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「よろこばせたい」気持ちを大切にする

明けましておめでとうございます。

朝から駅伝をなんとなく流して、とにかくおせちとお雑煮、持ち寄ったお土産を絶え間なく食べ続けて親族とおしゃべりしてたら1日も終わり。

親族との過ごし方、27年も生きてるのによくわかってないんですよね。食べるばかりでどう考えても太るの不可避だろうなあ…。

などと、わたしの2024年年越し年明けは、いつものようにのんびりと大分の実家で過ごしています。

さて、帰省は基本的に好きなんですが、ひとつ不満があるんですよね。

それはワインや日本酒を含めて母と祖母はふだんほとんどお酒を飲まないので、お酒に合うような料理が食卓にあまりならばないこと。

「そうか、だったらスーパーで買い込んで自分で料理を作ればいいんじゃないか」と最近は考えられるようになってきました。(めちゃくちゃ大人だと自分を褒めながら)

里芋の揚げだしの他にもぶりのなめろうや、なすの田楽なんかにも挑戦してみる。祖母や母にも普段食べないような料理を振る舞って喜んで欲しいという気持ちが純粋に生まれて。

「こんなの初めて食べたね、美味しいね」と言ってくれるのが嬉しくて。

なーんていろいろ書いたけど、この「祖母や母に喜んで欲しいから料理を作る」という行為はとても大切なんじゃなかろうかと思っているのです。

自分がやりたいことをするのではなく、相手のことを考えて行動をすること。

今までは自分がやりたいことができないことにイライラしたり、なんでやってくれないんだろうなんて悲しさを覚えていたりもしたけど、人を喜ばせる行為自体が尊くありがたいとおもえるようになってきました。

これって仕事はもちろん、写真を含めた表現活動も一緒なんだろうなって。最近七五三や前撮りの撮影をしたけれど、僕が満足のいく撮影は当たり前で、やっぱり依頼主側が満足するか、喜ぶかが一番大切なんだと思ったんです。

これまでは自己満足の表現を抜け出してなかったんだなあと反省しています。
今年は人に届けること、伝えることに重きを置いて表現も大切にしていきたいな。

今年は考えていることもフランクにnoteへ綴ろうと思います。


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