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東京ディズニーシー20周年企画『シャイニング・ウィズ・ユー』を見た感想

2ヶ月ほど前、中学時代からの友人と共にディズニーシーに遊びに行った。
日頃の生活で溜まったストレスや碌でもない邪気を払ってもらおうという、これまたは碌でもない他力にしか頼っていない理由で、私たちには珍しく2週間前には予定を立てていた。
あの大スターが君臨する夢の国のあの独特な空気に当てられたくて仕方がなかった。

到着は10時半ごろ。すでにスタンバイパスは終了していたので、何でもいいからアプリの恩恵を受け楽してたのしみたいという思いでパークを歩いていたら、何やらショーが終わった様子が視界に入ってきた。
幸いにも抽選に参加することができたのでその場でエントリーすると、なんと当選したようだった。箱で行われるショーなんて、ランドで見たミニー・オー・ミニーが最後かワンマンズドリームが最後か。どちらにせよ、小学生の頃だったのではないだろうか。
とはいえあの空気感や高揚感、多幸感を心は覚えているし、パレードはそれ以降も少しは見てきたので、いよいよあの形容し難いキラキラした空気に触れることができるのだと思うと、とても嬉しかった。


前置きが長くなったが、表題の件についてそろそろ書き進めていきたい。
東京ディズニーシー20周年企画「シャイニング・ウィズ・ユー」を見たにわかファンの感想である。

★若干のネタバレ及び見ようによってはネガティブな感想を含むので、苦手な方はブラウザバック推奨だ!!

①夢の国を感じるなら、自発的なミッキーヘのアクションが必要


入場10:30。開幕ビールをキメつつ、各店舗のアルコールをマイルストーンにして動きながら、アトラクションに乗ったりビールを飲んだりクラッシュに会ったりビールを飲んだりしていた。「やってることは舞浜でも新橋でも浅草でも変わらんなガハハ」などという終わりのようなセリフを繰り出しながら(もちろんそんなことはない)、ゆるゆると晴天のシーを楽しんでいた。
そして16:30に入場。暫し開演を待つ。睡眠。
盛大な音楽と共に、進行役のキャストが登場。「シャイニング・ウィズ・ユー」のジャスチャーを教えてもらって、20周年を辿る旅がいよいよ始まった。

するとミッキーが満を辞して登場!!!
言葉では言い表せないカリスマオーラ。圧倒的大スターの輝き。ハンサムムーブ。これだよなあ、ディズニーはこれだよ。それしか言えなくなる空気。掌握されている。

ミッキーの持つ、場を統べる覇王色はなんなんだ?
心の中、ずっとそんな感じだった。

ここまで晴天とアルコール、陽気な音楽に楽しげな耳をつけて非日常の空間を楽しんでいた女たちは、ここにきてディズニーに来たのだと改めて実感した。

コロナ禍以前であれば、エントランスやコロンビア号の前で色々なキャラクターのグリーティングがあったから、そう思うこともなかった。今のディズニーシーは、自分からキャラクターに会いに行かないと、私の望む夢の国の特異な高揚感には真に触れることができない。

ミッキーはすごい。最高。


②ずっと追ってきたファンの皆さん、息できてますか??

ショーは開業当時のシーの様子から現在に至るまでのショーパレやキャストの様子、ゲストの楽しんでいる様子を辿っていく形式で進めていく。
私でも開業時のことは若干記憶に残っている。多分幼稚園年中さんくらいだったか、ミニーちゃんのコスチュームを来て写っている写真がある。
その当時の様子が見られるだけでもなんだか感慨深い気持ちになるのに、ファーストアニバーサリーや5周年、以降も進行役のキャストの案内で各時代を彩ってきた様々なイベントの様子を振り返る。
ほとんどは、もう見ることのできないものである。ディズニーシーが歩んできた20年の歴史、一緒に人生を歩んできたゲストも多いだろう。
その人たちにとっては、ディズニーからの温かいプレゼントのような、そんな幸せなショーになっているのだろう、そう思わざるを得ない軌跡を切り取った内容だった。

③感じさせられる圧倒的な差

20周年の軌跡は、ステージ背景かと思われた大きなスクリーンに映像が映し出される形で遡られる。そこで嫌というほど感じるのが、エンタメの作り方の差と、コストのかけ方の差である。

まず、エンタメの作り方の差というのは、コロナ禍以前と以後での楽しませ方の差だ。
映像に映し出される世界が輝きすぎていて、なんだか無性に悲しくなった。もう立派すぎる大人だし、時勢の違いは理解できるので地団駄を踏むこともないが。ああこんな世界だったのかと、現実を突きつけられるようだった。
これを違いではなく、差と捉えてしまう時点で前時代に生まれたこともまた突きつけられるのだけど、あの一体感はもう味わえないのかなと思う。

それが全てではないけど、私の知る限りでは歌やダンスをみんなで一緒に、顔を合わせてやると、それだけで祭りになる。世界共通ではなかろうか。
日本人も類に違わず祭り好きの民族であったはずだ。あんなの、楽しいに決まっているじゃないか。映像に映るみんなの笑顔と熱気が凄すぎて、今から出て行く外の世界であれを超えることは絶対にないのがわかっているから、すごく虚しい気持ちになってしまった。

そして、コストの差というのは、人とお金のかけ方の差ということである。
このショーは、映像ベースで進められる。盛り上げ役のキャストは、進行役のペアと歌唱担当のペアの4人。登場するキャラクターは、主要どころ5キャラ+過去のショーの再現で呼ばれたであろう2キャラ。このへんは少し朧げだが、恐らくそう。
一方で、後方スクリーンには何十何百のゲストにキャスト。正直言って、前で踊るキャラクターには全く目が向かなかった。後ろのスクリーンを抜きにしても、5馬力では持たない。記憶の中のショーと、どうしたって比べてしまう。

もうひとつ、ステージづくりに割く人数ではないところでコストの差を感じたのが、外国人キャストの活躍だ。映像の中のディズニーには、たくさんの多国籍キャストが我々ゲストに近い距離で輝いていた。
パークで突如始まる歌やダンスを盛り上げる笑顔は、そういったキャストが支えていたところも多かったのだなと思った。言葉はわからないけど、なんだか楽しいと感じることができる貴重な場所だったんだ。


ここまで大きく3つに分けて、勝手な感想を綴ってきた。
もちろん明確なソースがあって書いているものではないし、ただの私個人の感想なので、全く異なる印象を持つ人がいてしかるべきである。

ただ私たちは、このショーを見て、夢と現実をしかと感じさせられ、
ミッキーが最後に私たちに問いかけた

「これからはどんな旅をしよう」

という言葉に、決して楽観視はできないけれども可能性を秘めた未来を重ねた。

これからの人生も、生きる勇気を与えてくれるこの場所の
にわかファンであり続けたい。



この日は夜、イクスピアリで紹興酒を飲んだ。
話の中心はお互いの夢。

改めて、すごい場所だ。

東京ディズニーリゾートで働くみなさんに、心からの敬意を。

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