弱音

弱音を吐くことなんてしたくない、と思う一方で、弱音を吐くくらいなんだ?自然なことだが…と思う自分もいる。何をものともせず吸収していく強靭な精神と、あるがままで生きて行ける逆説的な逞しさ、それぞれに憧れがある。あれもいいし、これもいい。逆に言えば、あれも嫌だし、これも嫌なのだ。

ずっと不貞腐れている。
少し前に上司の人から詰められているとき、石原さんまたふてくされてるでしょう、と言われた。
今の自分に、なんてぴったりな言葉なんだろうと思った。

不貞腐れる。
その時局所的にひどくふてくされていたと思うけれど、思えば4月に社会人になってからというもの、うっすらと絶え間なく自分はふてくされ続けていた。はじめは冗談だった会社辞めてえなあ、がいつしか本音になっており、仕事がイヤだなんて弱音を吐くのはダサい、というツッパリは、跡形もなく消えていた。
なんでこんなことになってるのかな?週末や長期休暇を心待ちにして、何かに溺れそうになりながら辛うじて平日を切り抜けるような、そんな社会人に一番なりたくなかったはずなのにな。
人生で楽しくない時間を過ごしたくない。だから仕事も楽しめるようにしよう。仕事という新しい遊び方に慣れよう。と、思っていたはずなんだけどな。

今のままだとこのポイントがダメだ。だからこういう風に改善すればいいんじゃないか。楽しくなるんじゃないか。そういう風に、目の前の些末なことにめげず貪欲に生きる元気がない。殆ど全くない。

いつからかと言われれば、最初のプロジェクトに入って少し経った頃からだ。
受講者も講師も手探りの新人研修(新卒1期生だからね)を終え、最初に入ったプロジェクト。何人もをパワハラで再起不能に追い込み、仕事はめちゃできるけど周りの人間を壊していくような、そんな上司についた。
システム開発のプロジェクトだったから自分は素人中の素人で、任される仕事は途方もなく難しいことか、もしくは殆どするに値しない単純作業のどちらかだった。前者を全く上手くできずに連日怒鳴られ、不貞腐れるなどとうに通り越して、耐えることしか、必死に心を殺すことしかできなかった。後者の作業を仕上げると、一瞥もなくハイ終わりか、もしくはすでにその作業の依頼自体がなかったことになっていた。前者をうまくやろうという気概、後者になんとか価値をつけようとするひたむきさ、そんなものは日々の心身の磨耗の前に、跡形もなく消え去っていた。家に帰って眠りに就いても、上司に怒鳴られる夢をみて汗びっしょりで飛び起きる夜が続いた。
8月末に別にプロジェクトに移籍するまで、仕事に対してただの一瞬もポジティブな感情を抱けなかった。もう、仕事というものがすっかり嫌になってしまっていた。
余談だけれど、その後に新卒の同期がその人の下につくことになり、いま精神を壊して休職中である。なまじ多少の知識のあったやつだから、きっと俺より乱暴な扱い方をされたんだろうと思う。彼の言った、「今は生活をすることが怖くなってしまった。とりあえず普通に生活を送れるようになるまで回復したい」という言葉が、心にじっとりと残っている。

移籍は、相談という名の宣告のもと行われた。元の上司は百戦錬磨だから、新人を言いくるめるなどわけないことだ。自分も自分で、全く興味のない移籍先の業務に、今でないどこかならどこでもいいと頷いてしまった。クソだ。
移籍後から今に至るまで、人にものを教える仕事をしている。まだあまり有名でない業務自動化ツールの、他社向け研修の講師を常駐でやっている。こちらは、ひとつめのプロジェクトに比べてまだマシではある。
授業をすること自体にはある程度慣れてきたが、別に自分もそこまで詳しいわけでもないので、毎日自主的に勉強することになる。それはまあ、別に良かったはずなのだ。新しい上司も詰める人だけど、圧倒的な理不尽さは全くないし、その内容は参考になる。こちらの心を折るような伝え方が心底しんどくて、聞く耳を持つ前にふてくされてしまうだけだ。

日々に不満しか出てこない。
頭では分かっている、新しいプロジェクトに入ってからは、ちゃんとした業務に携わることができていて、それをどういう経験として生かすかは自分次第であるということは。新しい上司から色々と学べるし、言い方だけ過敏ですぐにふてくされる自分に非があるという論理を、選択したのは自分だということは。

けれど今、じゃあどうするの?を考えて実践する、その志が、どうしても湧いてこない。自分でも不思議なくらいへこたれている。慢性的にふてくされている。
特にここ1週間、それまで続けていた業務内容に関する勉強をすっかりしていない。1週間前に久しぶりに上司に会ったとき、これからは自分から石原さんに何かをするよう指示をすることはあまりなくなると思う(ので、必要なことを自分で考えて行動してください)と言われた。それを聞いた瞬間、ぷつりと糸が入れたように全くモチベがなくなってしまった。今の上司に詰められるのがイヤで勉強していたのかなあ。今までの学習で通常業務は回せるようになったから、真の意味での自主学習にはまだ怠けが生じているのかもしれない。未知の知識に対しニュートラルな態度でいたいけれど、やっぱり興味のないものには興味がないのかもしれない。わからない。とにかく、今まではなぜか確かにあった意欲が、全く湧いてこない。

けれど、それはそれで問題なのだ。
自分は小心者だから、定時で授業を終え退社すると、なんとなく「勉強きなきゃな?新卒だしな?」という気分になる。その義務的な思いとは裏腹となるやる気の出なさが、最近は上回ってしまっている。高校生の頃の期末テスト前とか、こんな気持ちだったろうか。やらなきゃいけないんだろうけど、どうにもやる気が湧かん。期末テストは期日があってわかりやすく結果がつきつけられるけど、今の自分がすべきはいつか必要になる(可能性がある)分野(興味はない)の勉強なのだ。困ったものだ。

「同じ場所に留まり続けるためには、常に全力で走り続けなければならない」という言葉がある。
周りの人たちに想いを馳せてみる。就職して社会人になじみ、苦闘しながらも邁進する者。進学し、己を鍛えアウトプットする者。いつか実現したい未来のためにコツコツと積み上げる者。
方向性はどうあれ、みな一様に前進している。あるいは、前進への意思を持ち、行動している。進度はどうあれ、みな変化やその結果としての成長に前を向いている。それはきっと自身を変化させていくだろう。対して自分はどうか。不満を言うばかりで何をするわけでもなく、やりたくもないことを無思考に義務と位置付け貴重な時間を潰し、このままでいいのかと言う問いから目を背け続けている。いつからこうなっちまったんだ?と嘆くばかりでなにをするわけでもなく、ただ単に時間や感覚や心を食い潰すだけだ。そう言う状態から抜け出す意志のようなものが湧かない湧かないと嘆くばかり。甘えなんだろうか?そういう甘えにどう向き合えばいいのだろう?どうすればいいんだろう?それを考える気力がどうにも枯渇してしまっているような気がする。
言い訳ばかり。精神的に向上心が、ない。全く。いつも楽しい気分でいたいと駄々っ子のように思うだけで、改善の意思も行動も何もない。あるのはそういう自分に対して厳しくあろうとする姿勢だけで、実情が完全に乖離している。その乖離がより一層自分に無力感を与え、心をじりじりとすり減らす。

どうすればいいんだろう?
ずっとその問いだけがある。深まることも浅くなることもない。深めることも浅くすることもできなくなっている。いや、もともとそんなことができる自分ではなかったのかもしれない。
そうやって自分自身を情けなく思うことにさえもなんとなく慣れてしまって、聴きたくもない憂鬱の基底音を常に聴きながら、何も考えずまた明日も仕事に行くのだ。また明日からも、過ごしたくもない毎日をふてくされて過ごすのだ。
それに甘んじることしか、できなくなっているのだ。
行動に移ることのない切実さが、その切っ先を自分に向ける。


どうすればいいんだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?