2019.03.20. ②

続き
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Twitterは140字という制限があるから
自分の持論や感情の表面部分が並ぶのは仕方がないと思う。
その後にコメントやURLをつけても見る人は半分くらい?

だからこそ、怖い

その140字の持論で
簡単に苦しくなってしまう

140字の持論で共感しあった仲間が
リツイートをして
共感の声は大きくなればなるほど正論になって正論になれば強制力をもって

140字の裏側に本当は想いやもっと深い考えがあったとしても

そこには陽が当たらない。

その140字の共感の繋がりは
ひとつの風潮を非難することも

それによって苦しむこともある

「自分がいいと思えばいいじゃん」
「見なければいい」

自分がいいと思えればいいよ
だけど「自分のいい」を模索しているとき
見えない無言の正論は
「自分のいい」が見えなくなるし疑ってしまう
言う人の表面上の肩書きが
世に言う「すごい人」だった場合なおさら。

だけど文字を打ってる人はその人のトーン
優しいニュアンスで打ってるかもしれない
けど、受け取る側はあなたの優しさを知らないよ

なぜ制服が好きなのか
なぜ属したいのか
なにか自分のやりたいに繋げるため?
今はやりたいがないから「なにか」をやってみる
それがスーツを着て就活をすることなのかも

「なぜ」ばかり周りが聞かないで。
その人が考えるから。
答えをもとめるのではなく問いかけてください

2019.03.20.

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