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復活したものと失われたもの




お誕生日の文章に対して返信をして無かったご無礼お許しくださいませ。カナダが五十を過ぎると年齢が若くなっていく、という風習があることに驚くとともに、俺がついにヨーリーの年齢を追い越すという逆転現象が起きたことに衝撃を感じております。
さて、話は変わって「パイナップルツアーズ」の三十周年デジタルリマスター公開、という実に嬉しいニュースに小躍り致しております。沖縄のさらに離れ小島の伊是名島で、どこの国にも属さない、あの時の沖縄の若者たちの作り出したエネルギッシュな作品は、未だに作られていないように思われます。
それだけに、今回のリマスターという形で後世に残ることは、当時を知る人間だけで無く、当時を体験できなかった人間にとっても価値のある出来事だ、と考える次第です。
先だって、ヨーリーがTwitterのスペースでパイナップルツアーズの三話目について語り合うトークを主催してました。そこで話題になっていたのは、あの作品に至るまでの沖縄の若者文化が躍動していく時代的な流れについてでした。
ボーダインクの新城和博さんたちが中心となり、正当な沖縄言葉ではないウチナーヤマトグチと呼ばれたスラング的な若者言葉すら肯定し、自らの文化として誇りを持つまでに至る、若者たちの前世代からの文化的な独立でありみずからのサブカルを手にするまでの過程は歴史であり、一つの物語のようでもありました。
八十年代を小学生として過ごしていた俺にとって、沖縄の出版文化や放送が徐々に若者目線から発信される過程は朧げに覚えています。しかし、あの場で語られることのなかった一人のラジオパーソナリティの存在こそが、沖縄の若者文化を切り拓いたと今でも確信しております。
それは高良茂さんです。

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パイナップルツアーズ三話目の當間監督がしんちゃんをボコる場面でのウチナーヤマトグチがいかにも当時のヤンキーのテイストを醸してます。


高良茂さんは沖縄興行界で大きな力を持った高良一さんの御子息で、八十年代の沖縄のラジオ界に二十代の若さで颯爽と現れました。当時、若者の乱れた言葉、ちゃんとしていない沖縄言葉、として年配たちがウチナーヤマトグチと呼んだスラングのような若者言葉を駆使し、若者たちから絶大な支持を集めました。
かく言う俺も、小学生ながら学校で「高良茂のぶっちぎりトゥナイト」で放送された内容を友人たちと語り合うなどして、その熱狂の渦に身を置いていました。
クラスのませたガキどもは高良茂の口調を真似て粋なお兄さん風を吹かしたりしていたものです。今で言えば人気タレントやユーチューバーの喋り方を真似るような感覚で、高良茂さんの口調を小学生たちまで模倣していたのです。

中でも、当時も物議を醸し、今なら絶対に放送することのできないであろうコーナーが「ナイチャー撲滅運動」でしょう。当時、観光ブームの先駆けで県内を訪れた観光客の奇異な振る舞いなどをリスナーの投稿で取り上げて、それに対して高良茂さんが痛快なコメントともに「ばちみかせ!」という決め台詞を吐いて一刀両断にする、という痛快なコーナーでした。
この、「ばちみかせ」というフレーズが一大流行語となるのですが、これは琉神マブヤーにおける「たっぴらかす」に通じる意味があり、単純に言えば「やっつけろ」のようなニュアンスの言葉です。
観光で来て沖縄に金落としてくれてる人たちに対してなんてことを言うんだ!と当時でもその内容にクレームがあったと聞きますが、現在ほど観光産業が巨大化していない時代、地元の人間にとって観光客は遠い存在であり、自分の生活と無関係な異邦人でした。
そんなこともあり、観光客と地元民との両者の無理解を地元からの告発のような対立構造でエンタメ化したのが、あのコーナーであったと思います。
この歳になると、なんて野蛮なことをしていたんだろうと思いますが、子供の俺らにとって、大人が眉を顰めるようなことを堂々と口にしてウチナーヤマトグチで本土の観光客に物申す高良茂さんは憧れのヒーローとして写ったものです。

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子供に聞かせたくないラジオ番組だった高良茂のぶっちぎりトゥナイトは、カセット録音されて友人同士で回して聞いたりしてたものだ。ほぼほぼオールナイトニッポンのノリだった。


こうした大人に反抗するヒーローに一番感化されやすいのは思春期の子供で、特に大人に逆らう頭の悪いというか素行の悪い子供たちには絶大な影響をあたえるわけで、そういたこともあって小学生から高校生に至るまで、悪ぶった奴はたいがい高良茂さんのような口調で喋るような、そんな時代が俺の青春でした。
その後、全県区から生徒が集まる高校に進学したため、あらゆる方言が飛び交う雑多な環境で育ち、様々な地方のウチナーヤマトグチが混じり合う環境で育ったせいもあり、俺の喋りのイントネーションは非常に不明瞭かつ国籍不明なものになっているようです。仕事上でお年寄りに「あんた糸満の人?」とか「宜野湾の人?」と言われることはあっても、なかなか那覇市の出身だと言われることがありません。まぁ、これも正しい方言を大切にしてこなかった報いなんだと思っておりますが、それでも、雑多な地域の言葉に塗れてきたこと自体にある種の誇りのようなものはあります。そして、その誇りというか、正しくない言葉を使うことに自信を芽生えさせてくれた高良茂さんは、俺の沖縄言葉の原点だったりすることに改めて気づいた次第です。
パイナップルツアーズや、ボーダインクの書籍などは今でも様々な形で手にすることが可能です。しかし、ラジオという媒体はなかなか保存されにくい媒体だけに、高良茂さんのあの喋りを後世に伝えていくことが、その影響下で育った俺にできることではないかと思い筆を取った次第であります。
長い滞在、くれぐれもご自愛くださいませ。



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