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エロスとタナトス
生きたいという欲望「エロス」
それは寝ている時の夢に現れる、とフロイトは言った。
しかし、実際に人間の見る夢は半分近く悪夢で、死を連想させる夢だそうだ。
フロイトにとって都合の悪いこの事実を「タナトス」という。ギリシャ神話の死を司る神だ。
生きるというのは肉体に魂を囚われ続ける「不自由」で、「自由」になるには死ぬしかない。
って昔聞いたことがある。
午後2時、いつもの喫茶店のいつもと同じアイスコーヒーをくるくるとかき混ぜながら、君は不服そうな顔を浮かべる。
「別れるって、急にどうして」
「やりたいことがあって」
「やりたいことって何よ」
「君には関係ないよ」
それ以上は聞いてこなかった。
都合のいい女、どこまでも都合が良かった。
残っていたオレンジジュースの一気に飲み干し、千円札を置いて店を出た。
これで四つ目。
喫茶店を出たその足で駅前の銀行へ向かう。時間には余裕があるのに、なぜか早足になってしまう。
銀行に着くと、営業終了時間間際ということもあってか、窓口の方が人でいっぱいだった。
忙しそうなサラリーマン、主婦、バイトで両替にきた女の子、年老いた夫婦、それを相手するふくよかな女性銀行員、奥で慌ただしく動く立場のありそうな男達。
最初から窓口なんて用はないが、人間観察はやっぱり面白い。
5分くらいぼーっとしていると、「どうかなさいましたか?」っと若い下っ端の女に声をかけられた。
「いえ大丈夫です」と遇らい、ATMコーナーへ向かった。
17万8842円
小銭は引き出せないらしく、17万8000円引き出した。
842円勿体無いが、銀行に寄付するとしよう。
ATM横に置いてあった封筒にお金をしまい、そこに手紙を差し込み、リュックサックに入れた。
あと2つ。
電車に乗り、隣町の市民病院へ向かう。
見慣れた車内からの風景も、最後かと思うと特別なものに感じる。
開けた田んぼ、遠くでお年寄りがやってる野焼き、みんなで列になって歩く小学生、自転車を押しながらニコニコと笑う高校生カップル。全部が新鮮に感じた。
改札を出て、駅前のコンビニで飲み物を買う。
いつもならお茶にするが、今日は最後だし、とビールにした。
寒空の悴む手を覆う手袋と、キンキンに冷えたビール。このミスマッチ感が堪らない。
勢いよく栓を開け、一気に半分ほど飲んでしまった。
鋭い苦さが喉を突き刺す。
この世の何よりも気持ちが良かった。
昨今は酒を飲まない若者が多いが、何を考えているのか。バカなのか。
飲酒が一番気持ち良いに決まっているし、なんせコスパが良い。
夜遊びはどこの店だろうとお金がかかる。その点、飲酒は素晴らしい。1人で楽しめるし、数百円で気持ち良くなれる。
歩を進める。少しずつ酔いが回る。
誰にも邪魔されないこの瞬間が大好きだ。
ビールを飲み干し、通りがかりの自販機横のゴミ箱へ捨て、口直しにホットのミルクティーを買った。さすがに冷えすぎた。
病院に行く前に、近くにある果物屋に立ち寄る。
注文していたフルーツの盛り合わせを受け取るのだ。
店内に入ると若い女の子が店番していた。
ここの娘だろうか。自分と同い年ぐらいかと思ったが、よく見るとエプロンの下に制服を着ていたため女子高生だと気づいた。
「ぃ_っ_ゃぃませ」
声が小さいが、JKらしくてそれはそれで良かった。
「注文した__です」というと、慌てふためいた様子で
「あ、はい!おまちください!」と裏へ
走っていった。可愛い。
と思っていたら一向に戻ってこない。
「あの〜」と声をかけようとしたら、両手でバスケットを抱きかかえて、笑顔でちょこちょことこっちに走ってきた。
まるでくまのぬいぐるみを抱えた女の子のような癒しがあった。グソクムシのぬいぐるみも似合いそうだな。
「こちらのフルーツの盛り合わせですね!会計6000円です!」
「__Payで」と言うと、少し曇った表情をして、
「うち現金だけなんです…」とぴえん的な顔をした。流石はJK。恐るべし。
仕方なく財布を開くと5千円札1枚と120円しかなかった。
一瞬焦ったが、よく考えればさっきお金おろしたわ、と思い出し、先ほどの封筒から千円札を引っ張り出した。
「ちょうどですね!こちらレシートです!ありがとうございました!」
レシートの裏には、特になにも書かれていなかった。
病院に着き、いつもの受付で面会の手続きを行う。
飲酒のせいで体温が高くならないか心配だったが、ギリギリセーフの37.3℃で、冬の恩恵を受けた。
病室に着くと、母は先週あげた本を読んでいた。
芥川賞作品「推し、燃ゆ」
推しの炎上を機に人生が変わっていく物語。母は分かるのか不安そうだったが、流行り物も読んでほしいという僕の思いをゴリ押した。
「どこまで読んだの?」
「まだ半分。ところでそれは?」
「退院祝いだよ、おめでとう」
窓際の棚にフルーツたちを置く。
母が倒れたのは僕が高3の頃だった。元々体が弱かった母。心疾患がなかなか回復せず、4年掛かりでようやく明日退院というところまでこれた。
「長かったね」
「迷惑かけてごめんね」
「こちらこそ今までありがとう」
話をしながら、封筒をメロンの裏へ挟んだ。
その後は大学がどうとか、さっきの店員がどうとか、実はビール飲んできたとか他愛もない話をして、すぐに15分経った。
「じゃあ行くね、元気でね」
そういって病室を後にした。
あと1つ。
受付に面会の終わりを告げ、帰る前に少し院内を散歩することにした。
静かな病院内。リハビリステーションで汗を流して懸命にリハビリに励む患者たち。
あの人たちは生きようと頑張っている。エロスに貪欲なんだ。
そのあと、小児科の病室の前にさしかかった。基本的に静かな病院だが、ここだけは一際賑やかだ。子供たちの笑い声が響いている。希望や夢が感じられる。全てが眩しかった。
病院は人の命が生かされる現場であると同時に、命が消える現場でもある。
でも、ここにはタナトスはいない。
院内から逃げるように出て、病院に背を向けゆっくりと歩き出した。
夕日が落とす僕の影がいつもより小さく見えた。
病院からの帰り道、さっきのフルーツ娘が駅前のハンバーガー屋にいた。隣には制服を着た男の子だ。ニコニコと彼氏の方へさっき見せた笑顔を振りまいている。「くそ〜」と思いながらも、微笑ましいその光景に口角が上がった。
家の最寄りに着く。
すっかり夜になっていた。
コンビニでお酒を買う。ストロングゼロ無糖ドライロング。なんの味もしない炭酸と酒だけの飲み物。これが一番好きだ。
家に着く。家具もなにもない部屋はやはり広く感じる。いつもなら床は空き缶とごみだらけなのに。
家も、カードも銀行も、全て解約した。
友達も恋人も家族も、全て片付けた。
最後。
ストゼロの缶を開け、一気に飲み干す。アルコールが全身に染み渡る。ズキズキと頭が痛む。ゲップが出る。涙も出る。
唯一残してあった折りたたみの椅子をカーテンレールの方へ運ぶ。
用意してあった__をかける。
僕にはもうなにもない。
酔いでふらふらと体が揺れる。
楽しみ日々だった。
不自由だった。
面白かった。
退屈だった。
やっと自由になれる。
あれ、まだ缶にちょっとお酒残ってる。
まぁいいや。
タナトスさん、こんにちは
よろしくね
床に落ちた缶の甲高い音が最後まで頭に響いた。
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