事面・金銭面でうまくいかないことが積み重なり、借金がめちゃくちゃ増えて、支払いも滞るように。

とうとう12月には栄養失調とストレスで気を失い、救急車を呼ぶぐらい追い詰められてしまいました。

そのとき、全財産は200円もありませんでした。


ちょっと遡るんですが、僕は2012年に結婚・2017年に離婚してまして。
その離婚をきっかけに、両親からは「二度と顔を見せるな」と勘当されてしまい、全く連絡を取っていませんでした。

ただ、借金だらけでご飯も食べられない、とうとう倒れてしまった僕に残された選択肢は、親に頼ることでした。

35歳にもなって親に泣きつき、現在は実家に帰ってきてます。

借金を全額肩代わりしてもらい、仕事が見つかって給料が入るまでは生活費を前借りしている状態です。

まぁ情けない。。。


でもありがたいことに、年明けすぐに経営者の先輩から一緒に仕事しようと声をかけてもらい、そこで開発と採用支援の仕事を社員としてさせてもらうことになりました。

VBAとGASを使ってクライアントの業務改善をする、ということが目下の業務内容であり、将来的にはWebサービスに展開したいという構想も聞いてるので、バックエンド・フロントエンドの勉強もしているところです。

また、採用支援は昔独立してた時にやってた仕事でもあるので、得意分野ではあります。
そのあたりは短期的にすぐ貢献できるかな、というところですね。


ここまでが現状の説明。
ふー、長い。相変わらず。

で、これからどうするか。

エンジニアリングに絞る、ということで方向性としては間違いじゃないかなと思ったんですが、それでもこの業界は本当に広くて広くて。

絞ろうとすればするほど範囲の広さにびびってます。

直近の目的である「業務改善とWebサービスの開発」であれば、
・VBA
・GAS
・PHP/Laravel
・HTML/CSS
・フロントエンドのフレームワーク
あたりを身に付けたいと思ってるし、顧客のビジネスを理解するために経営周りのこともやっていきたい。

中期的な目的である「データサイエンティスト」であれば、
・ビジネス(経営関係)
・サイエンス(統計)
・エンジニアリング(Python/R)
あたりが必要になるし、そのために数学や英語をやり直したいし、研究する期間もほしいから海外の大学院に留学したい。

とまぁ、結局絞ったところから更に広がっていってるのです。


でも、10年前と違うのは、
「できる人を目指して何でもできる自分」
はもう視野にないんやな、ということ。

そして、
「コンプレックスの原因は両親やと思ってた」
ということから解放された、ということ。

これはめちゃくちゃでかいです。

今までずっとしんどかったけど、解放されて今はすっきり。

自分の方向性に気づくことができ、そこへ絞ったからこそ見えてきた広がりは、今までみたいに浅いところにある広さとはまた違う、深みのある広がりなんやな、と思っています。


同じ勉強するにしても、コンプレックスやネガティブな価値観に基づいたものっていうのは、辛いししんどいし厳しいし苦しいので、自分も他人も幸せになれない。

反対に、そういった自分の中のもやもやした部分を整理して捉え直すことで選んだ勉強っていうのは、めちゃくちゃ前向きになれます。

まだ完全にしんどい時期は抜け出せてないけど、中学3年生の頃にチャリで塾に爆走してた、あのときの自分が戻ってきたみたいです。

もう原チャに轢かれるのは嫌ですけどね…笑


とまぁ、結局は、自分が楽しいって思えることを追求していこ!ってことですね!

よくある着地ですいません!笑

でも、そう思える人がどれだけいるのかわからないですけど、今やってることがほんまに意味あるんかな、このままでいいんかな、と思ってる人は少なくないと思ったし、自分もそうなのでちょっと書いてみました!

ちょっと、、、書いてみました、、、

ちょっと…?

えーっと、ここまでで約7500文字…

全然ちょっとちゃうやん!笑


ということで、思いついたままバーッと書き、推敲なしの駄文長文でした。

読んでいただきありがとうございました!
一緒に楽しみながらがんばっていきましょ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?