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遠回りな人生

僕は30歳の時に音楽を辞めました。

ホテルや結婚式でピアノを弾く仕事をしていたのですが、

将来の事を考えて方向転換しようと思いました。


もっと安定した仕事に就こうと就活したのですが、時すでに遅し。

30歳で定職に就いたことがなければどこも雇ってくれませんでした。

50社挑戦して、一社面接してもらえましたが、撃沈。

そうこうしているうちに貯金がなくなり余裕がなくなりました。

思い切ってこれまた方向転換して北海道の牛の乳搾りに応募したら受かりました。

なので北海道で牛の乳搾りをしてましたww

でもなんかしっくりこないよなーって日々が続き、

イギリスに渡りました。

やることが大胆なのでウソみたいでしょ?

僕の人生は思いつきで成り立ってますww


イギリスで出会ったもの


イギリスで知的障害者の子供たちの介護の仕事をしてました。

その中で音楽療法を知りました。

音楽で人の役に立つ、という発想を持ったことがなかったので衝撃でした。

音楽療法の本を読み漁ったのですがそうそこはイギリス。


英語では難しすぎた!!


音楽のパートは理解できるんですが、脳や医学の所が辞書との往復で内容が入ってこない!!

でも一生懸命勉強しました。

しかも最強の環境だったので、学んだことをすぐに子供達にチャレンジできました。

しかもその親御さん達にもすごく感謝されました。

音楽が好きな子供たちは僕にいつもお願いしてくるようになりました。

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サムが疲れ切った僕を介護してくれてる図 ↑


二年間イギリスで勉強し、もっと深く学べるアメリカに渡りました。

アメリカでの一年間はよりハードでした。

本格的に学びながら長時間の知的障害者の子供たちの世話と、体力の限界を挑戦する日々でした。

しかしその姿を見ていてくれた音楽療法士の先生が来年定年で辞めるから、と僕に仕事を譲りたいと申し出てくれました。

アメリカで音楽療法士として生きる!


カッコイイ!!


これが僕の情けない本音ですww

しかし僕は車の運転が超ヘタなので、車なしで生きていけない環境でやっていけるのか不安でした。

どうしようか悩んでいる時期に悲しい悲報を聞きました。

大学時代の親友が病気で亡くなったのです。

彼はテレビCMの音楽を作ってて、ちょくちょく制作されたCMを見せてくれていました。

若くして亡くなった親友の気持ちを考えて無念だったろうな、と考え僕がその意思を引き継ぎたいなと思えるようになりました。


帰国


日本に戻りDAWを買いました。忘れもしない2016年9月です。

音楽をストックし販売してくれるAudiostockを始めたのが2017年1月。

今ここ。

親友の意思を引き継げたのか、一応テレビCMに僕の音楽は使われている状態。

彼が笑ってくれてたらいいんだけど。


追記:ありがたいことにAudiostockでの売り上げを数年間トップを取らせていただくことができ、2021年にグランプリを表彰して頂きました。

色々な所で自分の音楽が流れている状態をとても嬉しく思いつつ、親友の思いを引き受けられたかなと思います。

現在は、音楽とは違った分野の挑戦を始めました。

相変わらず一つの所に留まることのできない性分なので、つい、ね。

新しい開拓地を乗り越えてみせますよー!と鼻息荒く頑張っております。

この新しい分野でも活躍できている自分を思い描き、奮闘していきたいと思います。


20代

音楽漬けで音楽ばかりやってた。練習しまくった。

ブラジルに2年住んでピアノ教えながらブラジル音楽学んだ。

音楽に一生懸命だった20代。

30代

彷徨いながら、色々大切なこと学んだ。

イギリスやアメリカで沢山人に出会い、貴重な体験をした。

音楽療法に出会った。音楽に対する意識が変わった。

そして今40代

DTMを通じて新たな出会いがあり、挑戦がある。

今も試行錯誤で必死に生きてる。

DTM歴が短いから、その分波乱万丈の人生経験で他の人が作れないもの作ってやるー!!って頑張ってます。


いやー、こりゃ50代が楽しみやな。


終わり

ブラジル編も書きました。興味を持たれた方はこちらもどうぞ。

https://note.com/ryopianofote/n/ne67fe65969b0/edit





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