クリエイティビティの正体

プロダクトを構築している。

自分はリクルートの事業開発の方法論に大きく影響を受けていて、作り始める前のビジネスの検証、つまりビジネスのルールを明らかにするためのリサーチを徹底的に行っている。

最近、前職でリサーチを専門としていた大学の先輩が入社してくれた。
ここ数日、その先輩と対話をしながら、プロダクト構築において検証すべき仮説を抽出していた。

自分は理系だからかエンジニアだからか、経験を過度に抽象化して語る癖がある。というか、すぐに抽象化して汎用的な知識にしようとする癖があるので、その仮説がそもそもどんな事実や経験に立脚したものなのかを忘れがちである。そのせいで最初は自分が立てた仮説があまり伝わらなかった。

対話を繰り返す中で、自分の仮説はこの5年間くらいで実際に経験してきたことに立脚していたことが明らかになってきた。それは、自分が創業してからずっと横で見てきた、グループ会社の水星についての経験だった。水星がぶつかってきた課題とその解決に至るプロセスが自分の仮説の背景にあった。

5年もあれば、うまくいかなかったこともたくさんあって、それでも逃げずに問題に向き合ってなんとか解決してきた。自分が主体的に問題解決に関わったわけではないけれど、少なくとも本当に一番近くで体感してきた。

おかげで、実際に現場で起こる複雑な事象がどんな課題に立脚しているのか、他のどんな課題に派生するのかが手に取るようにわかった。そして当時の感情も含めて実体験から生々しく語ることができた。

結果的に、先輩に促される形で経験を掘り起こすことで、血が通っていてユニークでインパクトのある仮説がたった。

この経験は結構衝撃だった。

今までの自分は、宝はまだ知らないところにあるのだと思っていた。
なぜなら、通常、自分がすでに宝を持っているとは思わないからだ。

自分の経験は自分にとってこそ矮小化されやすい。
すでに自分が経験していて驚きがないからだ。
もしくは、すでに乗り越えた過去のことだからだ。

現代はモノにあふれ、機能での差別化は困難である。
謙虚さは美徳だけれど、謙虚さからはユニークな創造性は生まれてこない。むしろ、自分の経験から主観的に判断するような、ある種傲慢な態度の方が納得感があってインパクトのあるアイデアが生まれる。

つまり、自らの経験が他の何よりも価値のあるものであるという態度を取ることが、クリエイティブであるということなのではないか。

これが事実だとすれば、新規性とは、自ら判断できるものではなく、第三者によってしか評価し得ないものであり、その価値自体も自ら判断することは難しい。異なるバックグラウンドを持っていながら、似通った価値観を持つ第三者との対話によってはじめて自らの経験に光が当たる。

そして、この発見におけるもう一つの重要な側面は、光が当てられうる価値のある経験は、試行錯誤を繰り返しながらのある程度長期の経験によって得ることができるということだ。逃げずに向き合い続けた経験が価値になる。

最近、平均勤続年数が上昇傾向にあるのでは?という記事を見た。
スキルがコモディティ化していく中で、ユニークネスこそが価値となっており、それは継続的な一方向への試行錯誤によって身についていくからだろう。

また、ものが溢れ、機能での差別化が困難になっていく中で、リーダーシップのあり方も変わってきている。かつてはナルシズムだと冷笑されていたような態度が人を惹きつける。

試行錯誤をし続けた経験が価値になる。
経験を価値たらしめるのは自分の主観を尊重するという態度である。
そして、そういった価値は第三者との対話によってしか発見できない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?