最高効率学習とは意思を捨てること



いろいろと考えた結果、

デザイン的に読みやすいのはブログかなと思い、この形態にしました。

現役東大生のナガタリョウです。


今日明日で完結させますが、
とりあえず今日は、受験の本質について。
明日は、使った参考書、あと、勉強法について書きますー

今日たぶん地味なので期待に添えないかもしれないです。
ただ、これこそが本質だと思うので、伝わればと思い。

では、



ささっと、僕の経歴を書くと

高2の冬まで、校内偏差値30代(長野県の進学校ではありましたが)、

東大模試で数学の偏差値29.1

そこから、半年勉強して東大模試でB判定を取ったのですが、調子に乗って勉強をやめたら、本番は2点差で不合格でした。

浪人後は、反省して勉強して理3の平均超えました。

今は、受験期に培ったメソッドを使って、大学での学習や研究、実生活でのスキル習得に役立てています。



最近テレビに取り上げてもらうことが多く、

キャッチーな明晰夢勉強法などを紹介してもらうのですが、そんなある種、邪道な方法を使わなくても入試は突破できます。

というか特殊能力の取得は正直イレギュラーなので隙間時間にやってみてください。

その後の人格崩壊とか気にしなければ、半年でも可能です。



ここから書くのはあくまでも、受験というものを俯瞰した時、
全ての無駄な枝葉を取り去り、本質的な部分だけを抽出したら、受験勉強はこうなるっていう話なので、

受験勉強で成長しようと思っている方は読まない方がいいです。

僕は、受験勉強で成長できたと感じているので。
浪人してスランプを迎えた頃に読むのがちょうどいいかもしれません。


忠告はしました!

嘘は書いていないので、読んだら多分萎えますよ!

とりあえず主に書いていくのは本質的な部分に絞ります。

ペーパーテストに人間性はいらない


最近目覚ましい発展を遂げているAI(人工知能)の分野。

ペーパーテストの受験で求められるのは、

「あるインプットに対して、常に同じロジックを働かせ、再現可能性の高いアウトプットが常にできること。」

これだけです。

これって、単なる高度に発展したAIじゃないですか?

ならば受験で問われることは、受験者がどれだけ正確なコンピューターであるかどうか。

受験をできるだけ柔らかくポジティブに捉えれば、

いかに他人のアイデアや世界観を自分に内在化し、運用できるかの能力判定テスト。

他人の意見やアイデアに非寛容で、自己を客観視できない人間には明らかに学びがないので、学問に携わる人材の選考方法としてはある程度理にかなっていますね。

こう考えると、試験の回答には、名前以外に自分自身というものを表現する必要ありません。

高校までの学校教育の意味を、もしペーパーテストでいい大学に入れることだけだと仮定したら、「個性を伸ばそう」なんていう言葉は、単に世間体を気にした、ただの言い訳に聞こえます。(その目的からすれば、個性なんてはっきり言って邪魔です。)

極論を言えば、有能な教師の言葉をすべて間に受けて、即実行に移す人形のような生徒こそ、現行の受験においては最も評価されます。

だから、講師を宗教的カリスマ性を感じさせるようにタレント化した大手の予備校から、毎年数多くの東大生が排出されているのです。

(ビジネス的に言えば素直にこの方法は上手いなあ、と感じますが。)

かつては、このような受験システムでも、攻略が個人の裁量に任されていたため機能していましたが、塾というものが普及してしまった現状の世の中では、うまく機能しません。

例えばこれから書くようなことを個人が意識化しなくても、
塾が外部脳として、プロセスのデザインを担ってしまっているので
結果的にシステムの中にうまく入っていれば受験はパスできます。

これが僕には高度に文明化した世の中では、個人が専門化し、依存し合わないと生きていけなくなるという状況の一つの具体的事象のように映ります。

こんな世界なら、多くの外部脳を効率的に駆使したほうが、課題達成までのプロセスは短縮されるでしょうが、ソリューションを他人に求め続ける個人は、クリエイティビティを減少させてしまいそうですね。

せっかくの才能が埋没してしまうようでショックです。

こんなに色々と述べてきたのですが、
僕は、本来教育にそこまで関心はありません。
画一的集団なら、AIの方が強いと感じるからです。

ではここまで批判的に述べたところで
具体的に、受験の突破方法を2つ提示します。

1、自分の人間性を捨てて、学校(塾)に完全に従う。


本末転倒でしょうか。

しかしこの有用性は、先に書いた通りです。

受験生が学習法について悩んだ結果導きだされる答えが、その道のプロよりも優れたものである可能性は限りなく少ない。

講師への不信感は自分の学習効率を下げる。

塾を使うという選択肢を選んだ時点で、受験において自分の人間性を保つ事を放棄したという事なのだから、講師を盲信する事こそ、無駄のないメソッドです。

この方針を使うのであれば、効率的な方法は、毎年一定数自分の志望校に進学者を排出している塾に入塾し、方針に対して一切の疑問を持たないままに、言われた事をこなし続ける事です。

受験で試されるのは自身のコンピューター性だと割り切って、

講師の思考回路を、自分の脳に移植することのみに時間を割きましょう。

自分の意思を捨てれば、きっとスランプもなく最短で受験を突破できると思います。

2、上記のプロセスを自分でデザインする

これはなかなか難しいです。

信用に足る教師や塾に巡り会えなかった時、または、諸事情によってそれらの環境が手に入らなかった場合です。

ここでは、「頑張った〜」とか「今日は何時間勉強した〜」とかそういうのはどうでもいいです。

求められるのは、ただ単純に学習効率を上げ続けること。

とりあえず、結果以外評価されないので
努力した過程なんて、全部どうでもいいです。

(もちろん人間的成長という意味合いではプロセスにこそ価値があるはずですが)

求められるのは結果なので、効率の悪い努力はすぐに方法を変えましょう。

小中の優等生が、高校であまり成果を出せない例を身の回りで、よく見てきたのですが、それはおそらくある学習方法への固執に問題があります。

小・中学生の頃の脳は、まだ言語野の部分が発達を続けていて、訳のわからない文字列のようなものを覚えやすい状況にあり、学習範囲は少ないので、論理はなくとも答えが導き出せるという学習方法でも、ペーパーテストでなら結果を出せます。

しかし、高校生程度まで脳が発達すると、無意味な文字列は暗記しにくい脳構造になります。ここで学習法を転換せずに、過去の成功事例にこだわると、成長スピードは圧倒的に落ちます。

また、この学習は必然的に参考書を使うことになると思いますが、

基本的に問題文を見た瞬間に、付属の回答が一字一句違わず言えるくらいになれば充分です。

逆に言えば、それができないままに次の参考書に手をつけるのは愚の骨頂です。

参考書学習で目指すべきなのは、自分というものを排した、参考書の回答の完全再現です。

普通の高校生の回答より、または僕の回答なんかより、ある程度の参考書の回答はよっぽど疑いがありません。

現状の自分よりも、参考書の著者がこの分野に関して優れているという前提のもと学習を進めることが、最大効率を発揮するためには必要になります。

つまりこちらでも参考書の選定という最初の作業以外では、主体性を排して、

自らをその参考書を盲信するコンピューター化する事が近道です。

自分の内部に回答を探すより、先人の思考をインストールする方が圧倒的に効率がいいです。

まとめ

ソクラテスの言う「無知の知」こそ、並の受験生が学ぶべきもっとも重要なことだと思います。

極論を言えば、実績のある教師や講師は受験のプロだから、服従することが近道です。

先人に倣うこと、これが学習の本質です。

これが受験の正解だとすれば、夢がねえ。ああ、推薦入試普及してほしい。

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