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あの日、阪神好きの教授は涙を浮かべながら笑った ~追悼・モリコーネ~

映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ氏が亡くなられた。91歳という年齢で考えると長生きしたと言えるのだけど、5年前にもアカデミー賞で作曲賞を受賞していることを考えると、まだまだ活躍できたのではないかと思ってしまうところに、モリコーネの凄さがあるのかもしれない。

彼の代表曲はいくつかあるが、その中でも個人的に大好きなのは「ニュー・シネマ・パラダイス」。今までの人生で何度もこの映画を見ては涙を流した、思い出の作品。そしてその作品を彩るのが、モリコーネの作曲した主題曲「Cinema Paradiso」だった。

この曲の素晴らしさは、世界中の多くの企業がCMなどで使用していることでもわかるが、やはりこの曲が最も輝くのは映画内で多くのラブシーンを編集した映像と共に流れるシーンだろう。主人公である「トト」サルヴァトーレに残された、アルフレードからのメッセージ。その想いが溢れ出るかのような旋律。これこそ映画音楽なのだと思う。

そんな「ニュー・シネマ・パラダイス」だけれど、自分にも実は一つの思い出がある。それが今回のタイトル、「あの日、阪神好きの教授は涙を浮かべながら笑った」である。

うちの大学の名物教授

母校の某大学は文系のみの大学で、文学部が中心。そんな中で近世文学のクラスを受け持っていたS先生は、大の阪神ファン。授業のテンションは前日の阪神の勝敗によってかなり左右され、勝った日はその勝利のヒーローを嬉しそうに語り、そして負けた日は選手を腐しながらもどこか楽しそうだったのを覚えている。時事ネタに対する軽口も多く、そうしたS先生のトークを楽しみにしている学生も多かった気がする。

自分も当時は上京したばかりで、阪神ファンの友人に連れられてはよく神宮球場の阪神側の応援席で試合を見ていたので、阪神に親近感を持っていたこともあり、テストの裏に「六甲おろし」の歌詞をフルで書いたら少し採点をおまけしてくれたS先生が好きだった。
そのお陰もあったのか、大学1年生の頃にほとんど授業に行かず、年間の取得単位が12しかなかった自分にとっての貴重な単位が、S先生の授業だったりした。

そんなS先生は、阪神以外にも大好きなものがあったのだけれど、それが映画だった。特にアメリカ映画が好きで、とはいっても超大作のようなものではなく、昔のアカデミー賞を受賞しているような作品が好きで、ビリー・ワイルダーの作品をよく話してくれていた。その辺も自分と好みが合っていたのかもしれない。

こうして大学2年生になり、1年目の反省から少しは真面目に授業を受けなければならなくなったのだけれど、変わらずS先生の別のコマを受講していた。そこで世界的な事件が起こったのだった。2001年9月11日、アメリカを襲った同時多発テロだった。

悲惨な事件だからこそ、映画を見る

その日の夜、自分の部屋でテレビを見ていたら臨時ニュースが入ってきて、テレビからは映画のような映像がリアルタイムで流れてきていた。当時2ちゃんねらーだった自分は、2ちゃんの実況板に張り付き、他のねらー仲間たちと「物凄いことになった」と感想を話し合っていたのだが、それはまた別の機会に譲ることにする。

それから1週間ほどが経ち、ようやく日本では少しずつ世間が落ち着きつつあった時、S先生の授業があった。授業が始まると、S先生が神妙な面持ちで我々に問うた。

「今回の同時多発テロを受けて、思うところがあって映像を作った。興味がある人だけ残って、それを一緒に見よう」

その突然の申し出に、学生たちは戸惑ったけれど、そもそもこの授業を取っている人の半分以上は、自分も含めてS先生の話が好きで取っているような人たちだったので、「何が始まるんだ?」とワクワクしながら多くの学生が残った気がする。そうしてS先生が流した映像というのが、テロの被害を受けた、ニューヨークの街を舞台にした映画の寄せ集めの映像だった。そう、「ニュー・シネマ・パラダイス」のオマージュである。

そしてS先生は、笑いながら泣いた

その映像は、正直に言えばつぎはぎだらけで、ちゃんとした編集処理をしていないことは素人目からも明らかだったし、S先生も「素人が作った映像だから」と笑っていたが、まあ確かに酷かった。でもそれが逆に本家である「ニュー・シネマ・パラダイス」のシーンを連想させた。作品内でもアルフレードが一生懸命繋ぎ合わせたのがあのシーンだったのだ。

ニューヨークが舞台になった作品がこんなに多いのだ、と思いつつ、S先生の顔を眺めていると、笑いながら泣いていた。正確には泣く、まではいかなくて涙を浮かべていた、というのが正しいかもしれないけれど。

「何故?」とも思ったけれど、それは20年経った今でも答えは分からない。おそらくS先生の個人的な思いがあったのだろう。その映像を見ている我々にとっては、「S先生って本当に映画が好きだな」「よくこれを自分で作ったな」「ニューヨークの街並みって綺麗だな」とか、そんな感想だったのだけれど。それでも自分にとって、ちょっとちぐはぐな映像と、それに被せて流された「Cinema Paradiso」、そしてS先生の涙は、大学生活の大事な1シーンとして記憶され、大学時代の授業のことを思い出そうとすると今でも頭に思い浮かぶし、こうしてふと「Cinema Paradiso」を耳にすると、あの20年前の光景が蘇る。あの日、S先生は泣いてたな。阪神が優勝したわけじゃないのに、と。

学生時代の思い出って、そんなものなのかもしれない。でもS先生という阪神好きの先生が居て、そして映画も好きで、ニュー・シネマ・パラダイスのオマージュ作品を見せてくれたということは、こうしてnoteに書くくらいの記憶には残っている。

そう思うと、自分自身もこうして誰かの記憶の断片に残っているのかもしれない。自分にとっては大したことのない出来事だったとしても。それが人間の記憶の面白いところだよね。

そんなS先生、今も元気かなと気になって調べてみると、今でも元気に母校の講師を続けているようで、NHKのカルチャースクールでも講座を持っているようだ。そのスクールでも阪神の話をしてるのかな?と想像すると、何だか楽しい気持ちになった。

20年、長いようであっという間。いつかS先生の講座を受けてみることがあれば、確かめてみたいと思う。あの時の涙の意味を。

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