希望

JFLでプレーしていた時の話。

自分にとってはある意味衝撃的なニュースを目にしました。

JFLのFC大阪からJ2水戸への移籍。こんなステップアップがあるんだなあと、下位カテゴリーでプレーする事に希望を感じたのを覚えています。

浜崎拓磨くん。当時は対戦相手としか知らなかったけど、移籍後も試合に出てるか気になり、水戸の試合記録を毎試合チェックしてました。

上を目指すとは言いながらも、下のカテゴリーにいると先が見えないなあと思う事って正直多々あるんですよね。

ただこういう人の存在が下位カテゴリーの選手にとっては勇気をもらえる大きな事なんですよね。

自分と同じ境遇の選手がいないかなとネットで探したりもしてました。

今ではサッカー界の繋がりで拓磨くんと交流もあります。現在僕が水戸でプレーさせて頂いているのは何かの縁を感じますね。

有り難い事に自分もこうやってJ2の舞台でプレーするチャンスを頂いていて、自分にとっての拓磨くんだったような、今は下のカテゴリーにいても上を目指している選手の希望になりたい。という思いもあるので、プロになってからの選手生活や移籍を重ねながらどういう思いでカテゴリーを上げて来たかなど少しずつ振り返っていけたらなと思います。

もちろんJ2に来た現状に満足している訳ではないですし、ここから更にJ1に行きたいと思ってます。というか行きます。そのための自分の整理のためにも。

よかったら読んで下さい。まずはプロ一年目。

2013年 湘南ベルマーレ

小学生から湘南ベルマーレの下部組織で育ち、ユースからトップチームに昇格しました。

ただ感覚的にはギリギリ上がれたって言う感じです。大学かプロか、自分で考えて決めていいと当時強化部長の大倉さんに言われました。

めちゃくちゃ高い評価で昇格が決まった訳ではなかったので、嬉しい反面、ちょっと悔しい気持ちもありました。ただ、やっぱりプロに挑戦できるチャンスがそこにあったので、チャレンジしたいという気持ちで昇格する事を決めました。

高校3年の終わりに足首を骨折してしまい、プロ一年目のスタートはリハビリで、キャンプにも参加出来ず少し出遅れてしまいます。

だいたい新チームはキャンプを通して徐々に馴染んでいくので、皆んなが帰って来た時に仲良くなっていて少し焦ったのを覚えてます。笑

ケガが回復して練習に合流し、徐々にコンディションも上がっていき、4月27日アウェーのVSジュビロ磐田戦にメンバー入りを果たします。

初のJ1の公式戦で、ウォーミングアップの始まりにサポーター達のいるゴール裏に挨拶にいく時の興奮は今でも忘れられないです。
あのアップが始まる瞬間ってめちゃくちゃカッコいいなあって、小さい時からずっと思っていたので。あの景色は最高でした。

最後の約10分間途中出場し、J1デビューする事が出来ました。当時はFWです。それなりに出来て、手ごたえも覚えたデビュー戦でした。

デビュー戦で手ごたえをつかみましたが、そこからは一切メンバーに絡む事は出来ませんでした。
いま振り返っても、この一年目はほんとに苦しかったなと。
とにかく波がありました。それはプレーもそうだし、メンタル的な波が本当に凄かった。
トレーニングでミスをするのが怖くて、ビクビクしながらプレーしていた感じです。
怪我もあり、プレーできない時間も長かった。
とにかく周りとの差を感じて、どこか迷惑をかけないようにプレーしている自分がいました。

当時の監督はチョウさんで、練習ではよく怒られてました。あくまでも愛のムチです。

本当はできることなのに、それを自分が出せていないとよく怒られていたのを覚えてます。
"自分で自分のことを裏切るな"とよく言われていました。

デビュー後は思ったプレーが出来ないままシーズンが過ぎて行き、チームもJ2への降格が決まってしまいます。

来期の契約の話になり、J3の福島へのレンタル移籍が決まります。
まずはここで結果を残さないとまずいな。と思いながらも、、
J3だし、試合には普通に出られるかな。くらいに思っていた気がします。

あいにく翌年、痛い目にあいます。。

つづく

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