2020年が終わってしまう前に、纏めよう

初めまして、赤福です。
思ったことは、記録していないと忘れてしまう。それはすごく勿体ないことだと思います。同じことを二度は思えない。どうしたって二度目は、一度目の反芻になってしまうからです。
しかし、二度目で何かにアウトプットすることが出来れば、反芻にも意義が出てきます。

そんな言い訳の為に、という訳ではないのですが、ここ数か月を振り返りつつ、反芻をしながら改めて自分の思考を咀嚼できればと思います。
2020年が終わりきってしまう前に、どうしてもやっておきたかったのです。
本当の年末にはきっと、一年間をまとめたい。


新しい職場、絶望のマンツーマン指導

実は10月から新しい職場に来ております。
新しい職場、新しい人たちです。人事の方が取り計らってくださって、二か月もの間、マンツーマン指導をつけていただくことになりました。結果から言えば、それは地獄でした。

担当の先輩は2つ上の同性の方。前職が同じ業界ということもあり、私たちはすぐに打ち解けました。しかし、そう思ったのも束の間。全てにおいての価値観が正反対でした。

進捗の前半と後半では、キツさの部類が少し異なりました。
前半は、すぐに疲れたと言われること。口を開けば同僚や上司、会社の愚痴ばかりであること。後半は、出来ていない部分の指摘しかされないこと。

前半の”すぐに疲れたと言われる””愚痴ばかり”について。
私は、現場の雰囲気をポジティブに保つことが、チームで仕事をする上で非常に大切なことだと信じています。そうすることが、個人の更なるパフォーマンスを引き出し、大きな成功を得る土台となるから。挑戦しやすい環境、安心して働ける環境。そういったものの根幹です。
だから、開始一言目にネガティブな言葉を発せられると、すごく苦しい。まだ会ったこともない上司の愚痴を言われると、すごく悲しい。
思い描いていた理想が、その人の何気ない言葉でなぎ倒されていく感覚。そのギャップが、本当に辛かった。
だから毎日、ちょっとでもその人が元気になればと、気を遣って励まして、なんとか楽しい雰囲気の研修にしようともがいていました。自分がネガティブに引っ張られないように、という目的もありました。この時は業務で私に求めらることなんて高が知れていたので、業務よりもそういった雰囲気を保つことに心血を注いでいました。

そう言ってもいられなくなったのが後半。
そこまで業務に関して要領の良さだけでなんとかしのぎ、雰囲気作りに徹していた私ですが、いよいよそんなことも言っていられなくなりました。
マンツーマン指導の終わりに向け、当たり前ですが、応用を身につかせなくてはいけません。基本さえ満足に理解せず、ポテンシャルと勢いで乗り切ってしまった私です。「気を遣う」「鼓舞する」という基本業務()に加えて、「覚える」「理解する」を猛スピードで行わなくてはなりませんでした。
ここで、想定できていなかった事態が起こります。

本来やっておかなくてはいけなかった「覚える」「理解する」が甘かったせいで、先輩が苛立ちを露わにし始めたのです。そして、今まではあまり目立たなかったのですが、出来なかった部分への強い指摘が増え始めました。
指摘をいただくのは、本来ならとても有難いことです。しかし、その時の私の精神状態は、すでにいっぱいいっぱい。
常に機嫌の悪い先輩と四六時中一緒(休憩も)、気を遣いまくり、励まし、新しい業務を覚え、考えながら働く。頭は常にフル回転。緊張状態が極限まで続き、自律神経が壊れ、ついに人生で初めて40度の高熱を出してしまいました。(このご時世ですから、さすがに焦りました…)

自分の中に明確すぎるトレーニングの理想があって、それを実践してきた自負があります。その理想とは、①学習者のスタイル、強みを尊重する ②それを最大限発揮できるポジティブな環境を整える ③常にサポートしているという意識を持つ です。加点方式で伸ばすことを徹底してきました。
彼女は正真正銘の減点方式。真逆の世界でした。
もちろん、今まで自分が疎かにしてきたことが大きな原因であることはわかっていますから、家に帰ってからも必死で復習をしました。内省をして、自分で自分に無理やり期待値を設定して、なんとか食らいついていました。

そうすることで、出来ることは少しずつ増えてきました。考えなくてはいけないことも増えていきました。しかし、私の精神にはあることが刷り込まれてしまっていました。「間違えたらまた指摘される」。
考えるより先に、そっちが気になってしまう。それが気になると、今度はそのトレーニング方法が気になってしまう。一旦その自分の感情の変化に気づいたが最後、私は自信を保つことを業務に加えざるを得なくなりました。

「覚える」「理解する」「気を遣う」「自身を保つ」を、お客様を目の前にする本来の業務をしながら行わなければなりません。本当に無理でした。
私は、最初に「気を遣う」を業務から外しました。外すとね、更に機嫌は悪くなるんですよ。出来ることは増えているし、間違ったことはしていない。なのに、どんどん自信が無くなっていくんです。減点されるから。言うなれば、98点のテストのあと2点に部分を、永遠に説教されている感覚。正確には8時間半。どう考えても、保つことなんて出来ない。
ありすぎるほどの自信が、人生で初めて、ゼロになったなと思いました。

日々、身体も精神も限界まで使い果たして、それでも身体は緊張していて、満足いく睡眠が取れない。上司に相談する体力なんてまるで残っていない。消耗していました。ただ泥のように寝てしまう休日。
自信さえなくなったけど、「楽しみながら働く」というポリシーだけは護りたくて。気づけばその気持ちだけで職場に向かっていました。楽しんでやる、というプライドの為だけです。あとはもう、マンツーマンが終わることだけを楽しみにしていました。
思い返せば、私のしていたことは「楽しみながら頑張る(働く)」ではなく、「頑張って楽しむ」でした。両者は目的が決定的に違います。楽しめていないんです、後者は。でも「楽しむ」を創る為に、護る為に、そのスタンスをゴリ押ししていました。

迎えた最終日。やっと終わる、という安堵の気持ちしかありませんでした。
そして言われた言葉。

「赤福ちゃんのキャラとか、価値観はとても元気を貰えるし、自分と正反対で刺激になった。でも、これからはもっと客観的に自分を見てほしい。相手のことを考えて動いてほしい。私の好きなここらしさを、変えないで。」
ここらしさとは、「お互いに干渉しない、大人っぽさ」だそうです。

は??????????????

全て履き違えている気がしました。字面で言えばおっしゃる通りですし、今振り返ると反省点も沢山あります。でも、あのプロセスを経てからこれを言われてしまうと、なんだか悲しみとか怒りを超えてしまって、笑いがこみあげてしまいました。あ~あ、こいつ何言ってんだ、全部お前のせいだろうが。その人に対する、諦めにも似た絶望でした。
そして「その人の言うここらしさ=大人っぽさ=ただ気取っているだけ」という方程式がすでに出来上がっていた私は、それ以降の動きに備えました。

新しい職場、上司たちへの試み

とは言っても、逆を言えばよくここまで私をトレーニングできたなとも思うわけです。良くも悪くも目立つ、自我が明確な私は相当面倒だったはず。よく投げ出さなかったなと尊敬さえします。また、タイプが違うからこそ学べたこともたくさんあります。私が抱いた先輩への想いのポジティブな部分だけを抽出し、数ページの手紙にして、最終日にちょっとしたギフトと共に贈りました。
純粋な気持ちと、幾何かの打算を添えて。


そこで気持ちも関係も吹っ切れた私は、次の出勤から動き始めました。
私はこんなもんじゃない。私のなりたい姿ってなんだっけ?
本当にやりたいことを、正しい方法でやろう。
自信を無くした自分への憤りだけが、私を動かしてくれました。

今の職場で一番違和感があるのは、コミュニケーション不足でした。上司が何を考えているのか、何を大切にしたいのか、どんな理想があるのか。対話はおろか会話が無いので、何もわからない。すごく怖い、働きづらい場所だと思いました。だから、聴きやすいリーダーたちから聴くことにしました。厚みに違いはあれど、想いを持っていない人なんていないからです。

休憩時間や空き時間に話をしました。
もちろん、相手に対して伝え方やニュアンスは変えます。目的は、話を聴いてもらうよりも、話を聴きだすことです。
まだまだ皆さんと話が出来ているわけではありませんが、確かにそれぞれの想いがそこにあって、でもなんだか独り歩きしているような印象を受けました。そして、その状態が当たり前になっている。
もし黙々と、ただ膨大な仕事を独りでこなすことを大人っぽいと表現しているとするのであれば、それは不正解ではなくとも正解ではありません。きっと繋がりのつくり方を知らないだけ。想いの伝え方も、重ね方も知らない。それだけのこと。
そして、私のやるべきことは明確になりました。

理解して、共感して、愛を以て接すること。
仲間を創り、変化を促し、みんなの幸せを創ること。


私のしてきたこと、やりたいことにここでもまた挑戦出来る。私の大好きな居場所、みんなも大好きになる居場所が、また創れるかもしれない。
そう思うと、ワクワクが止まりません。景気が悪い今が、変革と挑戦の時。内部から変わっていけたら、きっと強いチームが創れる。

私は、そんなチームを創るためにここに来た。
入社時、人事部長に言われた、新しい風を入れてほしいという期待値。そのままの私でいいと言ってくれた取締役。その言葉を思い出しました。

改めて決意を固めました。

自惚れてなんぼですよ。自分に期待できないで、誰が私に期待してくれますか?自分を生かせるのも、殺せるのも、自分だけなのです。

変わらない居場所、大切な友人たち

ここまでの話で、人生最大の難所を単独で乗り切ったように見える私ですが、決して決してそうではありません。やはり、私の大切で大好きな自慢の友人たちの存在がとてつもなく大きかった。

ネガティブに侵食されそうになった時は、復習よりも先にノートに自分の好きなものを40個書き出して、感情が固くならないようにしたり、なりたい姿を描いた紙を毎日眺めては自分を奮い立たせていました。
でも、ダメな時はダメでした。

そんなときは、友人たちが助けてくれました。味わったことのない孤独と焦燥から、救い出してくれました。私の話を聴いて、笑って、ありのままの私を認めて、大きく手を広げて歓迎してくれる。それが本当に日々の支えになっていました。安心して自分が自分で居られる有難い私の居場所です。

そしてそういう友人が何人もいて、そういう居場所が何個もあることは、本当に幸せなことだなと思いました。離れていても、繋がっている。
大切にし合える関係。なんて尊いものなのだろうと思います。

この友人たちの誰にも、独りで悲しい思いをさせたくありません。
少しずつでいいから、お互いの人生に関わって、感情を共有させてほしい。
改めて、そう思います。

愛すべき私の悪友たち、本当にありがとう。愛してるよ。

彼氏という存在について

彼氏とは付き合って半年になります。これまで所謂まともな恋愛をしてこなかったので、初めての”ちゃんとした彼氏”です。

彼は非常に繊細な心を持っている。とてもピュアな人だと思います。
いつも真っ直ぐすぎる愛を私に向けてくれますし、私の話を理解しようと努力しながら聞いてくれます。
また、楽しいという感情を大切にするところが同じだなと思います。
ですが、性格的な部分で同じなのはおそらくその部分と、三大欲求に忠実なところだけです。

価値観・考え方が違う。他人同士なので当たり前のことなのですが、話をしていて交わらないことが多々あります。

友人や同僚だとそんな部分を楽しむことができるのに。むしろ、異なることがいいと思っているのに。なぜか、彼相手にはスムーズに出来ません。

どこを目指したらいいのかがわからないのです。

私はよりよい関係を創る為に、様々なことを聴くし、都度気持ちの擦り合わせを行いたいと思っています。一方の彼は、この関係を持続させる為に、不安や疑問を飲み込んでしまうタイプです。
だから時々機会を創って、私が聴き出す会をしているのですが、これがどうしてしっくり来ていません。無理をさせてしまっている感じがしています。
それならばと、職場でのコミュニケーションの話をすれば、プライベートは利益で人付き合いを考えたくないと言われました。
私は逆で、プライベートだろうが職場だろうが、飲み屋で出逢った人だろうが人付き合いのスタンスは変わりません。相手の想いを受け入れて、理解して、重ねていく。それが人生の醍醐味だと思っています。

私にとって彼氏は、そんな人付き合いの延長にあるもの。
いつものように、この人をもっと知りたい、私のことも知ってほしい、あなたを尊重したい、大切な人だ、大まかですがこういったプロセスを辿ってきました。私の場合、好きという感情はそのあとにくるものです。

ただ、お付き合いというものは、”好き”という感情が先行しがちです。

「お互いに好きだね!!!」
そんなことも言ってくれる彼ですが、時々違和感を感じてしまうのです。
好きって何なのでしょうか?

恋愛においての自分は、まだ確立されていない

これまでそれなりに沢山の人と関わってきましたが、彼氏というカテゴリは初めてです。圧倒的に経験値が少ないのは、言わずもがな。
この自我が強く出る感覚はがあるとき、本能は防御の体制に入っていることを示していると、私は自覚しています。

未知なものに対する、防御。
直感を大切に生きてきた彼氏。直感のロジックを組み上げたい私。

相手に共感したいし、大切にしたい、だからこそ理解したいけれど、それが苦手な彼氏。その苦手な部分も大切にしたいけど…。解決策は一向に見つかりません。お互いに、分かり合える日は来るのでしょうか。

ただ、彼は紛れもなく、もう私の大切な人のうちの一人です。
あんなに真っ直ぐに、好きという言葉を私に投げ続けた人はこれまでにいなかった。間違いなく、私に新しい感情を与えてくれた一人ですし、このしんどい時期に隣に居てくれていなかったら、ここまで頑張れなかったかもしれません。私を好きになってくれて、本当にありがとう。

結果、いつもこたえは人との繋がりの中に

この数か月のうちに起こったことは、人との関わり方が根本にありました。
そういう繋がりの中で生きてきた。環境が少し変わったからといって、自分の作りあげてきたその繋がりからは逃れられません。

人と関わるということに、正解はありません。
正直とっても疲れる作業だと思います。

それでも、私はやはりそれが面白い。それが好きです。

みんなが、みんなの世界で、仲間たちと楽しく生きている。
その世界に、少しでもいい影響をもたらせていたら嬉しい。
出来ることなら、少し踏み入って、世界を一緒に創るお手伝いくらい、出来ればこんなに幸せなことはないなと、思うわけです。

そんな世界を、出来るだけ多くの人と、共有することが出来る人になる。
きっと私は、出来ます。

先輩も、上司も、友人も、彼氏も。
全員まとめて、たっぷりの愛情で満たして、その人の世界をちょっと楽しくする。一回抱えたからには、簡単には手放しません。
ずっと持っている、でもちょっと具体的になった私の最近の夢です。


ではこのあたりで。

for my lovers.
always have fun.
akahuku :saisyoni hazimemasite tte itteokeba kitto sabottetakto barenai...!!

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