すえひろがる

そういえば、前に動画見てワクワクしたことに感動して泣いたのも、朝日がキラキラ降り注いだお風呂場だった。あの時も動画を見られない期間が続いてて、気持ちが自然消滅してたらと思うと、それを確かめるのが怖くて怯えてた。だから昨日は「あの時も結局大丈夫だったんだからきっと大丈夫」って思った。案の定、ただただ楽しくて夢中になって、私はまた嬉しくて泣きながら踊った。

昨日、久しぶりに、初めての人たちと会って喋った。最近はイベントも怖くて1人で動いたり、見知った人としか会わなかったりしていたから、0から会話をするのが本当に久しぶりだった。魔の2年目、何もかもが未知で新鮮でただ輝いていた1年目を超えて、いいことも悪いことも見えてくる年。やっぱり摩耗して、今まではそれでも「私は誰かと繋がるために生きてるんだ!」って思ってもがいてたけど、生まれて初めて「もう誰にも、何の感情も与えられたくない」と思って1人引きこもっていた。それはリアルやSNSだけじゃなくて、画面の中の人たちもそうで。でも結局即決で出向くことにしたのもショッピとチーノが理由で。今思えばそれもすごい話だ。

最近の私はとにかく「自分じゃない何かが感情を発信しているもの」が全てダメだったんだけど、昨日で世界が180°変わった。好きになっただけ。たったそれだけで、その想いを形にするために奮闘する人がいて、同じ時代に同じ場所に在る。その偉大さを思い知った。いや、魔の2年目が見えなくさせていた純粋な本質を、久しぶりに目の当たりにしたんだ。

動画が面白かった。その事実だけが全てだ。3ヶ月前とかそんなことどうでもいいだろ。頑張って生きてただけなのに、3ヶ月分溜まってしまったことをなんで今日まで恥じていたんだろう。楽しいは感情の王様だって大好きな人が言っていた。そんなことすらすっかり忘れてしまっていた。

幸せを持ち帰って夢想する4/1 我キャンの1周年を祝うために年度始めだというのに日付を跨ぐために配信をする3人。画面の中の焼肉は食べられないが、幸せの味がする。5時になったら記念の動画と年に一度大切に大切に読むグルッペンの指針ブロマガがくる。前日ほぼ徹夜にも関わらず幸せで楽しみで浮かれて3時まで眠れなかった。浮かれて眠れないなんて幸せを久々に味わった。
朝起きて、ワクワクして確認した通知欄。なんか本当に夢みたいだな。自分たちのプラットフォームを飛び出して全国へと発信の場を広げることがこんなにも感動することだなんて知らなかったな。ブロマガは全員になって、負担は減らしても誰かがいないってことはなくて、それがすごく嬉しかった。
総編集が増えたり、本投稿なしで配信が入ったりしているのを見て、なんというか、カントリーマァムと同じ感情を抱いた。(全然値上げしてくれていいから元のサイズにして欲しい。なぜなら大好物だから。こそこそしなくていいんだよ、堂々と潔く値上げしてくれていいんだよ君は美味しいんだから!)乗っ取り事件の時ですら毎日配信して意地でも何かしらの動画を提供してきた我々だがこんな状況になるなんてよっぽどなにか大変な理由があるのだろうと思ってた、思ってたけど、言ってくれないから分からなくて不安でさ、たまに配信消えちゃうし、教えてくれた方が、今のみんなに合うように体制を整えてくれた方が、安心できるよってずっと思ってた。本人たちのプライドもあるんだろうけど私たちもあなたたちを信じたいし、あなたたちにも私たちのこと信じて欲しかったから、ずっと元に戻るか何か言葉くれるのを待っていたから、本当に、冗談抜きで会社で泣いたよ。(そのあとフォロワーのツイート見てまた泣きかける)

みんなのツイートにいちいち胸を打たれて、素直に言葉が入ってくるのが嬉しくて、ああやっと、2年目を超えて、安定の3年目以降がきたんだなって思った。もうそろそろ動画見たくて限界だから早く書き終わりたい

1年前にようやくコネシマを克服したらしくて、今こんなに寂しくて恋しいのに1年前の自分との温度差が面白かった。チーノを「自分に1番似てる推し」って言ってたけど今はどちらかというと「私のフィルターかけてるだけで実は割とちーのは私と似てない」説推し。ショッピに対するたまの胸のざわつきの正体は昨日突然理解して解決した。TRPGはまだちょっと怖いけど、チーノが好きなもので名前をあげたから、少しずつ、「チーノのやるTRPG」の意味も私の中で変化してきている。それでもやっぱ、ショッピが行きたがらないところにちょっと救われてたりするんだよな、私はそっち側だから。
今日は多分世界1ロボロに感謝してる。今日に限らず、この1年いっぱい感謝してる。2023暮れの私、「やっと自分の中のロボロ像を組み立てるために積み木握ったとこ」みたいな話ししてたけど、ロボロ、めっちゃ「他人と共有すること」が好きな人だよ。きっとそう。これは上の方の不安定なパーツじゃなくて土台になってる、ちょっとやそっとじゃ崩れないパーツだ。シャオロンもトントンも鬱先生もゾムもエーミールも、1年前より多分好きだ。これから先、書き綴るほどの目新しい印象の変化はあまり起きないと思うけど、2年半という人を知るには短くない時間を使って好きだと言えているなら、もう大丈夫なんだろうな。

私の中の世界が9割YouTubeでももう怖くない。何かに言い訳しなくていいと私が私を許してあげる。今日という嬉しい日をまた、迷子になった日の私のために、灯りとして掲げておこう。


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