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#愛とは

#愛とは
愛とはなんだろうか。
最近ふと考えることがよくある。

ここに書くことは全て僕の意見であり、曖昧なところも多いかもしれないがそれはそれで考える余地があるということにしておいてほしい。

愛とはなんだろうか。
この疑問が浮かんだのは本当に最近だ。3,4日前くらい。
人を愛する、ということはどういうことだろうか。「愛する」というのは単なる人間の意識行動を指すのであって、現実行動を指しているのではない。

言葉にして伝える
抱きしめる
キスをする
手を繋ぐ
セックスをする

これらが愛することの現実行動だと言うのならば、脳みそをミンチにして鶏のエサにでもした方がマシだろう。


・言葉にして伝える
これが愛の表現というのならばそれは一意見として尊重する。否定はしない。
しかし、これが現実行動だとは言えないと僕は考える。
「愛してる」「好きだ」
こんなものは幼稚園生でも言える。むしろ幼稚園生の方が純粋に好意を込めて伝えることができるだろう。
今の僕はもう19歳だ。周りの人々全員が感情のままに行動しているなんてありえない。
そうなってくると相手が真に考えていることがわからなくなってくる。腹の探り合い、心の読み合いだ。
僕が人間不信になった話はここでは控えるが、基本的に周りの人間は信用していない。自分の世界には誰も立ち入れないというスタンスで生きている。
いくら愛の言葉を口にされても信じることができない。つまり、愛を受け取れないのだ。
「愛してる」「好きだ」などというのは単なる言葉なのだから、誰だって口にすれば表面上では伝えた形になる。心で思っていなくとも言葉にすることはいくらでも可能なのだ。
だからこそ、「愛を言葉で伝える」というのは愛の現実行動だとしては認めない。


・抱きしめる
これは住む文化によってある程度考えが分かれたり意見が多々ある。
ここでは僕が生まれ育った日本の場合を考える。
日本ではアメリカやイギリスと異なり、挨拶のときにハグをする文化はない。
細かく言及はしないが、基本的に恋人や夫婦が愛の表現行為として行っているものとする。

だからなんだという話だが、「抱きしめる」なんて体を動かせばいい話だろう。生理的に受けつけない相手でなければ誰だってできる。
挨拶でハグをしていないだけであって、やれと言われればできる。
恐らくここら辺で頭の硬い連中は「ハグと抱きしめるの違いを定義しろ!」などとうるさく言うだろう。
ハグは軽い抱擁、抱きしめるのは激しい抱擁程度の認識で構わない。ここでは厳密な定義は重要ではないのだ。

まあ、言ってしまえば"単なる行動は誰でもできる"ということだ。以上。


・キスをする
これは人によって異なるだろうが、結論は上に同じ。以上。


というのも雑すぎるので少しだけ意見を述べる。
キスは好意を寄せている人間としたいと思うのが普通だろう。
ただ、それは"したい"だけであって、その人としか"できない"わけではない。意識として、ではなく、行為として。
どういうことかというと、「好きな人としかできない」というのは意識の中で「そうありたい」「自分はそうだ」と思っているだけで、行為としてはしようと思えばいくらでもできるということだ。
僕の場合は、知っている人は知っているだろうが、同性とでもキスすることができる。異性とだって「していない」だけであって「できない」わけじゃない。しろと言われればできる。
僕にとってはその程度の認識だ。
キスをして愛を感じる、などというのは訳が分からない、としばしば思う。
だから「キスをする」ことが愛の現実行動とは思わない。


・手を繋ぐ
これまでの話を少しでも読んでくれた人ならわかるだろう。この行為は誰とでもできる。
「手を繋ぐ」という行為を愛の現実行動の候補として挙げたのが馬鹿馬鹿しくなってくる。それくらい愛の現実行動とはかけ離れていると言っても過言ではないだろう。

これ以上言及しなくてもここまで読んできてくれた人なら理解してくれると信じて、最後の砦をぶち壊しに行こう。


・セックスをする
これは多くの人が愛情表現のひとつ、そして愛の現実行動であると思っていることだろう。
実際そうかもしれない。全身で愛を伝え、感じ合う、愛の形の最終形態。

本当にそうだろうか?
これは僕個人の認識であり偏見かもしれないが、ヤリチンやヤリマンは愛を感じるためにセックスをするのではなく、快感を求めてセックスをしている。愛を注がれたいからセックスをしまくるメンヘラもいるが、実際に注がれてるのは愛ではなく精子である。

童貞の僕が言っているので説得力は無いかもしれないが、考えは述べたいものだ。
性行為はただの行為であり、愛の現実行動ではないのではないか。快感は得られても、愛は得られない。そう思ってしまう。

以上の挙げた5つの行為は、『愛情表現』であり、『愛の現実行動』ではないと僕は考える。
そもそも"愛"というものは意識世界の概念であり、現実世界に具現化するものではない。

では、愛とはなんだろうか。
単なる概念意識でしかなく、現実行動としては存在しないのだろうか。
愛し合うということはどういうことなのだろうか。
相手に愛を伝えることはできないのだろうか。

僕なりに結論づけようと思ったが、どうにも概念を明確化するのは難しい。

ただ、相手を想い合うということはできるのではないか。相手のことを想い、理解しようと試み、好意を伝えようと努力する。それも愛情表現のひとつでしかないが、その努力をすることはこの上なく大切なことだと思う。

ここまで散々言って最後に美談で締めくくろうとでもしてるのか、と思われてしまうかもしれないが、そうではない。

愛は所詮概念世界のものでしかなく、形にはできない。愛は現実行動に昇華することはできない。

結局何が言いたいかと言うと、
人からの"愛"なんて確かめようがないって話。

終わり。

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