マクドナルドは65円だった

10代の後半の頃、当時仙台の予備校に通っていた。
予備校の横にある自動販売機で、何も臆することなく、ジュースを買う友人を遠くからぼんやりといつも眺めていた。

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2000年当時は今の円安と全く逆の状況で、円高不況といわれ、失業率は過去最高水準を更新し、日本景気は悪化を続けた。実質経済成長率はマイナスに転じるなど日本経済がデフレスパイラルに陥るのではないかと連日報道されていた。

そういった世の中の経済動向とは一切関係なく、築30年のボロいアパートの一室で一人、将来に対する漠然とした不安を抱えながら、参考書を見つめていた。
そのアパートにはカーテンも家財も一切なく、電気を付けるとほぼ外から丸見えだった。テキストを広げると、もう何も置けなくなるような小さい中古のテーブルと布団と参考書しかない部屋に住んでいた。
当時の部屋は本当に何もなく、ある意味で断捨離をだいぶ先取りしていたような殺風景な部屋だった。

志望していた大学の受験に落ち、翌年の受験のリベンジために、受験以外の一切を排除した極貧の生活のなかにいた。
もしも仮に大学に受かったとしても、マクドナルドも見たことがない田舎から出てきた十代の自分には、4年間の大学の授業料を工面する方法が全く浮かばなかった。そういったことも漠然とした不安の原因の一つだったと、今は思う。
特別な才能もない自分には、地元を出るには、進学しか方法がなかったのだ。ただ、地元をでても、なにもない自分にはこの先どうしていけばいいのか正直良くわからなかった。それでも、いつも灰色の空の地元に、この先一生埋もれていくということは、自分の人生の選択肢にはなかったのだと思う。

当時はデフレの真っ只中で、マクドナルドがハンバーガを平日65円にするというキャンペーンを行っていた。ホットドックは79円。
安い安いとみんなこぞって買っていた。制服の学生グループがレジで複数個オーダーしているのをよく目にした。きっと学校帰りだろう。

マクドナルドを知ったのは、仙台にでて来てからだった。
自分もよく利用していたが、基本的には毎回79円のホットドックを一つテイクアウトするのみだ。買ってきたホットドックは、包丁できっちり4分割し、ラップにくるみひとつひとつ冷凍庫にしまう。
朝夕の食事はそのホットドックの1/4と白米と蛇口からの水だけだった。
そんな生活をしていたので、日中は一心不乱に勉強し、真夜中は何かを忘れるためなのか、それとも別の理由か自分でも何だかよくわからず、気づけば毎日相当な距離の走り込みをしていた。


予備校の授業が始まると友人ができたが、普段の生活は決して明るく楽しいものではなく、浪人生活は「いつも勉強しなければ落ちる」というプレッシャーで、心に重しが乗っているような、地元の灰色の空のような何ともいえないものが重く心にのしかかっていて、夢でもうなされるくらいだった。
夢の中で目が覚めると、その日は受験の当日で、全然勉強が追いついてない、やばい、という夢をよく見た。
深夜でもそういった夢で目が覚めると、明け方まで勉強をするか、一心不乱にジョギングにでかけたものだった。

そうしたプレッシャーのかかる極貧の生活を、志望大学を諦めるまで、半年間くらい送っていた。


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