【265日目】考える必要のない時短食の幅が狭いイタリア

一週間に一度、日本人のママさんがいるご家庭にお邪魔して料理を振舞っていただいている。"楽しみ"があると、僕の"いつもの時間"の質が上がっているのを感じる。

大体僕は、Calfという近くのスーパーで過ごすのだけど、考える余力がない時とか、来たばかりの時(今でもそうだけど)パスタと缶詰を買って、混ぜて食べる。

それが一番、考える必要のない、時短の料理だったから。
一向に考えない時は、レシピがパスタ系に偏るから、カンズメの種類を変えて味変を楽しむくらいになる。それか、サラダを買って、オリーブオイルを垂らすくらいか。同居人のインド人も似たような料理をほぼ毎日食べている。

Calfでは、惣菜コーナーがあるけれど、値段が高くパーティー向けのメニューが多く(印象)手を付けにくい。100円程度のアジフライ、天ぷら、おにぎりがない。

つまりは、考える必要のない時短料理のバリエーションが狭い。日本なら、コンビニに行けば魚、肉、野菜、いろんな種類のお弁当を温めれば食べられるし、スーパーに行けば、惣菜の肉と天ぷらを買って、米とかなんやらすれば、考えなくてもカスタマイズして机に並べれば、5分で食える。超便利な世界。それに慣れて、やってきたイタリアのスーパーでは、考え、学び、教えてもらわないと、食べられる料理の幅が広がらない、いっちゃえば超非効率で豊かさを獲得するのに大変な世界ではないかと気づいた。

でもそういうシステムだから、イタリア人の食事時間は長く、よく話すし、なんかあったらすぐ助け合うような共助の関係があるのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?