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不登校娘の心を救ってくれた水色の王子様~ころんくんへ~

今日、5月29日は、私が娘と一緒に目下激推し中のエンターテインメント・ユニット「すとぷり」のメンバー、水色担当💙ころんくん💙の27歳のお誕生日です。世の中でも、「推し活」という言葉がすっかり定着しつつある昨今ですが、「推し活」ってともすると、アイドルとか実在しない二次元のキャラクターとかにキャーキャーと熱を上げて、おめでたい奴ら…、という冷ややかな視線を感じる場面が無きにしも非ず…ですよね(笑)  しかしながら、我が家の場合、「推し活によって人生を救われる」という実体験をしています。もし、娘に、推しが…ころんくんという存在がいなかったら、決して大袈裟ではなく、今頃どうなっていたかわかりません。娘にとって、そして今は私にとっても、かけがえのない存在であるころんくんに、ころんくんのお誕生日であるこの日、感謝の気持ちを綴っておきたいと思います。

第一印象は…

ころんくんは、私が最初に存在を知ったすとぷりのメンバーでした。私がすとぷりにハマるずっと前から、娘はころんくんのことが大好きで、「ころちゃん💙ころちゃん💙」と言いながら、いつもころんくんの動画を見たり、歌を聴いたりしていたからです。私の中でのころんくんの最初の印象は、メンバー紹介の欄でいつも書かれている「ハイテンションなゲーム実況者」という名のとおり、とにかく元気で明るくて、にぎやかで面白い子だなぁ、というものでした。あと、SNSにUPされている実写画像を見る限り、目がクリクリで可愛いなぁ!と︎(笑)

一番つらくて苦しかった時期に…

現在中学1年生の娘は、小学5年生に進級した頃から朝不調で起きられない日が増え、5年生の3学期には完全に不登校になってしまいました。今振り返ってみると、その頃が親子ともども精神的にドン底で、どこに進んだらいいのか?皆目見当もつかず、出口の見えない真っ暗なトンネルの中を這いずり回っているような、そんな気分でした。その時期、家から出られずに引きこもっていた娘は、いつもYouTubeで、すとぷりところんくんの動画を観ていました。私が仕事から帰ると、部屋中を真っ暗にしてころんくんのホラゲー実況を鑑賞していたことも(笑) 動画を観ている時の娘はいつも楽しそうで、この時ばかりは普通の無邪気な小学生に戻って、大きな声で笑っていました。そんな娘を見ると、私も少しだけ心が救われる気がしていました。

その後娘は、病院で起立性調節障害→社交不安障害と診断されて、小学6年生からは、適応指導教室(不登校の子が通う教室)に通室するようになりました。適応指導教室が家から離れた場所にあるため、車で送迎することとなりましたが、車内ではいつもころんくんの「アスター」を聴いていました。不安でいっぱいの中、ころんくんのぬいぐるみをお守りにしてぎゅっと抱きしめて、ころんくんの歌声に励まされながら、なんとか適応指導教室にたどり着く、そんな日々が続きました。今でも娘は、どこか家の外へ出かける時は必ず、ころんくんのぬいちゃんをお守りにして持ち歩いています。

こうして、娘が一番つらくて苦しかった時期に、娘に笑顔をくれたのが、すとぷりであり、ころんくんでした。学校に行けなくなってしまい、孤独で世の中から取り残されたような気持ちの時、不安でいっぱいで押しつぶされそうな気分の時、娘の心のそばにいてくれたのが、ころんくんでした。ころんくんがいてくれたから、笑顔になれた、乗り越えられた、そんな瞬間が何度あったかわかりません。

親子の心の距離も縮めてくれた…

そして昨秋、遅ればせながらついに私もすとぷりのママリスナーとしてデビューを果たし(笑)、娘と一緒にすとぷりを追いかけ、推し活をするようになってからは、親子の楽しい会話が一気に増えて、娘と過ごす時間が一弾と楽しくなりました。私がすとぷりにハマる前、娘と2人の時にいったい何を話してたんだろう?と思ってしまうぐらい、今は娘との会話の9割がすとぷりの話題です。

娘が不登校になって、病院で主治医の先生から「今は思い切り甘えさせてあげて」と言われた時、それまで仕事や下の子の世話に追われて、忙しさを言い訳に、娘とちゃんと向き合ってこなかったかもしれない、娘の話をちゃんと聞いてあげていなかったかもしれない…と、母親としての自分を責めて、娘のSOSのサインにもっと早く気付いてあげられなかったことを激しく後悔しました。心に傷を負ってメンタルが弱り切っている娘とどう向き合ったらいいのか?少なからず戸惑いもありました。しかしながら、私がすとぷりを推すようになってから、娘との心の距離があれよあれよという間に縮まっていきました。

動画や配信を見て一緒に笑う。歌ってみたの感想を言い合う。面白い切り抜き動画を見つけて教え合う。カラオケで一緒にすとぷりの曲を歌う。推し活デートで一緒にアニメイトへ行く。…などなど、親子で本当に多くの時間を笑顔で過ごせるようになりました。

特にこの春はまた、小学校の卒業&中学校の入学のシーズンで、不登校児とその親にとっては試練の時期でしたが、まるで神様から救いの手が差し伸べられたかのように、ちょうどこのストレスフルな時期とアリーナツアーが重なりました。すとぷりに、ころんくんに会える日を心の励みに、親子ともども何とか乗り切ることができました。幸運にもオーラスの北海道公演に行ける機会にも恵まれ、娘と2人で札幌に一泊した夜のことは、生涯忘れられない最幸の思い出です。

娘は中学生になった今も、学校には戻れておらず、苦しい時も多々ありますが、学校の行事に参加したり、お友達と過ごしたりということができない分、すとぷりの推し活を通して、ころんくんのお陰で、学校に行けなくても十分すぎるぐらいたくさんの“楽しい”をもらって毎日を過ごせています。そして、その“楽しい”は、親子で共有できることで、倍になりました。大好きなころんくんと過ごせる空間が、今の娘にとって、大切な大切な居場所なのです。

リスナーになって変わった印象…

冒頭で、私の中でのころんくんの第一印象を書きましたが、娘と一緒にころんくんの放送を聞くようになって、ころんくんの印象が少し変わりました。元気いっぱいで面白い子、というのはそのままですが、その向こうには、まるで陽だまりのような、尽きることのない暖かさを持っている方だなと感じるようになったのです。普段のトークの中でふざけたり冗談を言ったりしながらも、いろいろな立場のリスナーさんへ気遣いを決して忘れない。優しさの種類にもいろいろあると思うのですが、ころんくんの場合は、心の中にその担当カラーの水色のようなしんと澄んだ湖があって、そこに揺らぐことのない純粋さとまっすぐな優しさを秘めている、そんな気がするのです。そして、それがあるからこそ、周りにいる人達をみんな巻き込んでハッピーにできてしまう、あの眩しいぐらいに鮮烈で魅力的なキャラクターができあがっているのだなぁと思うのです。

ころんくんが自身で作詞している曲の歌詞にも、それが滲み出ていますよね。

明日がどんなに暗くても
あの青い空が前を歩くから
その日まで諦めないで
***
遠い未来の旅へ
ほら1人じゃない未来地図
未来の先へ
光照らす先を走れ

「敗北の未来地図」、大好きな曲です。ころんくんの力強い歌詞と、痛いぐらいに透明で真っ直ぐな歌声に、これまで何度、救われたことでしょうか? 心を痛めていた娘が、なぜころんくんに惹かれたのか、今はとてもよくわかる気がしています。

ありがとう、そして、おめでとう…

こうして、娘の、そして私の心の救いにもなってくれたころんくん。これまでころくんからもらってきた、たくさんの優しさと暖かさ。ころんくんには、心の底から感謝の気持ちでいっぱいで、何度「ありがとう」を言っても足りないぐらいです。これまでずっと助けてもらってきた分を、これからは少しでも恩返ししていきたいなぁと強く感じ、どうしたら恩返しできるのか?などと考えてみるものの、実際には何もできることはなく、本当に歯痒い。ころんくんのことを、これからも親子で全力で応援していきたい。ただそれだけです。何があっても、どんな時でも、ころんくんの味方でいたい。だからどうか、ずっとずっと、大好きでいさせてください!!

ころんくん。
生まれてきてくれて、ありがとう!
活動をしてくれて、ありがとう!
すとぷりになることを選んでくれて、ありがとう!
娘の心のそばにいてくれて、ありがとう!
私たち親子の心を救ってくれて、ありがとう!
いつも頑張ってくれて、本当に本当に、ありがとう!

ころんくんがいてくれたから、娘が笑顔になれました。
ころんくんと出会えて、私たち親子は本当に幸せです。
大好きなころんくんが、これからもずっと、幸せでいられますように。

心から願っています。


不登校娘の心を救ってくれた、水色の王子様。
ころんくんへ。
27歳のお誕生日、おめでとう!!!

追記:
じつは…。
昨日、5月28日は、我が娘の13歳のお誕生日でした。あと数時間、お腹の中の止まっていれば、ころんくんと同じ誕生日だったのに、惜しい!!(笑)  これからも一緒に、すとぷりを、ころんくんを応援しようね!!