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愛されている・愛しているを【体感】。可愛そうな自分を手放せました


自分の【家族の座】を開いてみて、座の終わりに「ほっとする」。それは自分が自分であることを本当に、体感とともに受け止め、認めて次の一歩が歩みだせる。という一面があります。
知っている人がいないワークショップだったけれど、ピンときて飛び込んだSさんの感想をご紹介


家族の座コーディネーター りんりんです。


今日は、群馬で開催された家族の座に参加された
Sさんの感想をご紹介します。


今回ご紹介するSさんが何を思って参加して、
ダソのファシリテートでどんな気持ちになったか
私のことばでいう「ホッとしたか」に注目してみてくださいね。


知らない人ばっかりのワークショップにピンときた


Sさんは、本当に開催直前になって申し込まれました。

Sさんの言葉を借りるなら
「知らない人ばっかりのワークショップだけれど、ピンときた」


ここから感じるのは、メンタルワークで知らない
何するの?って思っているところに
飛び込むのは勇気がいる。
だけど、ピンときたという2つの気持ちがあったってこと。


そんなSさんが座を終えてくださった感想です。
 


「可愛そうな自分」を手放すことができました。

先日の家族の座に参加したSです。
その節は、大変お世話になりました。

これまでなかなか手放せなかった「可哀そうな自分」を手放すことができたことに深く感謝しています。感想を書いていたら長くなってしまったのですが、お読みいただければ幸いです。

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先日は、「家族の座 with DASO」に参加させていただきありがとうございました。

3年前にOSHO禅タロットで展開するファミリーコンステレーションを受けた際に「家族の座」というセッション?講座?が素晴らしいと聞いて、ずっと受けたいと思ってきました。


今回、オーガナイザーのなおえさんやファシリテーターDASOの講座に全く参加したことがないことに一抹の不安を感じての参加でししたが、終わってみたら、私にとっては今がタイミングだったと感じた2日間でした。


参加する日の3~4日前に、突然、「私を幸せにするのは私。夫や職場などの外側は関係ない。外側に原因を探すのは被害者であり続けることだ」という感覚になりました。


その感覚をずーっと持ったまま開いた、私の家族の座。

たくさん感情が揺さぶられて、たくさん泣いて、そして親の愛を深く感じ、被害者意識から抜け出すことができました。DASOの「一番の被害者は弟さんですよ。」という言葉も、本当にそのとおりだと深く同意できました。これまでずっと弟を責めてばっかりいた私なのにも関わらずです。



父も母も自分が育った家族から渡された「荷物を抱えて」親なり、私もそれを受け取って、「荷物を背負ったまま」親になった。息子の友達が高2で母親を亡くした時、「彼女ではなくお母さんが死ねばよかったのに。」と言わしめるほど息子を傷つけてきたけど、注いてきた愛情に嘘はなかった。そのことを理屈として理解していました。


そこまではわかっていたから、座が展開する中で、子どもと関わろうとせず自分の抱えている問題で一杯一杯の親の姿に、こんな心理状況にありながら子どもを愛してくれていたこと。そして、親が大好きだったから、私が何とかしてあげたかったのだと体感できたのだと思います。


本当に貴重な体験でした。


一週間がたち、現実の関係がなにか目に見えて改善されたわけではないのですが、きっと大丈夫という思いがあります。


なおえさんが書いているとおり、「プロセスはここ(座を開くこと)から始まる。」のだろうと思います。


このような機会を作ってくださったことに心から感謝しています。 

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Sさんありがとうございます。


そして、お読みくださっている方は
これまでいろんなワークを受けてきたんじゃないかな?
と思うSさんが、ダソの家族の座で受け取ったものを
ちょっと感じてみてくださいね。


 


ちなみに===

Sさんの感想の途中になおえさんという名前が
何度か登場しますが、
なおえさんは、群馬で家族の座をオーガナイズしている
パワフルなお母さん。
子育てとお母さんの気持を整えることに詳しいです。
https://www.naoekanda.com/


 
そして、近々開催予定の家族の座はこちらから。


「わたしってなんだろうな?」「本当はこうしたいんだけどな」 毎日の生活で、ふとそんなことを思ったとき、このブログを思い出していただけたら嬉しいです。サポートしてもしなくても、フォロー拡散していただけると嬉しいです💕