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石にまつわる幾つかの事柄


仕事で石工をやっていた、という老人と話をする機会がありまして。その老人に石工のことをあれこれ聞く機会があったんですが、いかんせん向こうは耳が遠いし、言っちゃ失礼だけど九十過ぎた爺様だから聞いたことと見当違いのこと話し出したりして、禅問答のようなやり取りになったことを思い出しました。
で、その爺様がなかなかに良いこと言ってまして。俺が「やっぱり石の目、って奴は見えるようになるんですか?」って聞いたら
「当然だよ。見えなきゃ彫れない。余計なとこまで割っちゃうから、見えない奴には石工はできない。木には板目や柾目がある。それと同じだ」
なんてことを言ったりするんです。じゃあどうすれば目が見えるようになるのか?と問うたら

「師匠や兄貴分の言うこと聞いて何年かすれば分かるんだよ」

とまぁ、こんな味のあることを言うんですよ。で、この人は何年で見えるようになったのかを聞いたら、憶えてなくてずっこけた記憶があります。


こんな風に石の世界というのは奥深いものがあるわけで、そのことは世界中に巨石信仰のようなものが存在することからも明らかなのであります。文明以前の人類にとって、無茶苦茶固くて頑丈なものですから、それを鮮やかに削り取った奇岩なんてものが信仰の対象になることは想像に難くないのであります。
だからこそ、堅牢な石の建造物を作ることはテクノロジーと権力の象徴であり、ローマは支配地域を広げるたびにその地にローマ式の石とセメントの建造物を作り、権威をひけらかしてきた訳です。
古代文明と石の建造物は切っても切れなくて、それは青銅器しか持たなかったエジプトやマヤ・インカまでもが石の巨大な建造物を作っていることでも明らかです。
じゃあ、青銅みたいなヤワな金属でどうやって石を切り出してたのか?というと、実は切り出す石よりも硬い石で刻みを入れて、そこに木の楔を打ち込み、水で楔を膨張させて割る、という石の軍人将棋プラス頓知くらべみたいな、やたら面倒な手段で切り出していたというから頭が下がります。


そんな石の建造物が当然というか沖縄にもあるんですが、それはヨーリーもご存知のように、ほとんどが琉球石灰岩で出来ています。石灰岩は硬いけど脆い、という実によくわからない性質を持っていて、そのため大きく切り出すことは難しいですが、そこそこの大きさに切り出したり、形を整えることはさほど難しくありません。

そういう、小さな石たちを積み重ねて石垣や塀を作る、というのが沖縄の石工の原始的な形だったと思います。その原始的な石積みで家屋を建てていたまさに原始的な集落が伊計島にあった仲原遺跡です。

沖縄本島中部にある離島、という面倒な記述になる伊計島にある仲原遺跡。原始の沖縄の暮らしが残されている

人が二〜三人入れば目一杯なスペースを石垣で囲い、そこに屋根を葺いた原始的な家屋。それが沖縄の石積みの原点なのです。こうした質素ながらもハードルの低い技術のおかげで、個人や少人数でもちょっと努力すれば石垣を作れる、というメリットもあり、昔ながらの沖縄家屋には小さな石灰岩を無造作に積み上げた“野面積み”と呼ばれる石積みで塀が築かれました。

こうした野面積みの技術の蓄積に鉄器が組み合わさり、沖縄の石積み技術は新たな段階へと進みます。石を平面的に加工して積む豆腐積み(布積み)です。この技術により、崩れにくく高い塀を作れるようになり、堅牢になりました。高く堅牢な壁は城塞となり、沖縄の小領主たちの勢力争いを活発にしたのです。

ヨーリーや永和さんと行った玉城城址は最古のアーチ門が有名で(記事の冒頭の写真がそうです)、その原始的なアーチの組み方にいにしえの人々のチャレンジ精神を感じさせられます。

玉城城址の外壁は四角い石積み。しかしその裏は雑多な石を積んだ原始的な石積み

しかし、俺が面白いと思ったのは外壁が豆腐積みでありながら、内側は野面積み、という「表門だけ綺麗で裏門は雑」みたいな城壁なんですが、あれにも実は堅固な外壁を緩い野面で吸収してより強度を上げる意味合いがあったりするようです。石積みの世界は実に深い。深くて迷子になる前にこの辺で話題を変えましょう。


石に刻む、という技術は鉄という素材なくしては出来ません。ノミやらタガネやらと、それを打つハンマーです。ハンマーは鉄じゃなくても良いとは思うけど、鑿や鏨は鉄器でなければ直接当たる石を砕けないし削れない。
だからこそ、石の目を見る技術は必要になってくるわけです。
とはいえ、沖縄は前述したように琉球石灰岩大国です。石灰岩に文字を刻むことは不可能に近い(ボコボコしてて刻んでも読めない)。そういう意味で文字を刻める岩なんてものは凄い貴重品なんですよ。だから、墓石とか碑文とか、限られた用途にしか使わない特殊な石で、石工にしか扱えないわけです。

ヨーリーも書いていたけど、伊波普猷の顕彰碑の文字が読みづらくなってしまっていたことに果てしない失望とやるせなさを感じました。故人を讃える言葉。墓の隣に置く故人への賛辞。それが読めない状態では“お飾り”以下の無意味な存在にしかならないわけです。

伊波普猷の墓の隣にある顕彰碑。東恩納寛順による賛辞が彫られているが、建立して六十年しか経っていないのに判読不能なレベル。しかし、裏面はしっかり読めることから、単純に保存状態が悪いだけで石工には責任は無い。

だから、あの向田ドラマの石工の言葉を借りて「浅く彫るのはあさはかだ」と思わず呟いてしまったのでしょう。読めない賛辞。それって「ケンタッキーフライドムービー」の小ネタの“ソウルの無い黒人”くらいバカげています。

とまぁ、石にまつわることをつらつらと書いてきましたけど、最後に気づいたのは、この島、つまり沖縄諸島は石灰岩が隆起した上にお情けのように土が乗っかっている巨大な岩礁である、という事実です。石の上にも三年とは言いますが、我々沖縄県民は岩礁の上で先祖代々暮らしてる気の長い人たちなんだなぁ、と改めて気づいた次第であります。


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