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成長

こんにちは、りょすけです。

今日は、いい日だなって感じることがたまにあるんです。

それには、天気が晴れているから、課題を終えたから、好きな音楽を聴けたから、などなど理由は色々あるのですが。

一番は、人に認められたときかなと思うんです。

僕は、幼稚園・保育園→小学校→中学生→高校→大学→?とこれから進んで行くはずです。行くはずというのは、まだ先のことはわからないので、一応曖昧な濁し方をしています。

こんな具合に、成長して、知識を吸収し、自分で考えを持てるようになればなるほど、人に認められて、評価されることは少なくなっていきがちです。

でも、なかなか面と向かって言われることが少ないからこそ、誰かに認められて、評価してもらうことがすごく嬉しい。

せっかく生きているのなら、人と関わり合いながら、互いのことを評価し合える環境で生きたいなって思います。

昨日、思いもよらない言葉をかけてもらいました。高校の友達と大学の友達からなのですが、少し短くして紹介しますね。

りょすけの良いところは、言葉や、態度に筋が通ってて、猫かぶることなく、自分がホントに望んでいる人間関係を男女問わずに築けているところ(高校の友達)

りょすけは、言葉を選んで相手に自分の気持ちを的確に伝えることができる素敵な個性を持っている(大学の友達)

この二つに共通することって、どちらも僕のことをきちんと見て、認めてくれている所なんですよ。

「どうだ!こんなこと言われるなんてすごいだろ?」という驕った(おごった)意味ではなく、こんなことを言えるようになりたいなってすごく感じました。

人を認めて、何か評価することってどれだけ難しいことか。

小さい頃は、「すごいね!」「偉い!」など面と向かって言うことは簡単なことだったはず。

でも、今はどうだろう。僕は全く言えていない気がする。

このnoteの中では、噓偽りない本当の自分(=本心)を出す場所として活動したいから、本当のことを言うとですね、、

僕は、人の行動や、考えを少し否定的な視点で見てしまう。

これには、理由があって嫉妬なんですよね。

自分にはない考え、自分にはできない行動

これらが、僕の中の嫉妬心に否定的な考えをさせている。

言ってしまえば、嫉妬が起こるってことは認めてるってことなんですよね。

でも、認めようとしない自分がいる。いつからこうなったのかはわかりません。

だから、今日二人の友達に言ってもらった言葉を受けて、変わらないとだめだなってすごく感じたんですよね。

自分にはできないことをできる良いお手本がこんなに身近にいるとは、、

いかに友達という存在が偉大なものか。身に染みて感じました。

これからは、思った事を隠すことなく、素直に、正直に。


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