心配するという権利

他人のことを、心配する権利があるって凄いことだなぁとつくづく思います。
心配するには権利が必要というのはわたしの個人的な捉え方なので、それぞれの価値観で考えてもらって大丈夫な話です。

心配することそれ自体はとても尊い心の動きです。心を配って、相手を慮ることですから、誰にでも出来ることではありません。
しかしながら、その気持ちを押し付けることは途端に迷惑なことになると思います。
気配りと同じで、相手にそれが気配りだ、心配されているなと気付かれたらそれは二流だなと思うのです。極論で恐縮ですが。

それも全く悪いことではないけど、相手によってはそれが負担になる場合があります。余計なお世話というか。それがわたしはいやなのです。

ただ、家族や恋人の場合は別です。
心配や気配りは、口に出していい。むしろ、口に出すべきものだとわたしは思っています。それをしないと、相手を大切に思う気持ちが充分に伝わらないからです。

矛盾したことを言っているようですけれど、伝えたいことは思っているだけではなんの意味も持ちません。
想いは、相手に伝わってはじめて意味を持つ。だから口にしないと、行動にしないと、ダメなんです。

心配する権利とは、そういうことです。
相手に心配を伝えていい権利。

繁忙期、年末でみなさん忙しいと思いますが、どうかご自愛ください。

わたしは彼に差し入れを持って労ってきます。

蒸気でホッとアイマスク、肉、ニンニクです。
元気つけて乗り切ろう、師走!!!

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