見出し画像

日記 1 :創作の苦しさ

1月1日を過ごしていたらぬるっと2日になった

公開日記を綴っている人をみかけて、真似してみる。
元旦だから何かし始めようと思ったわけではなく
今日がたとえ12/21でも始めていました。

今日は昼ごろに起きて、それから現実のことはほぼ何もしていない

テレビでは年始特有の番組が流れていた


夏頃から画策していたキャンドル作り
本当はさっさと道具を買って作り始めたらよかったのだけど
臆病な自己がそれを制していた

今日やっと諸々の道具を買いました

(大晦日にツイートした今年の目標の、「怖いことこそやる」をもう達成した ! )

届くのがたのしみ

緑凪の真髄とキャンドルの相性はとても良いと思っていて
もしかしたらネイルチップよりも、心の凪を伝えるのが容易なんじゃないかと考えています

ネイルチップをやり始めた頃は下手くそで
インターネットには上手な人が沢山いるので
その度に悔しい思いをしていました

日々作っているうちにたまに自分のやりたい表現ができた!と感じることがあって
オーダーを受ける数が徐々に多くなっていって
最初のときと比べるとすごくうまくなったなと感じます

ネイルもイラストも短歌もすべて
今の技術で満足しておらず、技巧に優れた人を見かけると安直に消えたくなる癖は抜けない

それでも新しい表現媒体に手を伸ばしたくなる
最初のひとつは確実に下手くそだろうね
それでも何個も作り続けて、私はいつか人前に出すでしょう

安易に消えたくなるのに消えないのは、ありがたいことに多数の私を求める声があるからで、それがいままでの人生において1人でやってきた創作活動とは違う点。

特に、上手い人をみて苦しんでいるまさにその瞬間に、励ましの言葉やレビューをもらえることがあって、ファンの方が私を負の感情から引っ張りあげてくれた!と思っています。


創作は苦しい
目が肥えると自らの拙さを直視出来なくて手が動かなくなる
一方で、いいものを見てないと表現が滞る
上手い人は楽しいだろうな って思う

(ところで私は去年やっとハイキューを観たのですが
木兎さんが、月島くんがバレーを楽しいと思わないのは
下手くそだからじゃない? と言う場面があって
そやなあ となりました)

こんなに苦しさがあってもそれでも、納得のいく作品が作れたり、推しだって言ってもらえたり、作品へのレビューがもらえたりすると涙が出るほどうれしい
きもちいい たのしい


今日は、本を読み終わったので何気なくAmazonでレビューをみていました。
そしたら 「敬体と常体が混ざっていて読みづらい(星2つ)」
というレビューをみかけました。

私の書く文章は、敬体と常体が混ざっています。
私にとっては、それぞれの文体から感じ取れるニュアンスが違うからです

文末の「。」もあるときとないときがあります
こちらもあるのとないのとで、少し自分の中での意味やニュアンスの違いが生まれるので、そのときしっくりきた方を都度選んで書いています。

人は表記揺れと判断するかもしれませんが、私とってはそれぞれは意味の違う表現です。

「了解です」は間違った日本語という知識はあるけれど、「了解です」でしか表せないニュアンスがあるし、
仕事の現場ではそのニュアンスで伝えたいタイミングがしばしばあるので、使うこともあります(取り引き先の方などには言いませんが…)。

読みづらいと思う人や気になる人がいると理解出来る反面
自分にとっては意味の濁る表記に折れたくない気持ちのせめぎあい

個人的には、〜という を 〜とゆう と書いてある文言を見るとわりかし厳しい
そう考えるとやっぱり正しいとされる日本語を使っていく方がいいのか…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?