期限

2015年からはJFLのヴェルスパ大分でプレーをした。
ヴェルスパは当時全員が仕事をしながらサッカーをしている状況だった。

ほとんどの選手がチームの親会社の工場でライン作業を行なっている。

自分は上のリーグから落ちてきたという事もあり、多少の優遇をしてもらいスポーツショップに勤める事になった。工場の人に比べたら体には負担の少ない仕事だった。

一日の流れは、8時半〜17時まで仕事をし、19時頃〜21時まで練習という感じ。
夕飯の時間は22時を過ぎる事も少なくなかった。

自分は学生時代にバイトの経験もないため、仕事自体が初めての経験だった。

仕事をしながらサッカーをする事に覚悟はしていたが、働き始めは「いらっしゃいませ」の一言すら恥ずかしかったのを覚えている。

それは言うこと自体が恥ずかしいのではなく、サッカー選手が日中普通に働いてそれを言う事が恥ずかしいという感覚。
Jリーグでやっていた自分には、その肩書きが仕事に対して邪魔をしていた。

この職場では他の競技のアスリートも一緒に働いており、バレボール選手、バスケットボール選手、マラソンランナーなど色んな競技の選手と情報を交換してお互いを刺激し合える場でもあった。

もちろん、バリバリ試合に出るつもりで移籍をしてきた。このときは21歳。まだまだ這い上がるための時間はある。そう思ってJFLでやる覚悟を決めていた。

しかし移籍してみると、チームメイトの上手さに驚かされた。
JFLでもレベル、低くないな。そう思った。

この年から本格的にサイドバックをやるようになり、同じポジションでいうと、過去にサガン鳥栖で試合に出場していた経験もある長谷川豊喜さんがいた。
この人の壁が高く、サイドバックの経験が浅い自分はなかなか競争に勝って試合に出られることはなかった。

この年の出場試合は14試合。JFLのリーグでいうと半分以下だ。
JFLでもこんなに試合に出られないとは思ってもいなかったが、、これが現実だった。

一年目はなかなか仕事に対しても前向きになれなかった。
働いていたスポーツショップはチームのスポンサーでもあり、職場では色んな人が試合の結果を気にかけてくれる。

週明けの仕事の日には、職場の人たちと試合の話をする事も多い。そこまで試合に絡めていない自分は、それが凄く嫌というか、気まずかった。

落ちるところまで落ちてしまったなあ。
素直にそう思った。

自分には職場の優遇もあり、大卒の選手に比べたらおそらく多少は良い給料。

来シーズンは減俸や職場の変更、最悪の場合は契約満了も覚悟した。

そして迎えた契約の面談の日

提示されたのは、小額ではあるが年俸のアップだった。正直びっくりした。

強化部長に話を聞くと、うちはプロクラブではないから、高額の年俸アップやダウン、契約満了ができない。一年間頑張った分として多少額が上がっていると言われた(当時の話なので今は変わってるかも)。

自分は有り難い気持ちの反面、結果を出していないのに申し訳ない気持ちになった。

このままではこの環境に甘えがでてしまうと思った自分は、この時に大分での生活に"期限"を決めた。

あと2年。長くてもあと2年やったら良くも悪くもここを出よう(大卒一年目の年まで)。自分の中でそう決めた。

結果論になってしまうかもしれないが、目標に期限を決めるのは自分自身を追い込むのには非常に良い方法だと実感した。

あと2年やってステップアップ出来なかったら、ここを辞めようと期限を決めた分、その2年間にかけられたし、そのあとの選択にも迷いはなかった。

目標に期限を決めるのが大事という話は、以前水戸のmake value projectで目標設定の講義の際に同じような話があり、自分の中では確信に変わった。

目標に対して細かい期限を決めるのは今も取り組んでいる作業の一つだ。

自分の目標に期限を決めた事で覚悟も決まり、大分での2シーズン目を迎えた。

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